ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

05/04/20 篠原涼子主演『anego』始まる

2005-04-21 15:07:56 | テレビ
3月1日に観た『溺れる人』がよかったので、篠原涼子が主演する日本TVのドラマ『anego』を楽しみにしていたが、いよいよ始まった。
主人公の野田奈央子32歳。バブルの時代の最後に東済商事に一般職で採用されて働き始めて11年目を迎えた。バブル崩壊とともに人件費削減をはかった会社は一般職を採用しなくなり、正規の女性は総合職のみ。事務のルーチンワークには契約社員や派遣社員しか採用しない。
日本でも男女雇用機会均等法以降は、法にひっかからない巧妙な男女差別のしくみが出来上がっている。労働組合運動の力は弱く、組織労働者の割合が2割くらいという時代である。職場に直雇いでない労働者がこんなにいるのが当たり前になっているのだなあと思いながら見ていた。私が最近まで働いていた部署は確かに似たような状況があったが、その部署に来る前はほとんどそういう立場の人はいなかったので、異動後に慣れるのに大変だったことを思い出した。
ドラマだから誇張があるのかもしれないが、会社の中での女性差別はかなり露骨である。契約社員や派遣社員はギャルズとよぶ「職場の華」的存在としてチヤホヤするが、仕事が期待水準以下だとすぐに交替させる。そういう立場をわきまえて働いてはいるのをいいことにつまみ食いする男がいて、それがばれると知らんふりするために契約解消を画策したりする。その彼女に泣きつかれた奈央子は、正義感が強いというわけではないが、あまりにも男たちが傲慢なので、「彼女はミスもするがちゃんと仕事をしている。それなのにトイレでの密談でクビ切りするんですか」と抗議する。
1年後輩の加藤博美(戸田菜穂)がナイスサポート。ともに「負け組」の中であがいているが、博美は奈央子が女性社員に好かれていろいろと世話を焼き、それを上司に利用されてギャルズの管理をやらされている人のよさにあきれながらも、支えているようだ。
奈央子の母親(由紀さおり)は、就職が決まった時に「女の子は一生懸命働かなくていいのよ。職場でいい人をみつけて結婚するのよ。東済商事に入れたのはなんてラッキーなの」と娘に言うような人物。それを肯定するでもなく、強固に働き続ける意志を持って今まできたわけではなく、恋愛はいくつかしたが、決め手がなくここまできてしまってあせっている奈央子。
同世代の勝ち組、沢木絵里子(ともさかりえ)が子育て一段落後に近づいてきて、その夫は奈央子が電車の中で一目ぼれした男(加藤雅也)という設定で、これからの展開になかなか面白そうな予感はある。
男女差別の現状をおもしろおかしく見せてくれるのだが、私はいちいちカチンとひっかかってしまう。いらいらしながらだが、まあ見てみようかなと思っている。

原作の林真理子は、昔、アグネス・チャンとの論争?で知っているくらいで、エッセーは1冊くらい読んだかな。時代の最先端で感覚的に生きている女性という印象。その論争では、アグネスも子育てと仕事の両立に一生懸命ではあるが職場に子どもを連れていけた恵まれた環境だったとはいえ、あそこまで批判する林真理子には反発を覚えた。その後、柴田練三郎賞をとった『白蓮れんれん』を読んで、時代の中で自分らしく生きることために格闘する柳沢白蓮像を浮かび上がらせた作品で少し見直したが。昨年の『キャンディード』千秋楽で私の列の横の方に何人かで観劇していた姿をみかけたが、ダイエットに成功されたのを間近に見てちょっとエライなあとは思ったけど、この間のご自身の子育ての中で価値観に変化があったかどうかは知りたいと思っている。

写真は日本テレビの『anego』HPより

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私も見ます ()
2005-04-21 20:25:24
ピカさんのコメントがいいので見たくなります。正規職員での採用があまりないからしょうがなくという人もいるけど、あまり仕事したくないからという人もいるよね。本当にそれでいいの?って、ブログに書いていた人がいたけど、本当そうだと思う。
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卵が先か鶏が先かという問題だね (ぴかちゅう)
2005-04-21 20:34:06
女性の側の自立意識の低さの問題解決の方が先という考え方もありますが、実はそれもつくられたものなのです。

社会のしくみづくりと女性の側の意識変革の両方が必要なんですが、それを社会政策としてきちんとやるのが政府の役割なんですよ。

まあそれを政府にやらせられるかどうかも国民の意識が高まらないとだめなんですけどね。ああ、これも堂々めぐりになりそうだけど、少なくとも意識をもった女性たちが両方に取り組んでいくことの意義は大きいですよ。だからうちの職場の労組女性部は両方に取り組んでるよね。それを労組内の取り組みに終わらせない工夫も必要な時代になってきたよね。大変だけど、やれるところからやっていきましょうや。

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アグネス論争 (ももんが)
2005-04-21 22:05:29
 当時、林真理子の「いい加減にしてよ、アグネス」(『文芸春秋』)に賛成の意見を表明する女性は多かったのですが、そのような状況に対して、「ここは買ってでもアグネス擁護に回りたい」と、朝日新聞論壇に「働く母の失ってきたもの―『子連れ出勤』のアグネスを擁護」を投稿したのは上野千鶴子さんでした。

