~風に吹かれて~ by ポー(paw)

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越生神社(埼玉県越生町)

2017-02-15 15:02:07 | ・神社・お寺

2017.2

近くを通ったので立ち寄りました。

大高取山塊の東の端、越生町役場の近くにあります。

鳥居の奥に静けさを感じます。

風が割と強かったのですが「無」「静」を感じる佇まいの拝殿でした。

拝殿を見守っていたら動画が撮りたくなりました。

動画で拝殿をアップしたら、す~~~っと風が流れ、拝殿の紙垂を揺らしました。

100年以上前の写真ですね。家々が時代を感じさせます。

漆黒の中、圧倒的に煌びやかに輝いていました。

歴史を感じさせる燈籠です。素朴な形がいいですね。

越生神社

明治42年(1909年)に、神社合祀令を受けて、琴平神社に、旧越生村村社八幡神社、日吉神社、八坂神社、旧黒岩村村社の

八坂神社、ほか市街地に点在していた稲荷社を合祀して造営された神社である。

七月下旬に催される「越生祭り」は、牛頭天王を祀る八坂神社の祭典、祇園祭(天王様)の系譜を引いている。神社を出立

した紳輿が町内を渡御し、夕刻から曳航される六代の山車の上では、神田囃子の流れを汲む囃子の競演が繰り広げられ、

華やかな江戸天下祭の名残を今に伝えている。

越生神社の奥宮がある高取山には中世の山城跡がある。標高約170mの頂上が平らに削られ、空堀と土累で画された郭

(曲輪)が数段残されている。江戸時代の地誌「新編武蔵風土記稿」には「越生四郎左衛門屋敷跡」と記されている。

生越四郎左衛門は「太平記」に登場する。南朝の北畠顕家を討ち取った武将である。越生神社下方の平坦地付近と推定

されている越生氏館背後の高取山に築かれた「物見砦」や「詰城」であった可能性がある。一方、現存する遺構は室町期

後半から戦国期のものであり、太田道真・道灌父子と長尾景春の戦いを中心とした時期のものとみる見解もある。

平成二五年三月 越生町教育委員会

越生子ノ権現

越生神社の境内にありました。

飯能の子ノ権現にも行ったことがありますが、ここにも勧請されたのですね。


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