ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

映画「ピンポン」

2013-07-30 | 映画・文化
今朝起きたら

すごい靄


この冬一番では

(※もはや何を撮りたいのか不明なほど視界ゼロ


お向かいさんが

こんななら、


ちょっと先の街路樹も

こんなです


目の前の庭さえ

こんなです




家の前を歩いている人が、フツーに霞んでましたから



こういう日は気温がグングン上がって快晴になるので、
朝7時台の学校へ行く前の善(16歳)がまだウロウロしているうちから、



ウールの手洗い~
あまり絞れない平干しでも1日で乾きそう!



午後からは夫婦でポスターを目にした瞬間から鑑賞決定だった、
映画「ピンポン」

あの日本映画ではなく、イギリス映画です


この赤い帽子のおじいさんたち
「いくつになっても金メダルを目指せる」というキャッチ
という本気すぎるドキュメンタリーに目がテンになりながらも、
馳せ参じましたとも
(※しっかり「映画の日」にですが



ポスターの2人はイギリス人のレスとテリー。
この2人、去年の撮影時は89歳と81歳
若いっ



映画はこの2人を中心に2012年に中国の内モンゴルで行われた80歳以上の世界卓球選手権への出場者だった世界各地の男女4人ずつ8人を試合の前から当日まで追ったドキュメンタリー。8人合わせて703歳


【男子】

レス(イギリス代表 89歳):生来のスポーツマンでボディービルダーでありトライアスリート。御年89歳でも重量挙げで身体を鍛える、出場者一のアスリートで「85歳以上」のイギリス代表。みなぎる体力に強い自信をにじませながら、繊細な部分も見せる主役。

テリー(イギリス代表 81歳):「80歳以上」代表で81歳と8人の中では最年少ながら、最も健康を害してガン闘病中。医者に「あと1週間の命」と宣告されながら、どっこい生きてる 元気そうでも試合中は何度もタイムをとって酸素を吸い吸い苦しそうに闘い抜く姿が胸を打つ。

ルーネ(スウェーデン代表 86歳):レスを長年のライバルにしている、物静かなジャイアント。何度も決勝進出を果たしていながら金をつかんだことがなく、今回こそは!と静かに闘志を燃やす。オーケストラのような無数の鳥の声を聞きながら森をジョギングする姿が感動的。

サン(中国代表 84歳):タバコ農家の出でタバコはスパスパ、酒はガブガブの不良アスリート。娘に止められても減らす気配はゼロ。でも、「これでもいいんじゃな~い」と思ってしまうぐらい、本人楽しそう


【女子】

ドロシー(オーストラリア代表 100歳):100歳ですよ、100歳 普段は車椅子で自分では歩けないのに、いざ試合となると台の前にがっつり立ち、下半身は固定したまま、上半身は自由自在 しかも、早いっ
試合後はサインと写真攻めでまさに大会の顔、スターでした。

リサ(アメリカ代表 85歳):オーストリアの貴族の出だそうで、自宅に卓球部屋を設け、プロのコーチを雇い、14歳年下のイタリア系の夫を従え、決勝前日に真っ赤な勝負マニキュアをしてもらい、いざ、いざ、いざ。新人なのに風格といい実力といい、まさに女王

ウルスラ(ドイツ代表 89歳):前回リオ大会の優勝者。「内モンゴルは遠すぎる」と出場を断念していたら、息子が付き添ってくれることになり防衛戦へ。準備万端、自信満々で挑んでくるリサに対し、こちらは準備ゼロ。経験に物を言わせて押し切れるのか?

インゲ(ドイツ代表 89歳):40年連れ添った夫を亡くし、失意で食べ物の味がわからなくなって拒食症に。じきに認知症が始まり自ら一人暮らしを断念して老人ホームに入居。そこでピンポンに出会い、健全な心身を取り戻すインゲ。


・・・・とまぁ、まるでフィクションのようなつわもの揃い、役者以上の役者が揃い、2000人を集めて試合が始まります


個人的には物静かなルーネとピンポンを通じて自分を取り戻していくインゲが印象的でした。特にインゲが老人ホームの中を案内しながら一幅の絵の前で、「死とは闇から光の中に移っていくこと」という絵のメッセージを紹介しながら、「この教えは私たちのような年齢の者にとって大いなる慰め」と語り、ご主人もそうであったと信じているという言葉に深い愛と感銘を覚えました。


そして誰よりも天晴れだったのは、やはり100歳のドロシーでしょう。
トレーラーにもありますが、
「どうして出場したのですか、そんなにお歳なのに。」
という試合後のインタビューに、
「あら、そんなに歳かしら?」
とケロリと言っちゃうこのセンス
笑いは百薬の長ですな



酸いも甘いも知り尽くした人たちばかりですから、「涙あり笑いあり」の映画的見せ場の連続ではなく、「笑いあり」「微笑みあり」「間あり」という感じで、ふと言葉が切れる瞬間がなんともいえず饒舌なのです。この年齢になると「押したり引いたり」だけではなく、「止まったり」という第三の瞬間があるのを感じました。


 
歳を重ねるのは素晴らしい
人生は素晴らしい

しわくちゃになっても、腰が曲がっても、車椅子に乗っていても、
本人が自分であることを諦めない限り、
彼らは歳をとった「普通の人たち」


ドロシーの
「あら、そんなに歳かしら?」
はウケ狙いではなく、彼女の本心なのでしょう。



映画の後は、

リトル&フライデーへ。
(閉店間際でシャッターが少し閉まってました)


ここのコーヒーはこのサイズだけなのですが、

量、濃さ、熱さ、いつでも、バリスタによっても味にばらつきがない
優秀な1杯


スイーツもあまり残っていなくて、

私は洋ナシのタルト
夫は大好物のドーナツ
(※お腹がいっぱいになってしまって、涙目で夜ご飯作りました


ウールのカーデ2枚は袖の部分を除いてほぼふっくら乾いていました。
明日も晴れそうです。




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