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中国における商業倫理

2008-10-10 21:18:00 | 歴史ー中国

以下は井沢元彦「逆説の日本史15巻ー中世改革編『官僚政治と吉宗の謎』(小学館)」P170-171から引用

 現在一番ホットな問題と言えば、中国のでたらめな輸出品の話題だろう。アメリカでペットを殺しパナマでは人間を殺し、日本には一度使っただけで毒の出る土鍋を売りつける。毒餃子疑惑もあった。コピー商品がいかに多いかということは述べるまでもないほどだ。

 一体なぜこんなことになるのか。最大の問題は中国の資本主義にはまったく倫理がないということだ。法律とかシステムの問題ではない。
 中国人は「儒教」という言葉を嫌う。これは「儒学」だという。つまり宗教ではなく理性的な哲学であり政治学だと主張するわけだ。もちろんそうではない。「商業や金融に関する偏見」はまさに儒教という宗教の非理性的部分が生み出したものだ。しかし「儒学」と言いたがるということは中国人はその偏見を偏見だと思っていないということなのである。
 彼らにとっては今でも「商業」は悪であり、しかもそれが正しいことだと思いこんでいるということなのだ。これが「倫理なき資本主義」ということである。ついでに言えば「工」つまり「モノづくり」も「士」つまり官僚エリートから見れば「賤しい身分、賤しい職業」であり、「農」ですらそうなる。士農工商は今も生きている。そして中国の歴史を見て一番恐ろしいことは彼らの歴史の中には「メディチマネー」も「プロテスタンリズム」も「日本資本主義の精神」も存在しなかったということなのだ。商業も、それどころか工業もエリートのやることではない賤業で「悪」であるということだ。ならばそれを行う人間はどうなんだと言えば「公害が出ようと粗悪な品質であろうとかまわない。手っとり早く楽に儲けるだけだ」ということにならざるを得ない。
 つまり農民は農薬をまき散らして手っとり早く農作物を作り、工場では川や海を汚しても構わないから手っとり早く品物を作り儲けようということなる。            以上引用

コメント;
 ヨーロッパでプロテスタンティズムが資本主義の精神が育んだように日本で資本主義の精神を育んだのは「石門心学」であるというのが堺屋太一の説。 

 ここで井沢氏は中国企業のモラルハザードの背景には官(士大夫、今なら共産党幹部)がえらく、商業を賤しむ儒教的職業観があると言っている。
  
 私は今中国資本主義におけるモラルハザードの背景にあるのは儒教の影響というより、逆に儒教に限らず宗教的規範のなさが理由だと思っている。それにもう一つ、共産党幹部の家族は特権的地位を利用して大儲けしているという強い不公平感もある。土地を安く払い下げてもらったり、難癖をつけて商売敵をつぶしたり。

 日本では特定の宗教を信仰している人は少ないが、宗教的な社会規範はある。例えば悪いことをすれば、たとえばれなくても「天知る、地知る、我知る」という一種の倫理観がある程度犯罪の歯止めになっていると思う。

 ところでこの本は中国論が本論ではなくて、江戸時代、六代将軍家宣の顧問である新井白石、八代将軍吉宗、老中松平定信のいわゆる改革がいずれも商業や金貸し、利子を蔑視或いは敵視する儒教的職業観に囚われていたため真の改革にならず幕府の頽勢を挽回できなかったという文脈の中で付随的に触れられているに過ぎないので誤解なきよう。