人を見ていると、幸せそうだな~とか、
心配事なんかないだろうな・・・とか、うらやましく思うことがある。
でもね、
「三味線のないうちはあるけれど、琴のないうちはない」
という言葉があります。(保険のおばちゃんから聞いた言葉)
これは、心配事や、悩み事の、「事」を、「琴」にかけているのです。
一見、どんなに幸せそうで、何もなさそうに見えるうちでも、必ずなにやかにやと、心配事があるものだ・・・
ということです。
その言葉で、
数年前、宮崎日日新聞連載の自叙伝に書いてあった話を思い出します。(どなたが書いたのか覚えていませんが)
その作者が若い頃、知り合いの老夫婦の、裕福で立派なお宅に伺った時のことです。
やさしい御主人と奥さん。何不自由なく過ごしておられる。
その家の中を見わたして、うらやましく思い、作者はそのご夫婦に思わず言ったそうです。
「なんて幸せな人生なんでしょう。うらやましいです。」(はっきり覚えていないので、こんな感じと思ってください)
すると、御主人がだまって、壁に飾ってある写真を指さしたそうです。
それは若い学生さんの写真でした。
最愛の息子さんが中学生の時、亡くなられていたのです。
・・・・・・・・・・・・
このご夫婦はそんな悲しみをず~っと背負生きてこられたのです。
どんなに幸せそうに見えても、何もないということはないんだと、若い頃の作者は悟った・・・
ま、細かいことは覚えていませんがこんな内容だったと思います。
美智子様がお好きなカタツムリの話も同じ。
新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」
ある日、でんでんむしは自分の殻の中には悲しみしか詰まっていないことに気づき
「もう生きていけない。」と思う。
そこで、別のでんでんむしにその話をすると「私の殻にも悲しみしか詰まっていない」という。
また、別のでんでんむしも同じことを言う。
そしてそのでんでんむしは「悲しみは誰でも持っている。自分の悲しみは自分で超えていくしか
ない。」と、嘆くのをやめた。
というお話です。
美智子様はこのお話をお好きだと、おっしゃっていましたが、
美智子様には我々一般庶民とは、全然比較にならないほど、いろんな悩みや悲しみがおありでしょう。・・・
すぐ話がそれますが、人それぞれ、自分の道を行くしかない。
また、欲望は果てしない。これでいいということがない。
足ることを知る事が大事。必要。→「欲張らない」
また、色々期待するからこそ裏切られると、落ち込む。
だから、→「期待しない」
と、今の私の座右の銘、「欲張らない」「期待しない」にたどり着くわけです(笑)
煩悩の塊の私。
今日もその言葉を胸に頑張る。(笑)
という事でした!