シネマ歌舞伎第1弾ということだが、今年松竹が110周年を迎える記念事業として演劇部門と映像部門の共同事業で制作したとパンフレットにあった。なるほど大きな会社だし、一大プロジェクトとしてすすめたのだろう。劇場のない地域でも映画館で歌舞伎を見てもらえることも大きな意義だ。ぜひ、こういう意欲的な取り組みはすすめてもらいたい。
第1弾として選ばれた『野田版鼠小僧』は、中村勘九郎時代の意欲作で2003年8月の歌舞伎座公演で撮影し、映画にされ、勘三郎襲名の年に公開されるというのはなかなか画期的である。
歌舞伎座公演は3階席から観たが、幕間のトイレが混んでいて冒頭を見逃してしまっていた。今回は冒頭の劇中劇から見ることができた。
TVの劇場中継よりもいろいろなところにカメラを据えて撮影していたのだろう。これは舞台で観る時とは大きな違いだ。大体、同じ公演を席の位置を変えつつ何回か観ることができる場合もあるが、できない場合もある。この作品は人気公演だったし、やっととれた席で1回だけしか舞台を観られなかった。この映画では自分が見たことのないアングルから観ることができて、さらに楽しめた。
封切り直後だし、あまりネタバレにならないようにする。
ストーリーは、ドケチでエゴイストの棺桶やの三太(勘九郎)がひょんなことから義賊の鼠小僧をまねして盗みを働くようになり、最後はいろいろな悪をあばこうとするが、敵役の大岡越前(三津五郎)にその証言をひっくりかえされ、越前にそそのかされたくそ真面目な岡っ引き(勘太郎)に殺されてしまうというお話。もうひとりの三太=親から見捨てられた子どもへの情がエゴイストの三太を変えてしまい、情にあふれた人間として死んでいく。しかしその情は子どもの三太へは届かない。子どもの三太は最後は自分で納得して力強く生きていくことが暗示されてThe End!三太のおじさん=サンタクロースをかけているのも駄洒落で最後は「きよしこの夜」が流れるんだけど・・・。
野田秀樹らしく社会風刺がきいた内容である。それはなかなかおもしろい内容だった。かなりドタバタなのだが、舞台で観た時も感じたことだが、歌舞伎役者が真面目にドタバタコメディをやるところがおかしい。動きもきれいだから、全く見苦しくならない。
ただし、駄洒落連発シーンが多く、それも楽しいがややクドイ感じが今回もした。観る人の好みかもしれないが・・・。
また、舞台装置がいい。屋根づたいに移動するシーンも多く、家並みの上の屋根の並ぶ装置がいい。三太を裁く奉行所シーンではその装置が反対に回ってお裁きを見守る住民全員がその屋根部分に上がってお白州を見下ろすのだが、これがまた大胆でいい。
[主要キャストへの感想]
勘九郎=棺桶やの三太
ドケチぶりやひょんなことから義賊になりすますことになり、それで盗み出した千両箱を間違って屋根からばらまいてしまい、それを回収するために盗みに入るという姑息な男を魅力的に演じる。「愛嬌」の勘九郎だから憎めない。しかし最初の盗みを見逃してくれた爺さんが大岡越前に殺されたことを知り、悩み始めてその孫にあたる三太のために「絶対人にほどこしをしない」というポリシーを破る決意をするまで悩み苦しみまくる姿もほほえましく牽きつけられる。
三津五郎=大岡越前
女を囲ったりして浮気する役が嫌らしくない。今回、男で白塗りは越前だけで、お面のような顔で妾に甘える姿は可愛らしく、外で権威的に振舞う時のいかめしさとのギャップを楽しくみせてくれる。ホント、今回の越前は「ワルよのう!」。
福助=貞女の鑑とよばれている後家お高、実は大岡越前の妾で興吉を間男でもつ
こういうあだっぽい年増女の役は絶品。間男といるところにまず旦那の越前に乗り込まれ、続いて正妻(孝太郎)に乗り込まれた時のあわてふためきぶりも可笑しく可愛い。
橋之助=三太と同じ長屋で善人と大評判の男・興吉でお高の間男
福助と腐れ縁の世話物のカップルをやらせると本当にぴったりと息があう。12月の「たぬき」でもそうだった。ヘコヘコする時とすごむ時のメリハリもきいている。今回の映画で特に感じたのは悪戯っぽい顔をする時の目の可愛らしさだ。愛嬌たっぷりの目をしている。いいぞ。
獅童=三太の兄、辺見勢左衛門で死人の役
最初から経帷子を着せられて頭に三角巾、死に顔メイク。獅童だからの存在感か?
