アジアで儒教が残っているのは韓国くらいと以前書いたが、それを裏付ける絶好のニュースがあったので紹介する。
NHKオンラインから
先祖を敬う伝統が根強く残っている韓国で、妻が夫の実家の法事をきちんと行わなかったのは離婚の理由に当たるとする判決があり、韓国社会に波紋を広げています。以上引用 詳細
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日本の儒教では忠が最高の道徳とされる。「君、君足らずとも臣、臣足らざるべからず(たとえ主君が主君にふさわしくなくても、臣下としての義務を怠るのは許されない)」、「忠臣は二君に仕えず」で象徴することができるかもしれない。
なぜそうなったかと言うと、日本でいう儒教とは主として江戸幕府の官学となった朱子学をさすからである。従って上に述べたような倫理観は高々江戸期からに過ぎない。
戦国時代見込みのない主君から有望な主君に乗り換えるのは珍しくなかった。主君が無能であれば自分の将来も開けないのだからこれは当然だろう。
戦争に負けた側のトップは自ら死を選ぶことが多かったが、その下はたとえ幹部クラスでも勝者が再雇用することが多かった。例えば、秀吉は滅ぼした近江浅井氏の遺臣を、家康は甲斐武田氏の遺臣を多く召抱えている。徳川四天王の一人井伊の赤ぞなえは武田軍に倣ったものである。
決して負けた方が皆殺しにされるわけでもない。大東亜戦争中「生きて虜囚の辱めを受けず(戦陣訓)」として捕虜になることを禁じたのは日本歴史を見ても他に思い当たらない。
当然捕虜としての権利を教わることもなかったので、捕虜は答える義務がないにも関わらず米軍から聞かれた軍事情報をぺらぺらしゃべり日本軍に打撃を与えた。
本題に戻る。韓国における儒教は同じ儒教といっても日本とは違って最高の徳目は孝である。(南宋に始まった朱子学に対して原始儒教と言えるかもしれない)。
と言っても「そんなもんか」くらいにしか感じない人が多いと思うので、彼らの考える孝とは何か、日本人が考えるような生易しいものではない。
「逆説の日本史ー江戸文化と鎖国の謎(井沢元彦)P249」から例をあげよう。
元代の「二十四孝」という書の中から。
郭巨という男がいて彼には妻子があり母と同居していた。母が衰弱して死にそうになっている。原因を探ってみると母が孫に自分の食べ物を与えていることがわかった。郭の家は貧しく一家四人を支える食物はない。それで郭がたどり着いた結論は母を生かすため子を殺そうというものであった。 以上要約して引用
翻って、我が国ではどうか。姥(うば)捨て伝説からもうかがえるように親より子を大切にするのが日本人にはしっくりくるのではないか。
中国も日本と変わらない、祖父母があるいは両親が自らを犠牲にして孫或いは子のためをはかるのが当然視されるように思う。
朱子学が興ったのは、常に北に異民族の脅威を受けていた南宋の時代的背景なしには考えられない。たまたま黒船の来航で外敵の脅威を感じた日本では幕府の無能ぶりがはっきりしたことと相まって、これも朱子学の題目である「尊王攘夷論」が大流行した。
ところで儒教の本場中国だが、朱子学はもとより原始儒教の伝統もあまり感じられない。ただ先ほどの孝と関連するが、原始儒教の徳目の一つである老人を敬う風潮は日本より強いように感じる。
もっとも異民族と戦った漢民族の英雄は今も人気が高い。岳飛、李自成、洪秀全など。これは「攘夷論」の影響というよりナショナリズムの本然だろう。
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