つれづれ

思いつくままに

蟹満寺の白鳳仏

2013-06-13 16:28:14 | Weblog

蟹満寺は、奈良県境に近い南山城の小さなお寺です。
ここに、丈六の堂々たる風格をもつ白鳳金銅仏、釈迦如来坐像が安置されています。
立派な仏さまです。


この白鳳仏を初めて拝したのは、47年前の二十歳のときです。
前にも触れましたが、昭和41年の早春、教養部での学生生活最後の思い出に と、故・鈴村繁樹君と南山城ふたり旅に出かけた折でした。
その前に尋ねた京田辺の大御堂観音さまに惚れこんだ鈴村君は、移り気にも またまた、このお釈迦さまに入れ込んだのです。

正直なところ、当時わたしは この仏さまに、さほど惹かれませんでした。
同じ白鳳仏・山田寺仏頭(興福寺蔵)に憧れていて、その比較から来る感情だったのでしょう。

同じ理由で、わが国仏教美術史上最高の傑作とされる 薬師寺金堂の薬師如来坐像にも、当時あまり魅力を感じませんでした。
その薬師寺金堂の薬師金銅仏に比肩しうる秀作とされるのが、この蟹満寺の釈迦金銅仏なのです。

あれから半世紀近い歳月を経て いま、薬師寺金堂の薬師金銅仏にも そしてこの蟹満寺の釈迦金銅仏にも、山田寺仏頭と同じくらい こころ惹かれるようになりました。


わたしは、白鳳期の仏像がいちばん好きだ とは、くどいほど いくども述べてきました。
美術的な素養に乏しい わたしの好き嫌いの基準は、その仏像の前に坐したとき 心が安らぐか否か、ただそれのみです。
白鳳仏には、間違いなく安寧を与えてくれる、その確かさがあるのです。

このたび、何十年ぶりかで拝した蟹満寺釈迦仏は、一昨年春に落慶した ま新しい本堂中央に座しておられます。
蟹満寺の釈迦金銅仏と向きあっている今、鈴村君の移り気の訳が よくよく判りました。

まぁきわまで近づいて眺めることが許されているのです。
一級国宝仏に こんなことが許されるのかと、奈良や京都の大寺院と ついつい比べて、ありがたく思います。

そういう心安さもあってか、おん前に坐って拝すると、実にこころ喜ぶ心地がします。
深い憂いを内に向かって昇華した優しさは その目が山田寺仏頭に似て、決して弱音を吐かない固い意志は その口が薬師寺の薬師仏に似て、両仏の特長を兼ね備えたお姿。

このような辺鄙な場所に どうして かような秀仏がおわすのか、いまも謎だとされています。

蟹満寺のすぐ南、木津川が西から大きく北へ折れ曲がって流れてできた扇状地を、瓶原(みかのはら)といいます。
美しい地名です。
相楽郡加茂町、平成の大合併で、木津川市になりました。
古くは、恭仁京(くにのみや)が置かれた地です。
しかし、蟹満寺の釈迦金銅仏は、恭仁京造営より 少なくとも半世紀前につくられたはずです。
平城宮よりずっと南の、いまの橿原市あたりに都があった時代に、どうして南山城のこの地に かような秀でた仏像が造られたのか。
まぁ、謎はロマンですネ。

でも、謎解きの興味は、もうむかしに置いてきました。
1300余年の時を経て動かず座する白鳳金銅仏に、安寧の拝顔を果たせたことで、大満足です。

これも ひとえに、作者の偉大な能力と技倆のたまものであり、同時に、1300余年の永きにわたって、礼拝供養をささげて今日まで無魔に保存安置しきった、先人たちの功績でありましょう。


蟹満寺の白鳳金銅仏・釈迦如来坐像、ありがたい仏さまです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« わたしの憲法感 | トップ | 手の記憶 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事