個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

親父と仕事と私②

2022-09-09 09:44:31 | 教室から
おはようございます。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

学習とはほとんど関係のない親父の話で申し訳ありません。

前回の続きです。

親父が仕事を始め、事務所で寝泊まりするようになり、親父との関りがほとんどなくなったのが中学生くらいだったと思います。高校受験の時期になっても、受験の相談を親父にした記憶はなく、母にしか相談しませんでした。後に母から聞いたのですが、この頃親父は「勉強なんてやっても何の役にも立たん!塾などの教育費は俺は出さんからな!」と言っていたらしいです。1歳上の兄の高校受験が終われば、翌年には私の受験、そして3年後には弟の受験と、かなり大変だったと思います。祖父母や、母がパートで稼いでくれたお金で私たちは十分に勉強させてもらうことができました。

しかし受験は続きます。次は大学受験です。兄が1年浪人しましたので、兄と私の大学受験、そして弟の高校受験が重なるという松下家にとっては非常事態となりました。当時私は塾には行っていませんでしたが、兄は予備校に、弟は学習塾に通っていましたので、それだけでも大変なのに、入試が始まると受験料や合格が決まると入学金や授業料などたくさんのお金が必要となりました。当時の私がダメだったのは、そういった家庭の経済状況がいまいちわかっていなくて、「両親の負担にならないように」という気持ちがほとんどなかったことで、だからこそ安易に浪人する道を選びました。

そのときに久しぶりに親父とゆっくり話しました。「浪人したいから予備校に行かせてほしい」と伝えたところ、「どこの大学を目指しているのか」「ちゃんと勉強しろよ」などの言葉はなく、「わかった。頑張れよ」とあっさり了承してくれました。本当はかなりキツかったはずです。大学に合格した兄は家を出て、一人暮らしを始めました。その仕送りも毎月してくれていたわけですから。そんな両親の気持ちを裏切るかのように、ほんとダメな人間だった私は、予備校に通いながらも授業をサボって遊びに行ったり、勉強に集中しない1年を過ごしてしまいました。結局受験した大学はすべて落ちて2浪することになりました。このときも、自分の学力に見合った大学を受験しておけばどこか合格できた可能性は高かったでしょうが、変なプライドだけあって、勉強もまともにしていないくせに滑り止めの大学は受けず、無理な大学しか受験していませんでした。はー、今思い出しても反省しかないですね。

2浪するとき、また両親と話をしました。今回はさすがに「今年こそは一生懸命頑張るから、なんとかお願いします。そして志望校は〇〇大学にする」と頭を下げてお願いしたところ、前年と同じく「しっかり頑張れよ!」とだけでもう1年予備校に通わせてくれました。私なりに一生懸命勉強に取り組みましたが、残念ながら第一志望には合格しませんでした。また、3浪するのは精神的にも耐えることができなさそうでしたので、第一志望以外にも滑り止めの大学を複数受験させてもらいました。大学は受験料だけでも3万円ほどかかり、さらに私立大学に合格すると期限までに入学金を納めないと合格が取り消しになってしまいます。その期限は国公立の発表前ですので、国公立が不合格になってしまったときのために、入学金を納めないといけませんでした(国公立に合格する自信がそこまでありませんでしたから)。この入学金が20~30万だったと思います。予備校の費用以外にも、受験費用がかなりかかってしまいました。ですが、両親ともに合格をとても喜んでくれ、すべての手続きをしてくれました。

大学の4回生ごろから親父との会話が増えました。あいかわらず家にはほとんど帰ってきませんでしたが、大学卒業後の進路をどうするのかの相談を親父にしていました。その頃には親父の事務所にも何度か行き、なんとなくどういった形で仕事をしているのかわかってきて親父との距離は近づいてきました。私が大阪府警に就職しようとしたときには「お前には合ってないんじゃないか?まだ時間あるし就活頑張ってみたらどうや?」と心配してくれました。私は大阪府警を2週間で辞めてしまい、親父の心配していた通りの結果となりました。親父は個人で営業していたおかげで顔が広く、元警察官の方々にいろいろと話を聞いてくれていたようです。そのうえで私には無理だろうと思っていたようですね。私の性格を親父はよくわかってくれていたんだと思います。

その後私は3年間のひきこもり時代をむかえます。この期間は私の人生においてはとても貴重なものとなりました。すべての自信を失い、半ば自暴自棄になっていましたが、家族の支えのおかげでなんとか踏ん張ることができたのです。

もう少し続きます。

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