扇雀=三太の兄の妻おらん、夫が死んだ後店の番頭とすぐに再婚
七之助=三太の兄の娘おしな
このファミリーもよくよくドケチで婚約していた娘の婚儀と父親の葬儀を一緒にすませるという。遺言状で遺産が全て善人の興吉にいくと知り、三太とともに興吉におしなを娶らせようと猛然とアタックする。そのシーンが抱腹絶倒。あっさりことわられると元の婚約者のところにさっさと嫁に行く。扇雀、後家の身持ちをめぐってのお高との対決シーンは見もの。七之助はこういう現代っ子のような町娘の役ははまっている。アタックシーンのえびぞり、笑える中にもすごい。
勘太郎=くそ真面目な岡っ引き
真面目一本やりの役柄はまさにぴったり。去年の大河ドラマの兵衛助もそう。この役しか歌舞伎で見ていないので、これから楽しみに観たいものだ。
観終わった後の印象で前回と今回で大きく違ったのは、最後のシーン。鼠小僧が空から小判を降らせてくれる約束を信じて待つ子どもの三太が降らなかった時に雪が降っているところに朝日がさしてきて光っている。このことだったのかとひとりで納得するシーン。前回はなんか釈然としなかったのだが、今回は前向きに受けとめることができた。
けっこうネタバレバレだけど、おもしろいし、新・勘三郎応援のためにぜひ、これを読んだ方も観に行ってあげてください。一見の価値はあります。
写真は映画のポスター。
第1弾として選ばれた『野田版鼠小僧』は、中村勘九郎時代の意欲作で2003年8月の歌舞伎座公演で撮影し、映画にされ、勘三郎襲名の年に公開されるというのはなかなか画期的である。
歌舞伎座公演は3階席から観たが、幕間のトイレが混んでいて冒頭を見逃してしまっていた。今回は冒頭の劇中劇から見ることができた。
TVの劇場中継よりもいろいろなところにカメラを据えて撮影していたのだろう。これは舞台で観る時とは大きな違いだ。大体、同じ公演を席の位置を変えつつ何回か観ることができる場合もあるが、できない場合もある。この作品は人気公演だったし、やっととれた席で1回だけしか舞台を観られなかった。この映画では自分が見たことのないアングルから観ることができて、さらに楽しめた。
封切り直後だし、あまりネタバレにならないようにする。
ストーリーは、ドケチでエゴイストの棺桶やの三太(勘九郎)がひょんなことから義賊の鼠小僧をまねして盗みを働くようになり、最後はいろいろな悪をあばこうとするが、敵役の大岡越前(三津五郎)にその証言をひっくりかえされ、越前にそそのかされたくそ真面目な岡っ引き(勘太郎)に殺されてしまうというお話。もうひとりの三太=親から見捨てられた子どもへの情がエゴイストの三太を変えてしまい、情にあふれた人間として死んでいく。しかしその情は子どもの三太へは届かない。子どもの三太は最後は自分で納得して力強く生きていくことが暗示されてThe End!三太のおじさん=サンタクロースをかけているのも駄洒落で最後は「きよしこの夜」が流れるんだけど・・・。
野田秀樹らしく社会風刺がきいた内容である。それはなかなかおもしろい内容だった。かなりドタバタなのだが、舞台で観た時も感じたことだが、歌舞伎役者が真面目にドタバタコメディをやるところがおかしい。動きもきれいだから、全く見苦しくならない。
ただし、駄洒落連発シーンが多く、それも楽しいがややクドイ感じが今回もした。観る人の好みかもしれないが・・・。
