~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

富士山周辺(ふじあざみライン・朝の川霧・富士みち(御師の家)

2016-12-05 18:34:50 | ・旅・山

2016.12.3 またまた浅間神社巡りをしてきました。これでほぼ廻ったかなー。

「東口本宮冨士浅間神社」へ行く前に、「ふじあざみライン」をどこまで行けるかなーと上って行きました。

ここから先は4月下旬まで通行止めだって。

「ふじあざみライン」の途中から。

望遠で^^

寒そーだけど、暖かでした。

「ふじあざみライン」入口から。

東京・埼玉からは11/24の雪で裾野下まで真っ白に見えていましたが、だいぶ溶けちゃいましたね。

神社は後で投稿します。「忍野入口」からちょっと入った辺りの川の開けた辺りで朝の川霧の中にカモたちが居ましたよ。

なかなか神秘的でした。

鐘山スポーツセンター付近より。

望遠にて。

超望遠にて。

偶然、国道139号「富士みち」を南下することになりました。ここはブラタモリでも紹介された御師の家がたくさんあるところですね。

金鳥居辺りです。結構交通量がありました。

下宿(富士みちの交差点)の入口には、金鳥居(かなどりい)とよばれる鳥居があります。富士信仰においては、その鳥居から南側を

神聖なものとして考え、御師の家に関わる人間以外の居住は一切許されませんでした。そのため、富士吉田における一般の人々の

生活は、金鳥居より北側を中心に発展していきました。また、神聖な世界に不浄のものが入ることがないように、金鳥居の北側には

閻魔像が設置され、金鳥居からの境界線を見張っていたそうです。http://oshinoie.client.jp/ より。

現在、富士みち沿いに多くの御師の家がありますが、当時は、古吉田(ふるよしだ)とよばれる地域にも多くの御師の家がありました。

しかし、当時の古吉田は、富士山からの雪解け水が原因で度々集落が水害に見舞われ、安定した生活を送るにはとても厳しい状況

でした。そこで、元亀3年(1572)に旧地・古吉田から現在地に多くの御師の家が移転したといわれています。その後、各御師家に

入れ替わりはあるものの、町並みの骨格は大きく変化していないので、現在においても当時の街並みの様子をうかがい知ることが

できます。http://oshinoie.client.jp/ より。

「御師の家」は、富士講の開祖である長谷川角行の弟子たちによって少しずつ利用者が増えていくようになりました。

最盛期には夏の2ヶ月間で8000人もの人々が訪れるほどだったそうです。しかし、御師の家は第2次世界大戦以降衰退が始まり、

廃業していくところが徐々に増えていくようになりました。現在では、大国屋と筒屋だけが営業をしています。

http://oshinoie.client.jp/ より。

あちこちに御師の家がありました。

現在、御師の家の多くが宿泊所としては営業をしていませんが、旧外川家住宅と小佐野家住宅(博物館の復元住宅)は、

市によって公開されているため誰でも見学することが可能だそうです。http://oshinoie.client.jp/ より。


この「富士みち」は、「北口本宮富士浅間神社」へと向かっています。この「富士みち」には駐車場が無く、脇に停めて少し歩いた

わけですが、もう少しゆっくり散策したかったなあと。観光客相手の店もほとんどなく、また電線類地中化も行われていて、

スッキリとして生活感もあまり無かったような・・・。金鳥居から南は神聖な場所でもあるからかな。金鳥居から北側は、生活感満載

な感じでしたけどね。では、神社関連投稿しますよん。


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