3部で構成される、黒人少年の成長?記。
主人公はなんと!、常に「寡黙」
全くアメリカ人っぽくない(笑)
なぜそうなったかは少年の家庭がまず大きい。
片親の母親はドラッグにふけり、オトコを家に連れ込む。
そんな環境に置かれるうちに、「いじめ」にあい、どんどん内緒的に陥っていく…
で常に「寡黙」… が完成。
この感覚、意外に日本的? ナニワ節的?
(だから共感できるかというと、そうでもないが 笑)
そして最終章のラストに至って当ブログが感じたのは…
この映画、テーマは「愛」じゃなく、「負の連鎖」、だということ。
それはアカデミーで助演男優賞を獲得した、マハーシャラ・アリ に象徴される。
主人公は彼の人柄に惹かれ、その結果?自分の将来の方向にまで影響してしまう。
その影響が章のタイトルにまで反映され 強調される点も、このロジックを裏付けている。
主人公の恋愛観が アッチ方向にいってしまうのも、当ブログの感覚では「負の連鎖」
先にふれた、主人公の「負の環境」が、彼をその方向に誘導している(と考える)
結論:当ブログ的にこの映画のテーマは「愛」ではなく、「負の連鎖」。
この映画のテーマは「愛」ではなく、「負の連鎖」。
と、うたっていらっしゃいますが、本当にその通りだと思います。
でもでも、「愛」もありましたね!?ありましたともさ!!
確かに、ありましたね!
つまり家庭環境や貧困が、ゲイに導いたというのでしょうか?
確かに不幸な環境の中で、更にマイノリティというのは、大変厳しい人生ではあるのですが、『主人公の「負の環境」が、彼をその方向に誘導している(と考える)』という見解、ともすれば不幸な生まれが性の指向をマイノリティに導くとも取られかねなく、私はちょっと疑問です。
むしろ、この映画はその困難さの中で彼は孤独であったわけであり、何より感動的なのは、幼馴染がその孤独を理解し、肩を寄せてあげる、その優しさと寛容さにあったと思えます。それこそ「愛」と言ってもいいのかもしれません。
幕切れにムーンライトに照らされたかつての彼=少年が映し出されるのは、闇で見えない彼(困難で孤独である彼の象徴)に、一瞬の祝福の光が当たったと私は解釈しました。
5年近く遅れのレスで申し訳ございません...
<つまり家庭環境や貧困が、ゲイに導いたというのでしょうか?
そこまで言い切るつもりは毛頭ございません。
とはいえ映画の話なので映画で例えますとURLの映画「キアラへ」
優しさと寛容さが主人公を救うストーリー(実話)
つまり「適切なタイミング」で手を差し伸べることができる社会を
目指すことがとても大事だなという認識でございます