仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

タケカズ少年のプロ野球コレクション(その16)ジャイアンツ山川

2013年05月01日 | 明治 大正 昭和のコレクション
『タケカズ少年のプロ野球コレクション』(その16)は、ジャイアンツ・山川選手の野球カード。
調べてみると、山川武範(喜作/1922年~1981年)氏は長崎県出身の三塁手(右投げ右打ち)で、1940(昭和15)年に山川喜作の名前で名古屋金鯱軍に入団している。
"名古屋金鯱軍"とは1936(昭和11)年から5年間存在したプロ野球の球団で、1940年のシーズン後に翼軍(旧東京セネタース)と合併したことにより大洋軍となり、同球団は消滅した。
また、日本野球連盟は1940年7月31日から8月23日まで【第1回満州リーグ戦】として全球団参加による初の海外遠征を実施しており、山川選手はこの海外遠征中の8月10日・対名古屋(奉天/現瀋陽)において「9番サード」で初先発出場しているようである。
所属球団は、名古屋金鯱軍(1940年)・大洋軍(1941年~1942年)→東京巨人軍(1946年)・読売ジャイアンツ(1947年~1951年)→広島カープ(1951年~1954年)で、背番号は、7(1940年)→25(1941年~1942年)→7(1946年~1951年途中)→10(1951年途中~1953年)→7(1954年)。
1950年まで山川喜作、1951年からは山川武範の名前でプレーした。
生涯成績(1940年~1954年)は、出場試合1001、打数3351、安打844、本塁打26、打点316、打率.252、出塁率.329、盗塁105(成功率72.4%)で、1952年6月26日の対国鉄スワローズ戦(後楽園球場)において、史上7人目となるサイクルヒットを記録している。

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