
平成25(2013)年4月1日の供用開始を予定している"留萌南部衛生組合一般廃棄物最終処分場"(増毛町御料)は、平成22(2010)年11月17日からの工期が設定され、平成23(2011)年6月から準備工事・防災工事に着手、7月27日に安全祈願祭を執り行った上で本格的な建設工事が開始された。
積雪のため冬期間は作業を休止していたが、現在は再開している。
この施設の整備計画が現在の"留萌南部衛生組合議会"で初めて取り上げられたのは、"平成20年留萌市外2町衛生センター組合議会議員懇談会"(平成20年8月15日)でのことだったようである。
"留萌南部衛生組合議会"とは、「し尿処理場の設置及び維持管理に関する事務」「火葬場施設の設置及び維持管理に関する事務」の取り扱いを行うため昭和49(1974)年に組織された"留萌市外2町衛生センター組合"が前身。
ダイオキシン類対策が強化された平成14(2002)年度以降、小平町と増毛町の生ごみ・可燃ごみ・資源ごみも"美・サイクル館"(平成10年稼働/留萌市)に搬入して処分していたものの、同施設の老朽化並びに各町の施設が計画埋立量に達する見込みであること等により、新たに共同での「一般廃棄物処理施設の設置及び維持管理に関する事務」も加えて、現在の"留萌南部衛生組合"として名称・事業を変更したのが平成22(2010)年のことだった。
さて、仁左衛門がこの"留萌南部衛生組合議会"の構成メンバーとなったのは、平成23(2011)年5月30日のことだったが、その時にはすでに"一般廃棄物処理施設"も"生ごみ中間処理施設"も計画が出来上がっていて、"最終処分場整備関連特別委員会"も平成23(2011)年3月で解散してしまったらしかった。
組合議会議員の顔ぶれも変わり、新しく"調査特別委員会"の設置を望む声も上がったようだが、ちょうど仁左衛門が入院していた時期に開催された協議会で取り上げられたものの、その案は実現することが無かったようである。
代わりに、それまでのいきさつ一切を周知するために平成20年度からの会議記録(確か19回分)が新加入の議員に配布されたのだった。
※画像は建設予定地。左端に見えるのが現在の増毛町最終処分場。
つづく
積雪のため冬期間は作業を休止していたが、現在は再開している。
この施設の整備計画が現在の"留萌南部衛生組合議会"で初めて取り上げられたのは、"平成20年留萌市外2町衛生センター組合議会議員懇談会"(平成20年8月15日)でのことだったようである。
"留萌南部衛生組合議会"とは、「し尿処理場の設置及び維持管理に関する事務」「火葬場施設の設置及び維持管理に関する事務」の取り扱いを行うため昭和49(1974)年に組織された"留萌市外2町衛生センター組合"が前身。
ダイオキシン類対策が強化された平成14(2002)年度以降、小平町と増毛町の生ごみ・可燃ごみ・資源ごみも"美・サイクル館"(平成10年稼働/留萌市)に搬入して処分していたものの、同施設の老朽化並びに各町の施設が計画埋立量に達する見込みであること等により、新たに共同での「一般廃棄物処理施設の設置及び維持管理に関する事務」も加えて、現在の"留萌南部衛生組合"として名称・事業を変更したのが平成22(2010)年のことだった。
さて、仁左衛門がこの"留萌南部衛生組合議会"の構成メンバーとなったのは、平成23(2011)年5月30日のことだったが、その時にはすでに"一般廃棄物処理施設"も"生ごみ中間処理施設"も計画が出来上がっていて、"最終処分場整備関連特別委員会"も平成23(2011)年3月で解散してしまったらしかった。
組合議会議員の顔ぶれも変わり、新しく"調査特別委員会"の設置を望む声も上がったようだが、ちょうど仁左衛門が入院していた時期に開催された協議会で取り上げられたものの、その案は実現することが無かったようである。
代わりに、それまでのいきさつ一切を周知するために平成20年度からの会議記録(確か19回分)が新加入の議員に配布されたのだった。
※画像は建設予定地。左端に見えるのが現在の増毛町最終処分場。
つづく