宇宙おじさん探査記録

世界は平和かい?今日も宇宙は見ているよ。

世界の真相について(今回は、かなり「トンデモ」度が強いので、アレルギーのある方はスルーでよろしく)その2

2017-04-19 12:47:59 | 日記
例えば実際、今TVで「堂々と」流れているが、
「ラウンドアップ」という除草剤のCM、
ラウンドアップと言えば
あのモンサントが作った
ベトナム戦争の枯葉剤そのものである。

ベトちゃんドクちゃんがあんな姿に生まれた原因だ。
そういう代物を、
広告代理店、映像企画会社、クリエイターは、
持てるスキルを投入して、
「商品」ラウンドアップを
「よく売れるように」CMを作るわけだ。
また、それを流すTV局があるわけだ。

こんなことを言えば
「ほぼすべての」経済活動は、
「同じかほぼ同等の」、
「業(ごう)」のようなものを抱えていて、

それはもう
「人類が消費経済の中で生きる以上避けて通れない」
矛盾とジレンマを持っている。

簡単に言えば
「食う為に仕方ない」
というだけのことである。

後述するが、この論法、
いかにも反論封じの
便利な黄門様の印籠なのだが、
実は単なる「欺瞞」に過ぎない。

そういうことで自己正当化して
言い訳にして
「考える者」を馬鹿にして
思考停止を推奨する金科玉条の言葉である。

言ってみれば生命にとって実は
「酸素」は毒性があるのだが、
人間が地球上で生きる以上
それが生命活動に不可欠な物質であるのと同じで、

我々人類はそういう「矛盾」の中で
「バランスを取って」生きている、
というのが「現実」である。

「酸素」の事実が我々人間に示唆するのは、
つまり「適正な酸素は生命を維持する糧」であるが、

「不適正な酸素は、
本来持つ毒性を露わにして
活性酸素として生命を脅かす」という
「矛盾」である。

勝手に「U酸素理論」と名付けているが(笑)、
このことは「すべての人類の生命活動」に
転化して語ることが出来る、と私は考えている。
電力などのエネルギーも軍事もである。

この「地球」という「物質界」で生きる限りに於いて、
人間の営み「全て」は、
「完全無欠」なんてあり得ないファンタジーだから、

あらゆるものはすべからく
「不完全」なのであって、
あらかじめそのことは
「あきらめて」おかなければならない。

この世界で起きる矛盾や問題、
不合理、理不尽、そういった
どうにも解決出来ないものはすべて
「フラクタルな」現象の一つであって、

決して「解決出来る完全性」など
「絶対に」持っていないのだ、
「絶対」など「絶対にない」
ことだけは保証されているのが、
この世界現象なのである。

ところが人間は、
この「まやかし」に
いとも簡単に騙されてしまって、

その「真理」を忘れてしまうから始末に悪い。
例えば右翼と左翼がそうだ。

「絶対的右翼」も「絶対的左翼」もあろう筈がないのに、
人々は、まるでそれが「あるか」のように
レッテルを貼って挙句には暴力を行使して
死んだりする愚かしさである。

それぞれの定義に一体人間は
どれほど忠実に一滴の漏れもなく
「俺は右翼だ」とか「保守だ」と言い切れるのだろう。

思想ぐらいいい加減なまやかしはない。
そう思って中学高校と進み、
おっさんになった今、
「やはり」それらは

完全に「作られた」ものだったことが判った。
マルクスも共産主義も勉強しなくてよかった(笑)。
大学にも通らない「アホ」の「劣等生」で私は良かったのである。

学校教育自体が
GHQによる日本人再教育の洗脳工作だったことは
もう間違いないのだから、
そんな「いい加減な」教育、

受け入れて「ゴミ」みたいな知識を
ハチマキ巻いて夜を徹して勉強出来る根性がなくてよかった(笑)。
まあそれは自分の馬鹿を正当化するための冗談であるが、
道理で社会、経済の現場で殆ど役に立たないわけではある。

ちょっと脱線したので元に戻すが、
つまり、経済活動に於いても同じで、
「絶対の善」もなければ
「絶対の悪」も定義できないわけだ。

常に「生きるために仕方ない」という
ジレンマと欺瞞が洩れなく付いてくる。

しかしここに、
「地球という現世」で生きる
我々のターニングポイントが設定されている。

そのことに「感性」で気付いた人が
スピリチュアルに走ったり、
宗教に走ったり、
エコロジストやベジタリアンになったりするのだと思う。

残念ながら、これらの人の方向性が、
どこか「お花畑」的で欺瞞的である理由こそが、
「絶対性」に対する過信なのだ。

おそらく人間は肉を食べないで生きるように
「設定」されていない。
肉を食べないと爪が剥がれたりするし
貧血が酷くなる。

昔の日本人はほぼ肉食ではなかったとすれば、
それなりに「肉食」という行為自体に
根本的な「意味」が隠されているようにも思うが、
それは今は触れないことにする。

いずれにせよ人類の殆どは肉食だし、
少なくとも寒冷地に生きる民族なんかは
肉食以外に食糧はないのだから、

ベジタリアンの思想はその時点で
「自然」とは言えない。
人間本来の「自然」つまり
「設定」に矛盾した生き方、
ということになる。

ただ、だからと言って
「そんなことに」目を向けもせず、
自分たちの姿に疑問も抱かぬ
想像力を持たない大半の者よりは
生きることに誠実ではあるだろう。
まあ、「ふり幅」の問題なのだが。

そしてその「想像力のない」人間は、
「経済」を正当化して欺瞞をごまかして、
明らかに「良くないもの」を売る。

その発想は、
結局「合法ならいい」というわけだから、
基準は「善意」でも「悪意」でもない、

「合法の中で売れればいい」
ということになる。
で、そうならば、
「なんでもいい」ということになる。

そして「そういうもの」でこの世界は溢れている、
というアホな現実にあいなったというわけである。

例えばラウンドアップの正体を、
販売する者が知らぬ筈はないだろう、
それを自分の家の庭で使って、
自分に赤ちゃんが居るとして、

その砂や土で遊ばせるのだろうか。
アホならやるだろうが、
「知っていて」売るぐらいの人間なら
重々承知で売る筈である、
つまり他人にはいいが、
身内には決して触れさせないに違いない。

そう考えれば、
「無責任」ということに他ならないわけで、
それで「商売のプロ」にはなれるかも知れないが、
「人間のプロ」とは言えない。

何故なら、
その子が学校に行って公園で遊んで、
そこで「便利な商品」である
その除草剤を使っていたとすれば、
その子は自分の知らぬ場所で、
自分が「生活の為」に売った商品によって
「汚染」されるわけだから、

一周回って「アホ」という帰結になる。

答えは、
「人間には限界がある」のだから、
「やらない」のではなく、

「極力やる」という方向にシフトする、
100%なんて初めからないのだから、
「出来る限り」やる

「しか」人間には与えられていない。

ならば選択肢は、
「自分の子供を守りたい」なら、
「売る」より
「売らない」方が
結果的に良い結果を生む、
という理屈になる。

「売る」行動を「やる」よりは、
「売らない」行動を「やる」方が
リスクは高くても賢明な結果を生む、
ということになるのである。

だから、
私は極力「善意」をもとにした商品や
経済活動に対して、

対価を得てCMを作る
クリエイティブなアクションを否定しない。

次は、これが「映画」の場合はどうか、
という話に繋げたいと思う。
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