「死への準備教育」(デス・エデュケーション death educatio)なるものがあります。
この教育を通して、「死」、「限りある命」、を見つめ、「生の尊厳」「命の尊さ」などを考えることが多いようです。
ドイツのアルフォンス・デーケン教授(Alfons Deeken)は、
「生と死を考える会」を作り、1982年頃から、この「死への準備教育」を提唱し始めました。
「死を見つめることは、生を最後までどう大切に生き抜くか、自分の生き方を問い直すことだ」と、デーケン教授は提唱し、特に、余命を宣告された人の心のケアの重要性を訴えています。
また、「死のタブー化」により、人生最大の問題である「死」と前向きに取り組む道を閉ざしてしまうことを危惧し、「死」を学ぶ大切さを訴えています。
アルフォンス・デーケン氏があげた、
「代表的な9つの死への恐怖」は、死生学の分野では有名です。
【9つの死への恐怖】
①苦痛への恐怖
死を前にした人の4通りの苦痛
1.身体的苦痛・・・・・・・痛みや呼吸困難などの体で感じる苦痛
2.精神的苦痛・・・・・・・体が思うようにならない苛立ちや、人への不信感などから来る苦痛
3.社会的苦痛・・・・・・・残される家族への心配や、社会的な役割の喪失にかかわる苦痛
4.霊的苦痛・・・・・・・・・今までの人生の意味や、死の意味を考える事から来る苦痛
身体的苦痛だけにとらわれない、総合的な苦痛の緩和を目指す事が重要といわれています。
特に、「4.霊的苦痛」は重要です。
このことは別の機会にお話ししたいと思います。
②孤独への恐怖
人々に見捨てられて、独りぼっちで死を迎えることへの恐れ。
「独生独死(どくしょうどくし)」と仏典に説かれています。
このことも別の機会にお話ししたいと思います。
③尊厳を失う事への恐怖(不愉快な体験への恐れ)
まるで物質のように治療され、尊厳を失うことを怖れ、拒否します。
人間として扱われていないことへのいらだち、最後まで尊厳を失いたくないという心です。
キュ―ブラ・ロス氏も、患者を一人の人間として接することの大切さを訴えました。
④家族や社会の負担になる事への恐れ
「迷惑かけたくない」という思いの強さから、治療費や看病のためにかかる負担を心配します。
日本では特にこの傾向が強いようです。
⑤未知なるものを前にしての不安・怖れ
人は、未知なるものを怖れます。
山奥の古びた真っ暗な館に一人で入らねばならないことを想像すればお分かりになると思います。
「死んだらどうなるか分からない不安・恐怖」の根っこは非常に深く、
この問題は、慰めでは解決つかない問題です。
このことも別の機会に詳しくお話ししたいと思います。
⑥人生に対する不安と結びついた死への不安
社会的に適応できていなかったり、挫折を重ねると、人生自体を否定し、
自分の環境に恨みや恐れを持つようになる事があります。
このような場合、死に対しても強い否定的感情を抱くケースがあります。
⑦人生を不完全なまま終わる事への不安
「もっとやりたいことがあったのに」
と、やり残したまま人生を終えることへの不安・怖れです。
「もっと優しく接していればよかった」
「自分の人生を生きてこなかった」
などの後悔が不安や恐れの引き金となるようです。
⑧自己消滅への不安
死によって自分が「無」になることへの不安・恐怖です。
かなり個人差があります。
先にあげた四通りの苦痛「4.霊的苦痛」の問題が深くかかわっています。
⑨死後の審判や罰・報いに関する不安
キリスト教徒ならば最後の審判(『聖書』によると、この時、今まで死んだ人は一度全員生き返って地獄(煉獄)か天国かの裁きがあるそうです!?)
に対する不安、恐れ。
造ってきた罪から、死後の報いを恐れるなど、「4.霊的苦痛」に関する問題です。
この中で、特に「4.霊的苦痛」と関連が強い
⑤未知なるものを前にしての不安・怖れ
は、慰めや、ごまかしでは解決できない問題であり、
想像以上に深い問題をはらんでいます。
ブログではとてもまとめきれませんので、一冊の小冊子にしました。
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