仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

哥(うた)

2017年06月24日 | ムービー
『哥(うた)』(1972年/実相寺昭雄監督)を見た。
物語は、「丹波篠山の山あいに豪荘な邸宅を構える森山家は、広大な山林を所有するこの地方きっての旧家。70歳を過ぎた当主・森山伊兵衛(嵐寛寿郎)は妻・ヒサノ(毛利菊枝)、そして古くからの召使・浜(荒木雅子)と共にひっそりと暮らしていた。伊兵衛には3人の息子がいて、弁護士をしている長男・康(岸田森)は、妻・夏子(八並映子)と共に本家を離れて独立し、弁護士を目指している和田(田村亮)、家政婦の藤野(桜井浩子)、書生見習の淳(篠田三郎)と共に暮らしていたのだが、実は淳は伊兵衛と浜の間に出来た子供で、その事実は伊兵衛夫婦、浜、淳自身しか知らなかった。そして、ある日、消息を断っていた次男・徹(東野孝彦)が突然現れた。"森山家は我々の代で滅びるから、生きている間に財産を使ってしまおう"と康と夏子に持ち掛け・・・」という内容。
淳は随分と几帳面な人のようで、柱時計の♪ぼーん♪ぼーん♪ぼーん♪という音と共に行動することから、「時計みたいな奴だな」と言われている。
食事は白米、おしんこ、味噌汁のみで、おやつは、はったい粉と砂糖を水で溶いたものだけという質素ぶりだ。
康に「たまには血の滴るようなステーキでも食べたらどうだ」と言われても、「穀物の味が僕には一番です」と、まったく聞く耳を持たない。
預かった裁判資料を明朝までにリコピーしなくてはならいと言われても、「僕は5時以降は働きません」とかたくなに拒み続けるのも面白かった。
母から「森山家を守るように」と言われている淳は、午前0時に必ず懐中電灯を持って邸内を見回りしていたのだが、淳の勤勉さのすべては"森山家"を守るために注がれ、書生見習の仕事は二の次なのだ。
(^_^;)
また、墓碑に刻まれている文字を書の手本としていて、墓石の文字を紙に写し取る。
通りかかった僧侶(内田良平)に「書の手本なら他にいくらでもあるだろう」と言われ、「この字を刻んだ石の中には死という名の絶対があります。墓碑名には格別の味わいがあるんです」と答えるのだが、僧侶は「石の中には何もない。あるのは暗闇だけ。墓を作ればいつまでも死者の記憶がこの世に残るというのもバカな考え。死人の魂なんか100年もすれば消えてしまう」と諭す。
あくまでも森山家が守る山林を絶対の存在として守り続けようとする淳の一途な気持ちを現したエピソードだが、淳に対するこの僧侶の台詞こそが実相寺昭雄監督の主張のような気がした。
山林の中の場面が多用され、深い緑が随分と綺麗そうだったのに、モノクロ映像作品であるのがもったいなく思えたのだが、物語は実相寺昭雄監督作品にしては理解しやすい作品だったのではないかと思う。
(^_^)