仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

非主流

2006年09月29日 | じもてぃーライフ
ワークショップ】のつづき。
増毛町立増毛小学校は、明治11(1878)年に増毛教育所として創立され、明治13(1880)年の増毛学校(変則学校)との改称を経て、明治19(1886)年に増毛小学校になった。
現在の校舎は昭和11(1936)年に建設され、いわゆる団塊の世代が入学した当時の教室不足からの増築、給食が始まって調理室が作られたり、便所が水洗化された以外は大規模な改築はされてこなかった建物である。
校内に吹き込んだ雪はそのまま融けることが無いので、ほうきとちりとりで片付けるのだということだ。
平成12(2000)年に校舎の改築(実質的には新築)構想が公表されたものの、この校舎を取り壊すことに反対する意見が多数あったこと、さらに、【増毛の歴史的建物群(駅前の歴史的建物群と増毛小学校)】として平成13(2001)年に【北海道遺産】に選定されたこともあり、増毛町は「現在の校舎を使い続ける」として改築計画は白紙になった。
しかし、【北海道遺産】に選定されたといっても、観光客を意識して弁天町1丁目(増毛駅前通り)の歩道と街路灯が北海道の事業予算で手が加えられたくらいなもので、選定の対象物件には維持・保存のための援助等は一切行われていない。
つまり、この数年間、より良い教育をするために早急に整備しなければならないはずの増毛小学校という建物が、教育という目的のもとには何ら改善も施されず、ひたすら感慨を誘う懐かしく古い建築物という一面が強調されて、観光資源化されているという現状になっているのだ。
そして、このたびの【産業遺産活用まちづくり支援プログラム形成調査】のワークショップ開催である。
仁左衛門が属したグループでは、各々が各々の立場で【産業遺産】やそれを取り巻く状況について(自身が考える理想を含め)発言をしたのであるが、【観光は儲からない】【増毛小学校は安全性・学習環境整備を最優先に考慮する】という仁左衛門の意見は他者と相容れない意見であるらしく、ほとんど採用されなかったのはやはり残念だった。
例えば、「観光客は増毛での観光に非日常を求めて来ている」とのあとに、「しかし、住民にとってそこは日常の生活の場であるので、どう両者の折り合いをつけていくかが重要だ」と発言したのだが、「しかし―」以降の重要な部分が取り上げられず、増毛の観光についての方向性についての意見も一切取り上げられなかった。
また、増毛小学校については、これだけ物騒な世の中になってしまった現在、池田小学校事件のような悲惨な出来事を起こさないために諸々の安全性や学習環境を考慮した整備をしていかなければならないのに、それとはマッタク相反する児童の安全性や学習環境の整備を考慮していない(と思われる)「学校としても観光施設としても併用する」といった意見が出されたのには驚いたし、ガッカリした。
このワークショップに参加してみて、「方向性がほぼ決まっている会合に反対(非主流)の立場で出席するというのは、ナカナカ辛いところなのだなぁ」と感じたのだが、まぁ今回は良い勉強をさせていただいた。
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2 コメント

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小学校 (ウエキチ)
2006-11-13 11:45:19
仁左衛門さん、どうもお久しぶりです。
小学校の件は色々な考えが有るみたいですね。
青年部の意見はとても書ききれないぐらい出て、
かなり過激な意見も有り、とても書けません。(大げさ)
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こんちは(^-^)/ (仁左衛門)
2006-11-13 14:10:02
ウエキチさん、コメントありがとうございます。
>かなり過激な意見も有り
どんなのか聞いてみたいものですなぁ。
(^◇^)
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