~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

九州5(大分・由布岳/湯布院/宇奈岐日女神社)

2017-10-03 18:32:31 | ・神社・お寺

2017.9.8~11 親友と二人でオヤジ軍団九州旅行(佐賀~長崎~大分~福岡)へ行きました。

9.10、この日も朝から良い天気。ありがたいです。一週間後にズレていたら台風でしたからねー。チェックアウト後、
ちょっと海が見たいねという事で、海岸通り、国道10号へ。

別府方面

別府湾、実に穏やかな海でした。その後、別府へ戻り湯布院方面へ。

正面に何やら見えますね。

ラクテンチでしたー。ブラタモリで見てたので知ってましたよ。

ラクテンチは、大分県別府市の立石山中腹にある遊園地。別府市内を一望できる山上にあり、平野部からケーブルカー
で移動して入園する。1903年(明治36年)から1916年(大正5年)にかけて、ラクテンチの敷地内は高品位な金・
銀鉱石を産出する鉱山が存在していた。高温な温泉が湧きだし坑内環境が悪化した事と、温泉の枯渇を恐れた地域住民の
反対、折からの大正末期の不況により採算割れを理由により閉山。そこで、残った敷地と温泉を有効活用する目的で、
遊園地の設立が企図され開園した。 1929年(昭和4年) 別府遊園として開業。by wikipedia

時代の荒波にもまれ紆余曲折しながらも、営業を続けているラクテンチにエールを送りたいです~^^

その後、ラクテンチ付近のあちこちに湯煙を上げる地元の道に迷い込みながら(笑)由布岳方面へ。

由布岳 昨日も大分自動車道から見えていましたが、いや~スゴイ存在感ですね。

・由布岳は、大分県由布市にある標高1,583mの活火山。山体が阿蘇くじゅう国立公園に指定されている。
・古来より信仰の対象として崇められ、『古事記』や『豊後国風土記』にもその名が記されている。
・「柚冨郷」の近くにあることが「柚冨峯」という山名の由来とされている。
宇奈岐日女神社(式内社)の祭神であり、また、山岳仏教信仰の山としてかつては中腹に佛山寺(湯布院町)の伽藍が
 あった。
・約9万年前に鶴見岳とほぼ同時期に火山活動を開始した火山で、約2,200年前には山体崩壊を発端とした大規模な噴火
 が発生した。最新の噴火は約2,000-1,900年前となっており、有史に残る噴火記録はないが、山麓には由布院温泉を
 始め温泉群が点在し、活火山であることを思わせる。by wikipedia

湯布院 湯の坪街道

江戸の商店や長屋が続いているようなオシャレな街並み。でも朝早くだったので人もまばらでしたよ。正面は由布岳。

大相撲の九重親方(元大関・千代大海)の優勝額等を展示する相撲ミュージアムが入った観光施設
「御料荘園乃里 湯布院御所」・・・できたばかりだったようですよ。その後、宇奈岐日女神社へ。

とても雰囲気のある参道です。

まるで異次元空間へと誘うようです。

 

神門

神門をくぐると右側に御神木の切り株が並んでいました。平成3年の台風により、なんと144本の杉が被害にあった
ようです。今でも大杉が立っていたら・・・残念ですね。

拝殿

本殿

拝殿前 境内社の政正社と厳島神

宇奈岐日女神社(うなぐひめじんじゃ/うなきひめ-/うなぎひめ-)
大分県由布市にある神社。式内社で、旧社格は県社。
「六所宮」とも呼ばれるほか、「木綿神社(ゆふじんじゃ)」「木綿山神社(ゆふさん-)」の通称もある。

ウナグヒメについて
由布院盆地は古くは湖であったが、ウナグヒメが開拓したと伝える。 現在の祭神は、6柱の神々である。
一方『延喜式』神名帳に記される社名は「宇奈岐日女神社」であり、かつ六国史における神階奉叙は「宇奈岐比咩神
(宇奈支比咩神)」に対して行なわれていることから、当初の祭神はウナグヒメであったと考えられている。
「ウナグヒメ」の名について、「うなぐ」とは勾玉などの首飾りを意味するとし、こういった呪具を身につけた女首長
の巫女が神に転じたと推測されている。一方、「ウナギ(鰻)」に由来するとする説もある。
このウナグヒメに関して、古くは由布院盆地が湖であったという伝説(蹴裂伝説)がある。この中で、由布岳の神である
ウナグヒメは目の前に広がる湖を見て、力持ちの大男に命じて岸辺を蹴破らせた。男が蹴破った結果水が抜けた湖は盆地
となり、その跡を現在の大分川が流れるようになったという。また、湖の乾き残りが金鱗湖となったという伝えもある。
創建
社伝によれば、創祀は景行天皇12年10月であるという。『神社明細帳』では、景行天皇が征西のおりに当地で祭を営んだ
といい、同天皇3年に速津姫が勅を奉じて創祀したという伝承を伝える。当社は由布岳の南西山麓に鎮座している。
『太宰管内志』では「木綿山にます神なので木綿ノ神社ともいう」という記述があるほか、『豊後国志』でも宇奈岐日女神は
由布山神であると記されており、元々は由布岳を神体山として成立した神社であると見られている。
一方、由布院盆地が古くは湖であったという伝承に基づき、ウナギ(鰻)を精霊として祀ったことに始まって、のちに
由布岳の神と習合したという推測もある。
概史
国史の初見は嘉祥2年(849年)に従五位下の神階に叙せられたという記述であり、元慶7年(883年)には正五位下に
昇叙された。これらの奉叙は、「宇奈岐比咩神(宇奈支比咩神)」に対して行なわれている。 平安時代中期の『延喜式』
神名帳には豊後国速見郡に「宇奈岐日女神社」と記載され、式内社に列している。江戸時代までは佛山寺と習合していたが、
神仏分離により現在の姿となった。

境内は1万坪を超え、杉の古木に囲まれていたが、平成3年(1991年)の台風で数多く倒壊等の被害を受けた。 本殿は
朱塗の流造。また、大鳥居が由布院の中心部に立つ。by wikipedia

個人的な感覚では、由布岳の神様というよりも湯布院の町の氏神様・守り姫という感じがしました。素敵な神社でした。