幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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浄土真宗を世界に伝えたい(1)アインシュタイン

2010-03-04 | ブログ
 


今日から「浄土真宗を世界に伝えたい」というテーマを
シリーズでお届けしたいと思います☆




 ※ちょっと声が小さいです。
  本の中の文字は、まず読めないと思いますが、以下の記事を参考に
  してください。


今日はかのアインシュタインがいかに仏教に関心が深かったかを

物語る言葉を紹介しましょう!

まずアインシュタインは、「私の世界観」(1934)

※英語版タイトル「World as I see it」
 原書のタイトル「Mein weltbild」(My philosophyにあたるドイツ語)



の冒頭、最初も最初にこう語っています。

「生きる意味はなにか?
 その質問に答えるのが宗教である。
 生きる意味はないと感じる人は、不幸であるばかりでなく、
 ほとんど生きる資格を持たない。」


What is the meaning of human life?
To answer this question at all implies a religion.
            (implies・・・であることを意味する)


と書いています。
日本で宗教というと、カルト、危ない、非科学的、という反応の人が
少なくないようですが、ここでアインシュタインがいう“宗教”とは
何を指しているのでしょうか?
同じ「私の世界観」に“科学と宗教(Religion und Wissenchaft) ”という
章があり、そこでは宗教について3段階に分けて次のように語っています。

ドイツ語の原文は難しいと思いますので、英語版とそれを訳したもので
紹介します。


  「The World as I see it.」

        ≪私の世界観≫

   --- Albert Einstein  アインシュタイン ---



(     )は 英単語の意味です。


 ■第一段階:恐れの宗教


With primitive man it is above all fear that evokes
    (原始人)         (恐れ) (引き起こす/イヴォウクス)
religion notions-- fear of hunger , wild beasts , sickness , death.
(宗教的考え)

【要約】

原始人にとって、宗教的な考えを引き起こすものは、何より「恐怖」である。
つまり、飢え、野獣、病気、死に対しての恐怖。



Since at this atage of existence understanding of causal connexions
                          (因果関係)
is usually poory developed, the human mind creates for itself
        (不十分な発達)
more or less analogous being on whose wills and actions these
(多かれ少なかれ似ている)
fearful happenings depend.


【要約】

この段階では、因果関係への洞察は未熟であるため、多かれ少なかれ
自分自身と似た存在を想像し、さまざまな恐怖を与えるのは、その存在の意思で
あると考える。



One's object now is to secure the favor of these beings by carrying
          (手に入れる)(友好)
out actions and offering sacrifices which , according to the
           (いけにえ) 
tradition handed down from generation to generation,

propitiate them or make them well disposed towards a mortal.
(期限をとる)
I am speaking now of the religion of fear.
              (恐れの宗教)


【要約】

そこで、いけにえをささげたりして、機嫌をとろうとする。
これが私のいう「恐れの宗教」である。  



 ■第二段階:倫理的(社会的)宗教


The social feelings are another source of the crystallization of religion.
    (源泉・出処)  (結晶、形作るもの)

            
宗教を形づくる第二の源泉は、社会的感情である。


The desire for guidance , love , and support
      願い 指導         保護  
prompts men to form the social or moral conception of god.
 促す          社会的、倫理的   神の概念 

 
指導や、愛情、そして保護を求める願いは、社会的、倫理的な神の概念を
引き起こす。



This is the god of Providence who protects , disposes ,
(摂理の神)          (取り決める)
rewards , and punishes.
 報酬     罰
 
 
それは、信賞必罰をつかさどる、摂理の神である。


 

 ■第三段階:宇宙的宗教


There is a third stage of religious experience
     (第三ステージ)
which belongs to all of them , even though it is rarely found

in a pure horm ,and which I will call cosmic religious felling.
                   (宇宙的宗教)
 
