昨夜NHKテレビで海軍軍令部の参謀達が戦後定期的に会合しあの戦争を語ったテープを元に戦争に至る原因を検証していた。
私には取り立てて目新しい情報はなかったが、ある将校が日米開戦必至となった時期「これでいくらでも予算を増やせる」とよろこんだと言ったのには呆れた。
彼らは破滅的な戦争が始まろうとする時でも、国家の運命より「海軍予算」という省益に捉われていたのだ。
東京裁判で死刑になったのは七人だけでその中陸軍が六名、海軍は一人もいなかった。東京裁判の法的有効性はひと先ずおく。
阿川弘之などが米内光政や山本五十六を美化する本を書いたこともあって海軍善玉論が一時さかんであったがとんでもない。実は海軍にも死刑に相当する人物は何人もいた。永野修身や嶋田繁太郎が死刑にならなかったのは不思議だ。それに佐官級の罪は重い。
今の官僚組織もそうだが、当時も実際に国政を動かしていたのは政治的責任のない佐官級であった。佐官級と言えば課長、課長補佐クラスに相当する。
陸軍参謀本部の辻政信は戦後戦犯に問われるのをおそれて逃げ回っていた。彼は戦時中中佐に過ぎなかったが、それだけ自分の責任は重いと自覚していた。だが日本政治の内実を知らない東京裁判の検察官は佐官級を裁くことなど思案の外であった。
極論すれば日米戦争は参謀本部作戦課長大佐服部卓四郎、作戦班長辻政信、海軍軍令部の大佐富岡定俊、大佐石川信吾ら数名で始めたと言ってもいい。
東條英機ごときは彼らが作る軍部内世論に乗っかっていただけだ。
そういう意味で日本は昔も今も極めて特殊な国であると考えたほうがいい。
首相の施政方針演説だって各省の課長クラスが集まって書いている。
軍部特に海軍が開戦を決意した経緯も倒錯的だ。アメリカが日本への石油を禁輸したことが決定的であった。石油がほしければアメリカと仲良くすればいい。だがアメリカとの関係が良好となれば食うものも食わないで軍艦を作る意味はない。だから海軍はアメリカという仮想敵国がなければ予算を増やす理由に困るというジレンマに陥った。
アメリカの石油禁輸が開戦理由として正当化されるのであれば、将軍さまを戴く隣国が経済封鎖を理由として開戦するのも正当化できることになる。