宇宙おじさん探査記録

世界は平和かい?今日も宇宙は見ているよ。

ほら、始まった。今年は、暴動が起こる。さっそく、その予兆は来た。

2006-01-30 18:11:00 | 日記
大阪うつぼ公園の騒ぎ。
ホームレスと市がバトルして、血を見た。

この様子を見て、やはり暴動はいつ起こっても不思議じゃねえな、と思った。

まず、ホームレスのおっちゃん達には悪いが、公園を占拠してテント張ってるのは、基本的にやっぱりいかんでしょう。
少なくとも、スジとしては市の言い分に理がある。

そもそも、問題はおっちゃん達の「行き場」があるのか、ということだ。
それ自体は、ちゃんと市なり行政なりがフォローして、予算も割いて、受け皿を作って(それもきちんとした誠意に基づく整合性が)あるならば、

逆におっちゃんたちは「ただの我儘」である。

しかし、そういう「受け皿」も「形だけ」(まあ、行政とかそういうの「得意」だし、その辺信用できないのは自明のこと)で、例によって「役に立たない」ものだったりするなら、話は別である。

そうなら、おっちゃん達を追い出すそのやり方は、駐禁だけ張って根本的な問題は「知りません」の警察と全く同じ。

「うちの前にゴミ置くな(そのゴミは行き場がなくてよその家の前に行くだけ)」の論理でしかない。
・・・ちょっとたとえが悪くておっちゃん達ゴメン、ゴミと一緒にする気はないのよ、なのだが、そう思う。

ただ、今回の件に関しては、どうもおっちゃん達、「分が悪い」んじゃないか?
市はちゃんと「一時避難所」も作ってあるっていうし、それならそっちに行けばいいじゃんか。

ああいうおっちゃん達にとっては、あの公園が「終の棲家」だったりするから腹も立つんだろうけど、
・・・それはやっぱりおっちゃん、我儘ちゃうかなあ。

しかし実はこの問題、そういう「スジ論」や理屈でない所に根本がある。

これまたこの国の、様々な「病巣」が「膿んで」きていることの証しであって、

例えば東横インの問題にしても、ホリエモン題にしても、姉歯事件にしても、

「どこにも心がない」ことが共通項である。
「スジ」とか、「規律、法」とか、そういう「理屈」ではないのだ。

「心がない」ことに、こういった「捨てられた」気持ちを持つ人々(おっちゃん達ごめんよ)は特に「敏感」である。
だからこそ、自分の食いぶちを削っても犬を飼ったり、仲間と群れたりするのだろう。

それを「断ち切る」ことにしか思考が向かない、「心」が哀しい、

と、おっちゃん達は「我儘」を言っているのだ。「ダダ」をこねているのだ。

そして、この「ダダ」は、
成人の日に暴れる若者とつながり、回りまわって、ホリエモンが罪を認めないという「ダダ」につながっていく。

やがて国民にその「ダダ」の気分は蔓延し、「何かのキッカケ」で「暴発」する、
と私は見ている。

そしてこの国の宰相にあっては、
この他人の「ダダ」は認めないが、

「おのれのダダは」通し切る「力」を持っている。

暴動になる。