2020年4月3日 15:19 南海高野線 狭山駅
桜がきれいな狭山~大阪狭山市駅間
こちらは大阪狭山駅 ホーム内に桜の老木がなんとか2本残っています。
こちらは狭山駅 南海高野線では一番古い駅のひとつ。
明治31年(1898)1月30日 大小路(現 堺東)~狭山駅間の運転開始。今から122年も前。
狭山駅の満開の桜 きれいでしょ。
明治45年(1912)に南海の前身の高野登山鉄道が経営合理化のため、狭山駅の撤廃を決定したことがあります。
この時、地元の人達は「鉄道が地域の発展を促す重要な存在であると評価し、地元に多大の恩恵をもたらしている。」と、廃止に反対しています。
そして、会社側と村民側の代表が十数回の交渉を重ねた結果、条件付きで狭山駅の存続が決まりました。
なんと、村民が高野登山鉄道側への援助金500円を提供するというものでした。当時の貨幣価値を1円=今の2500円と試算すると、125万円程度の負担となります。
村の人の交渉とこの援助がなければ、今の狭山駅はなくなっていたかもしれません。
狭山駅は今も変わらず存在し、満開の桜が咲いています。
明治31年に作られた、イギリス積みの赤い煉瓦の五号暗渠 桜が花を添えます。
狭山中学の裏、東除川を渡る東除川暗渠
トンネルの内壁をねじりまんぼという工法で作られています。全国に20カ所程度しか残っていない明治の煉瓦構造物の貴重な文化遺産です。
五号暗渠 いまも車の往来が多い狭山~大阪狭山駅間の数少ない道路です。
ここはもともと狭山池ができる前の川筋となっていて、土地が周りより低いので、土を盛り上げて線路を敷き、里道や水路を6つの煉瓦のトンネルで通しています。このトンネルが一番おおきく、法面に植えられた桜がきれいです。
三号暗渠 桜が六号暗渠から一号暗渠まで西の法面にずっと続きます。
二号暗渠 水路と里道が通ります。
いちばん狭山駅寄りの一号暗渠
狭山池からのメイン水路が通っています。今は水路を暗渠にして人も通れます。
でも、高さが低いので縁を歩くと頭を打ちます。時折、車がぎりぎり通りビックリします。
5号暗渠付近を走る電車 電車から見る桜もきれいです。
老樹もかなり残っています。
そこを特急「こうや」が通過します。
狭山駅のすぐ南の踏切 ここは両側に桜。はるか左に見えるは金剛山。
桜のシーズンは多くのカメラマンでにぎわいます。
狭山駅 ホームの桜 枯れないで残ってほしいものです。
パンツをはいた桜 狭山駅南側
ネット巻きしているのは、害虫のクビアカツヤカミキリの食害対策で、近年桜の木に幼虫が寄生し樹木内部を食い荒らすため、桜が衰弱したりが枯死することもあるからです。
幹から木の粉が出ているのを見られたことがあるでしょう。成虫が出てきても逃げられないようにしています。
パンツをはいた桜 東除川沿い
ここもだいぶカミキリにやられています。
最近特に目立って大きな桜の木がやられています。大阪狭山駅のホームの老樹も今食害にあっています。
いつまでも、狭山駅や大阪狭山駅のこんな風物詩が残ってほしいです。
この写真は新型コロナウィルスが急激に拡散する前に取材したものです。
撮影:2020年4月3日
2020年4月12日(HN:アブラコウモリH )