また、舞台装置がいい。屋根づたいに移動するシーンも多く、家並みの上の屋根の並ぶ装置がいい。三太を裁く奉行所シーンではその装置が反対に回ってお裁きを見守る住民全員がその屋根部分に上がってお白州を見下ろすのだが、これがまた大胆でいい。
[主要キャストへの感想]
勘九郎=棺桶やの三太
ドケチぶりやひょんなことから義賊になりすますことになり、それで盗み出した千両箱を間違って屋根からばらまいてしまい、それを回収するために盗みに入るという姑息な男を魅力的に演じる。「愛嬌」の勘九郎だから憎めない。しかし最初の盗みを見逃してくれた爺さんが大岡越前に殺されたことを知り、悩み始めてその孫にあたる三太のために「絶対人にほどこしをしない」というポリシーを破る決意をするまで悩み苦しみまくる姿もほほえましく牽きつけられる。
三津五郎=大岡越前
女を囲ったりして浮気する役が嫌らしくない。今回、男で白塗りは越前だけで、お面のような顔で妾に甘える姿は可愛らしく、外で権威的に振舞う時のいかめしさとのギャップを楽しくみせてくれる。ホント、今回の越前は「ワルよのう!」。
福助=貞女の鑑とよばれている後家お高、実は大岡越前の妾で興吉を間男でもつ
こういうあだっぽい年増女の役は絶品。間男といるところにまず旦那の越前に乗り込まれ、続いて正妻(孝太郎)に乗り込まれた時のあわてふためきぶりも可笑しく可愛い。
橋之助=三太と同じ長屋で善人と大評判の男・興吉でお高の間男
福助と腐れ縁の世話物のカップルをやらせると本当にぴったりと息があう。12月の「たぬき」でもそうだった。ヘコヘコする時とすごむ時のメリハリもきいている。今回の映画で特に感じたのは悪戯っぽい顔をする時の目の可愛らしさだ。愛嬌たっぷりの目をしている。いいぞ。
獅童=三太の兄、辺見勢左衛門で死人の役
最初から経帷子を着せられて頭に三角巾、死に顔メイク。獅童だからの存在感か?
扇雀=三太の兄の妻おらん、夫が死んだ後店の番頭とすぐに再婚
七之助=三太の兄の娘おしな
このファミリーもよくよくドケチで婚約していた娘の婚儀と父親の葬儀を一緒にすませるという。遺言状で遺産が全て善人の興吉にいくと知り、三太とともに興吉におしなを娶らせようと猛然とアタックする。そのシーンが抱腹絶倒。あっさりことわられると元の婚約者のところにさっさと嫁に行く。扇雀、後家の身持ちをめぐってのお高との対決シーンは見もの。七之助はこういう現代っ子のような町娘の役ははまっている。アタックシーンのえびぞり、笑える中にもすごい。
勘太郎=くそ真面目な岡っ引き
真面目一本やりの役柄はまさにぴったり。去年の大河ドラマの兵衛助もそう。この役しか歌舞伎で見ていないので、これから楽しみに観たいものだ。
観終わった後の印象で前回と今回で大きく違ったのは、最後のシーン。鼠小僧が空から小判を降らせてくれる約束を信じて待つ子どもの三太が降らなかった時に雪が降っているところに朝日がさしてきて光っている。このことだったのかとひとりで納得するシーン。前回はなんか釈然としなかったのだが、今回は前向きに受けとめることができた。
けっこうネタバレバレだけど、おもしろいし、新・勘三郎応援のためにぜひ、これを読んだ方も観に行ってあげてください。一見の価値はあります。
写真は映画のポスター。
まずは松竹の企画を誉めていいと思います。デジタル処理することで、非常に映像がクリアで、舞台の鮮やかさが再現できています。3階で見るよりいいかも?