 彼女はそこで、林真理子の議論は「歯を食いしばって、職場で男たちと肩を並べてきた女の側の『正論』」だとし、そのような「正論」は、働く女性たちの味方ではないことを指摘しました。

 「ルールを守れ、と叫ぶのは、ルールに従うことで利益を得る人たちである」という文に、はっと目を見開かされた人は、私だけではなかったと思います。
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ももんが様 (ぴかちゅう)
2005-04-22 01:55:42
アグネス論争、本当にそうです。うちの職場でも若手でGMに抜擢される女性の中には自分は責任のある仕事をしたいし、そのような仕事と子どもの両立ができないからと子どもを持たない選択をした人もいます。自分個人の問題という言い方をしてましたが、でも時代の制約というか、今の日本の社会の制約があることを感じました。責任のある仕事をさせてもらうためには相当な仕事の量を不平を言わずにしなければ評価されないんですよ。年休も消化して残業もほとんどせずにマネージャーに抜擢される人はほとんどいません。年休しっかりとって残業もしたくないという人はまあ登用されないですね。



さて、女性と歌舞伎のところで「NPOむすめかぶき」まで行き着きましたけど、読んでいただいてますか~?新着コメントの表示が出ないので気がつきにくいと思いますがいかがですか?

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労組が悪い (ももんが)
2005-04-22 02:34:31
 そうやって、残業しないと評価されない、残業して家族を養える報酬が得られるというような働き方になってしまったことについては、労働組合にも大いに責任がある、という指摘もあります。戦後の労働運動が、大雑把に言ってということでしょうけど、賃上げを第一とし、労働条件の改善要求をなおざりにしたせいでこうなったのだ、という話です。

 そして労組(労組こそ?)性差別的な組織であって、女性たちの問題には耳を貸さなかったと非難されます。このあいだ勝訴した住友金属のケースでも、原告がまず戦わなければならなかったのは、組合だったといいます。そういうところは多いのではないかと思います(野村證券の組合は、女性たちをサポートしましたが、これはかなりの例外だと思います)。

 「NPOむすめかぶき」、みてますよ。やってる人たち、いるんだなあ。「女形の芸」のユニークネスを称揚し、鑑賞していくことは、「歌舞伎が女性が排除していること」を見えにくくさせるよね、と思う。「ソンナコトヤメロ」と言いたいわけじゃないけれど、演じている本人は、どうなのかな。

 能だったか狂言だったか覚えていないのですが、NHKで深夜にやっていたドキュメンタリーで、ある宗家(でいいんでしたっけ)を取り上げていたのを見たことがあります。その家族の中には女性がいます。彼女は、家族の男たちにひけを取らない高度な芸を持っているのだけど、舞台には上がれない。しかし、子どもや孫に厳しく自分の芸を仕込んでいました。そのことが、彼女を宗家の重要なメンバーにしているのだけれど、ご本人はそのことについて深く傷つき、葛藤しているんです。

 けれども、彼女に仕込まれた息子たちは、その傷や葛藤にまったく無頓着、気づいてもいない様子でした。制作側が「どう思いますか?」と水を向けても、「女なのだから」とはじめから視野の外なのです。あの場面は、すごかったですねえ。その番組は、彼女をテーマとしたものではなかったんですが、その部分が強く浮き上がってみえました。

 なんていうタイトルだったか忘れてしまいました。深夜だから再放送だったんでしょうが、また放送することがあったら、絶対録画します。
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男性だけしか継承できない伝統芸能の家にいる女性の葛藤の問題は大きいでしょうね (ぴかちゅう)
2005-04-23 01:28:19
尾上菊五郎家の娘、寺島しのぶは弟が生まれた時から扱いが違うことがショックだったそうです。彼女の中に育った役者魂はものすごく、自分から新劇の劇団の研究生になって勉強したりする中で早くから蜷川さんの芝居で活躍したりする中で映画に主演して賞をとってという感じです。あるインタビューで彼女は弟に対してちゃんとした役者になってほしい、そうでないと私は...というようなことを言っていて、自分も男だったら歌舞伎役者になれたのにっていう怨みのような思いがあるのかなって感じました。そういう思いの上で彼女の役者として生きる場所を常に模索しているような気がしました。

一方、松たか子は父の幸四郎だけでなく祖父の代から歌舞伎だけでなく新劇・ミュージカルでも演じる家だったためか、すっとそっちに行ったような感じがします。

時代の制約の中で男性だけで築いてきた芸能の様式美を女性が参加することで崩していいかというと違うと思います。宝塚も戦後の民主化の中で一時男性を採用したことがあったがすぐにまた女性だけになったと母親にきいたことがあります。

歌舞伎の家に生まれた女性が歌舞伎をやりたくても、様式美を期待して観に来る観客は観たいと思わないでしょうし、難しいですよ。

そういう人はまず、新しい発表の場をつくっていくべきでしょう。だから「NPOむすめかぶき」のような取り組みは面白いし、歌舞伎だけでなく能や狂言でもどんどんやられればいい。さらに女性だけでの上演だけでなく若手の男性の役者と一緒になった上演というのも模索してみればいいと思う。そこで評価が上がってくれば新しい分野として確立していくことでしょう。

