ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

希望

2009-03-25 | 移住生活
ちょうど1週間前に近所で火事がありました。
「さぁ、夕飯」という時間で、友だちのメールで知った温(15歳)が、
「ママ、○○ストリートで火事らしいよ。」
と言い出さなかったら、そのまま食事をしているところでした。

知り合いが何世帯かいる通りなので1軒に電話を入れてみるとお話中・・・。すでにヘリコプターが上空を旋回していてただならぬ気配。
もう一度電話を入れてもまだお話中だったのに胸騒ぎを感じ、行ってみることに。近所の人も何人かが外に出て様子を伺っています。
「まさかね。」
と思いつつも、半ば祈るような思いでした。


しかし、祈りは通じませんでした。
火元は友人宅でした。


一家全員が無事なのを確かめるや腰が抜けそうでした。
「全員が無事ならあとの物は・・・」
と心から思いました。命と物。比べるまでもないことですが、こういう状況ではその差たるや気が遠くなるほどでした。

あの状況下、軽い火傷を負いつつも警察や消防の事情聴取に毅然と応える友人、次から次へと差し出される近所の人たち(お互い名前も知らない人がほとんどでした!)の善意、消失を免れた物を運び出す居合わせたみんなのバケツリレーの手際の良さ・・・。
辺りは「絶望」を「希望」にすげ変える魔法が効いていましたよ!

おまけに駆けつけた消防士は消防署から消防車を運転してきたチーフ格の人を除いて全員がボランティア!時間帯から言って、連絡を受け仕事先や帰宅したばかりの自宅からクルマで駆けつけたのでしょう。確かに路上にはたくさんクルマが停まっていました。NZの消防が救急車も含め、ボランティアで支えられているとは聞いていましたが、ここまで善意に頼っているとは驚きを越えた感動でした。(ライフラインの脆弱さの問題はさておき)

あれから6泊7日、友人一家はうちの離れで避難所生活~☆
「なんで建てたの?」
とみんなから首をかしげられていた(実は建てた自分も´ー`ゞ?)離れが役に立ちました!しばしの2世帯9人の生活で本来哀しく辛いはずなのに、なんだかワイワイとキャンプでもしているようで、不謹慎ながらも(?)楽しく過ごさせてもらいました。

信じがたいかもしれませんが、被災した一家も輪をかけて楽しそうでした!本当に一致団結した素晴らしい一家で親も子も笑顔が絶えず、ひっきりなしにお見舞い客があり、差し入れがこっちにまで回ってくるほどの量@@!

子どもたちの元気と明るさがすべてをグイグイ引っ張っていった気がします。火事の翌日まだ12時間も経っていない時間から学校に行きたがっていたほどポジティブな彼ら。大人には真似できませんよ!
制服はあったので靴が焼けていなかったら、本当に行けたかも!


スゴいな~、子どもって!
その存在自体が「希望」ですね。
こちらまで、いっぱい、いっぱい元気をもらってしまいましたよ。

今日からまたいつもの4人と1匹の生活。
寂しくひっそりとした家になってしまったようなー、ー;そう感じれば感じるほど、ほんのひと時でも希望に満ち溢れた時間を一緒に過ごせたのはラッキーでした。一家の再起を祈りながら(って、「もうとっく」という話なんですが ̄m ̄)ポツポツ片付けものでもします。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 移ろう季節に | トップ | 細く長くいつまでも »

移住生活」カテゴリの最新記事