めったにみられないが、第三ステージの宗教がある。
わたしは、それを「宇宙的宗教」と呼びたい。


It is very difficult to explain this feeling to anyone
(説明)
who is entirely without it , especially as there is no
    (全く縁がない)  
anthropomorphic conception of god corresponding to it.
神人同形説・擬人観 概念       応じる

 

【要約】

宇宙的宗教は、神の概念がないため、縁のない人に説明するのはとても難しいのです。


Buddhism , as we have learnt from the wonderful writings of
        (学んだ)  
Schopenhauer especially , contains a much storonger element of it.
(ショーペンハウエル)     (置く・保つ)     (宇宙的宗教の要素)  

 
【要約】

宇宙的宗教の要素がはるかに強くなっているのは仏教においてである。
私たちが、このことを特に学んだのはショーペンハウエルの素晴らしい著作に
おいてであった。




つまり、一口で宗教といっても3段階あるとアインシュタインは言うわけです。

①原始的な「恐れの宗教」

②キリスト教を代表とした“神”の概念がでてくる「倫理的宗教」

③キリスト教的“神”が出てこない「宇宙的宗教」仏教。


    

「宗教なんて皆同じ」なんて、アインシュタインの前ではとても
恥ずかしくていえませんね。
まして「どうせ宗教はカルトだろ」などという暴言は。

そして、アインシュタインに次のように言っています。

Now , even tough the realms of religion and science in themselves
        (領域・レルム)
are clearly marked off from each other , nevertheless there
       (区別)         (にもかかわらず) 
exist between the two strong reciprocal relationships and dependencies.
              (相互関係)
 
【要約】  

ところで、宗教と科学の領域はそれぞれはっきり区別されていますが、
にもかかわらず、宗教と科学には、強い相互関係が存在します。


Though religion may be that which determines the goal ,
                 (定める)(目的)
it has , nevertheless , learned from science ,
(にもかかわらず)
in the broadest sense , what means will contribute to
    (広い意味で)         (貢献)
the attainment of the goals it has set up.
     (設定された目的の達成)

 
【要約】

宗教は目的を定めるものとされていますが、広い意味で科学から
学ぶところがあります。
それはどんな手段が目的を達成するうえで役に立つかを学ぶのです。


つまり、科学は手段、宗教は目的を教える、といったところでしょう。



アインシュタインには次の有名な言葉があります。


Science without riligion is lame ,
             (足が不自由)

religion without science is blind.
             (目が不自由) 

 宗教なき科学は不完全であり、

 科学なき宗教は盲目である。

      『Out of My Later Years』

          

ここで科学なき宗教とは、①②のことではないでしょうか?
そして、宗教なき科学、つまり目的を見失った科学では
いけませんよ、といわれている、宗教とは、
③の宇宙的宗教「仏教」でしょう。

「私の世界観」の冒頭で、

「生きる意味は何か?
 それに答えるのが宗教です」

の“宗教”とは、③の宇宙的宗教、目的を定める宗教「仏教」では
ないでしょうか?
とすると、結論としてこうも読めないでしょうか?

「生きる意味は何か?
 それに答えるのが仏教です」

さすがに西洋人のアインシュタインはあからさまには言えなかった
かも知れませんが・・・・・。


 「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があると

 すれば、それは『仏教』です」(Albert Einstien)


 If there is any religion that would cope

  with modern scientific needs,

         it would be Buddhism.

           『Science & the Search for Meaning』 



 
仏教はとても知性的な宗教だとアインシュタインは繰り返し述べて
いるのです。


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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そうですね・・ (やま)
2010-03-22 07:25:29
生きる意味はなにか?考えることがありますが人間の能力(論理的思考力)では解は出せないような気がします。しかしながら、科学の発達はそれの手助けにはなっていますね、解を出せないと思いながらもそれについて考える材料や方向性は提供してくれているようです。論理的思考力を窮めていって、ある日突然「こうなってたんだ、口でも理屈でも説明出来ないけれど。」にならないかと思っています。なんというか、天が開けるような感覚というか、解はこんなイメージになるのでしょうかねぇ。支離滅裂で恐縮します。

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