まあ、私は成人した男女の顔のかたちの差が小さいからこそアジアに生まれた男性だけの芝居、女性だけの芝居というのが成り立っているのが面白いと思います。特に日本は歌舞伎と宝塚の両方が花開いていてとても面白いです。そうそう今度大阪の方で宝塚と歌舞伎の若手が一緒の舞台があるそうです。
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[鼓の家]じゃないですよね? (yukari57)
2005-04-23 02:24:58
ももんがさんのおっしゃったテレビ番組と少し違うかもしれませんが、亀井忠雄と結婚した田中左衛門さんも、田中伝左衛門家に生まれ、一男三女に恵まれながら長男は東大で学者の道へ、長女と次女は才能なく、最後の砦の彼女が才能あって、歌舞伎の囃子方で御簾の中だけで頑張っている人ですね。能の太鼓方の亀井家に嫁入りしたから、長男が亀井弘忠、次男と三男が歌舞伎でやっています。彼女についてのドキュメンタリーは30年以上前にやって、50台になった今、あの可愛い高校生は?って感じに人相変わったこと、大変だったのだと思う。初代吉右衛門も男子なく、娘の正子さんが才能会ったものの女だからと、8代目幸四郎と結婚し、9代目幸四郎と2代目吉右衛門の二人の男子を産んだからいいいようなものの、染五郎の子供時代に歌舞伎の基礎を叩き込んだのは正子さんだとかって、この間やっていた染五郎のTRでも、6歳の染五郎がしゃべっていました(親には、おばあちゃんから習っているというなといわれたのにいってしまったとも告白)。勘三郎のお姉さんの波野九里子もそうでしょう?新派の中心でやっているけれども。まあ、嫌いなのを押し付けられている男子も沢山いそうだし、なんとも簡単な問題ではないですね。
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幸四郎の母、正子さん (ぴかちゅう)
2005-04-23 04:08:06
先日偶然TVのチャンネルを変えていたら、幸四郎がインタビューに答えているところが映ったのでしばらく見ていた。幸四郎は「自分は子どもに対しても役者としてきちんとしているかどうかを第一にみる。そうでなければ他が良くてもダメなんです」「母からも芝居が下手だと馬鹿にされたので、自分は母への抵抗で今までやってきた」というようなことを言っていた。yukariさんの上記のコメントとつながりました。男性だけしか継承できない伝統芸能の家にいる女性の怨みの意識は、息子であれ孫であれ継承者である男にそのように屈折して向かうことがあるんですね。だから幸四郎や染五郎は堅苦しい感じに育ってしまったのかなあなんて思った。

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女性の働き方について (かつらぎ)
2005-04-23 06:20:08
ドラマ自体は見ていないんですが、ここのコメントのテーマが面白くてお邪魔させていただきます。私の職場の場合だと…結局は「女の人にどこまで(仕事を)やらせていいのか」という男の人側の戸惑いもあるのではないかと思うし、迷いもまだまだあるんだな、ということですね。よく職場で出るのは「こんなことは女の人には(つらいだろうから)させられないな」とか(意外にそれが力仕事系だったり、「え、そんなの情報おろしれくれれば、こっちで処理できるのに」みたいなことだったりするんですが)。結局は「男と同じことしてくれなきゃ」ということなんでしょうね。極端な話「あいつは女だけどゴルフができるからいずれ役員になれるだろう」みたいな話も出てきます。昔はそういう話が出ると「え゛~!なんて感覚かしら」とアレルギーを起こしていたものです。でもじゃあ休日返上、おつきあいゴルフをしてまで出世したいか?ときかれれば答えはノー。私は芝居を見たい、映画も見たい、友達にも会いたい、旦那の顔も見ていたい、両親にも会いたいし…と、自分の人生は心豊かに過ごしたい、と考えてみると選択肢がいろいろあるのだな、と感じています。

まったく話は変わりますが、歌舞伎役者の奥様、或いはお嬢さん、というのは実は究極の「女性」を演じなければいけなくて、そういう意味でも大変だなと思います。ほんとうはマネージャーとして、或いは大変な営業マンとして力を発揮しなければならない。でも、それに飽き足らなくて、寺島しのぶさんも自分の(役者としての)力を発揮したくなった。それが歌舞伎で発揮されなくても、結果映画や舞台、テレビで見られるようになるというのは、実はプラスに考えるといいことなんですけどね。

とりとめもなく、書き散らかしましたが、いろいろ考え出すと面白いテーマですね。またお邪魔しますね。
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Unknown (お茶屋娘)
2005-04-23 17:06:29
三田寛子さんのように、全然関係ない世界からきたひとのほうが、役者の妻の役割に、ぴたっと嵌るように思います。演じきってみせるわよ、みたいな覚悟が仄見えるというか。そういう生き方、わたしは、とても共感できるのですが、ひとによって、感じ方は異なる部分かと思います。
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