幸福学専門30年 筬島正夫が語る本当の幸せ


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幸福をねがい手に入れることが、結局、生きるということ(トルストイ)

2007-11-28 | 人生の目的





人はだれしも自分の利益のため、幸福のためだけに

生活している。

自分のうちにこの幸福に対する欲求を感じないなどという

人がいたら、その人は自分を生きているものとも感じて

いないのである。

人は自分の幸福をねがわずに人生を考えることなぞ

できない。

誰にとっても、生きるということは、とりもなおさず、

幸福をねがい、それを手に入れるということなので、

幸福をねがい手に入れることが、結局、生きるということに

なるのである。

  トルストイ『人生論』

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「人は何のために生きるのか」その答えの第一歩が

「幸せになる為」

ですよね。

いくら価値観がさまざま、人それぞれ、といっても

ここは共通しているでしょう。

美味しいものを食べて、幸せになりたい

お金を得て、幸せになりたい。

恋人を得て、幸せになりたい

伴侶を得て、幸せになりたい

地位を得て、幸せになりたい

名誉を得て、幸せになりたい
        
ぐっすり休んで、幸せなになりたい

  などなど

表面は違っても、根っこは一緒。

だから、

お金を得たけど、幸せではない

恋人を得たけど、幸せではない

伴侶を得たけど、幸せではない

地位を得たけど、幸せではない

名誉を得たけど、幸せではない

ぐっすり休んだけど、幸せではない
    
ならば、表面的に求めていたものは、

本当に求めていたものではなかったということです。

さらに、

お金を得たために、煩わしさが増えた

恋人を得たために、煩わしさが増えた          

伴侶を得たために、煩わしさが増えた

地位を得たために、煩わしさが増えた

名誉を得たために、煩わしさが増えた

ぐっすり休んだために、宿題が増えた(笑)

となれば、よくよく考えねばなりませんね。

概して自分のことは分からないもの。

死ぬほど求めていることが、逆に自分の首を絞める

ことにもなりかねないので、今一度、生きる方角を

確認すべきかも知れませんね☆
      
                  

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