お話に関しては、ギャグは8割くらいに押さえたらいいと思いました。そのほうが、こういったものを毛嫌いしている層にも受け入れられるのでは。
とにかく、歌舞伎は高尚で・・・、と避けているひとにはお勧めです。お子様でも、小学校高学年くらいなら十分楽しめると思います。学校で教わる歌舞伎は「俊寛」「勧進帳」などですよね。確かにお話は素晴らしいのだけれど、時代物って、実は結構退屈だったりするから、後が続かない。世話物から入ったほうが、絶対わかりやすくて面白いです。(まあ、野田版は、ちょっと行き過ぎちゃってるきらいもありますが・・・)
未来の国際人たる若いひとには、是非、このあたりから歌舞伎に親しんでほしいと思います。外国にいって日本の伝統文化を語れなくては、なんてことだけじゃなくて、こんな楽しいもの知らないのはもったいない!もったいない!
・・・( ̄  ̄;) うーん って感じかなぁ
面白かったには面白かったんですけどねぇ
これを歌舞伎というには抵抗ある、、みたいな~(苦笑
ぴかちゅうさんやお茶屋娘さんも同じような感じをお持ちみたいですね(^^;;
kabukist様、TBとコメントありがとうございました。MOVIX京都は4/23から2週間だったんですね。間に合ってようございました。昨日も友人の娘さんが京都にいるのでお知らせしておきました。その母娘は野田ファンで、歌舞伎ファンではないのです。
私はこういうのも歌舞伎だと思ってます。時代に合わせて客層の裾野を広げていく取り組みに積極的なところが勘三郎らしい。七之助の『真夜中の弥次さん喜多さん』もそうだと思う。その魁が猿之助。時代物の現代エンタメ化は猿之助のスーパー歌舞伎で、世話物のそれは野田秀樹版でやったかなという感じでとらえています。7月の菊五郎劇団と蜷川さんのコラボレーションも楽しみ!
とにかく「温故知新」でやっていかないと歌舞伎も21世紀が大変だと思って伝統追求と新機軸挑戦の両方を応援していくつもりです。
ただ、勘三郎の役者根性は、私は買っております。きっと新しい試みの中から、未来への可能性が見えてくるでしょう。
シネマ歌舞伎という企画は、是非、続けていただきたいところですが、映画興業として成立させるとなると、役者、演目はかなり絞らざるを得ないでしょう。でも、地方の歌舞伎ファンには、うれしい企画でしょうし、お子さんや歌舞伎未経験の方のとっかかりとしてはよいと思います。
kabukistさんのブログ拝見しました。関西にいらっしゃるとは、また、羨ましい。
そうですねぇ。歌舞伎ってこんなもの、なんて自分の中で決めちゃうのは偏狭かもしれません。勘九郎さんの様々な試みも歌舞伎ファンの裾野を広げたうえで歌舞伎の真髄も見ていただきたいというお気持ちの表れって、先の玉三郎さんの言葉でよくわかりましたしねぇ。(あの言葉は私にとって実にタイムリーでした(*^^)v)
実はスーパー歌舞伎も食わず嫌いなのですが、せっかく大阪松竹座でヤマトタケルやってるから見てこようかなぁ
ご覧になったことあります?
>お茶屋娘さん
はじめまして~。コメントありがとうございます。
拙プログへもお越しいただいてほんとうにありがとうございます。
勘三郎さんの歌舞伎界の中での役割のようなものに改めて(↑にも書きましたけど)玉三郎さんのコメントで気づいた気がしています。
今後ともどうぞよろしくお願いします