宇宙おじさん探査記録

世界は平和かい?今日も宇宙は見ているよ。

本物のスーパースター、逝く。

2009-06-26 21:24:00 | 日記
何か、哀しいなー。
勿論、「亡くなる」というのは、悲しいんだけど、そうじゃなくて、

・・「はかない」というのかなぁ、妙に切ない。哀れ(あわれ)じゃあなくて、いわゆる「もののあはれ」とでもゆーか。

マイケル。
ぼくはジャストの世代だけど、実はそれ程好きでもなかった。
たぶんクインシージョーンズ自体をあんまり好きじゃなかったからだろうなぁ。

音もアプローチもかなりあざといし、同じ黒人アーティストならやっぱりマービンゲイとかスティービーワンダーとか(最近の若い子は、スピーディーワンダーと思ってるらしい。速いワンダー。)の方が好きだけど、それでも今スリラーとかBADとか聴くと、すごくタイトで音数少なくてシブい作り、さすがはクインシーだなぁ。

映画「ベン」(ドブ鼠が襲ってくるハートウォームB級パニック映画)のテーマなんか名曲だし、エイズのチャリティーで、凄いアーティストが集結して作った曲でも、何が凄いってマイケルの歌が出た途端、完全に曲の空気が変わるのだ。

スーパースターって、メディアがこぞって言うので使いたくない言葉だけど、「本物のスーパースター」としか言いようがない。

でも、ラジオでもDJが言ってたけど、
「信じられない」とか、「死ぬなんて考えられない」とか、

・・・そうかなぁ・・・。
私は逆に、何の不思議もなく、正直言ってこの人、とっくに「現世」から離れてたような気がするのだけど・・。
むしろ、「・・やっぱり・・」としか思わなかったけどな・・。

3月にヨーロッパコンサートの会見してたの見ても、
既に「この世に」魂を置いてない感じしてませんでしたか?

清志郎が亡くなった時こそ衝撃で、「うそー!死ぬかぁ??」と思って、今だに「死んで、この世にいない」とは全く思えない。
それ程に「人間としてのパワー」がみなぎっていて、それが亡くなった後もずっとまだ続いているという、限りなく「前向き」なパワーを感じるのに対して、

マイケルは何とも「哀しい」、むしろ亡くなったことで「楽になれたね」と言ってあげたくなるような、もう「いっぱいの業火に晒された」あまりにも弱い「少年の魂」を感じて、痛々しくてたまらないのだ。

奇行にも、お金にも、整形も、ヘンな趣味も、どれもこれも
「もともとの生活破綻者」が「スーパースター」として世界の目に晒されるという、「類稀な運命」の、

まさしく「天才」なのだな、と思うのです。

そしてもう一人、彼女もぼくらからすれば十分スーパースターだった、ファラフォーセット、

久々にメディアで名前を聞いた、と思ったら「末期がん」で闘病中、ようやく再婚した、という(お相手の名前共々ぼくらには青春な名前だったりする)。
その途端、亡くなってしまった。

娘にとっての「チャーリーズエンジェル」は、ドリゅーバリモアしかないのだろうけど、ぼくらにはファラフォーセットメジャーズなのだ。

二人とも本当に遠く遠く離れた所のスーパースターだけど、
こんな小さな小さな所から、
ご冥福をお祈りしております。

お疲れさまでした。マイケル。