親が自分の中にどんなアーキタイプを成長させているか、意識に統合しているかは、
どのような情報を信じ実践するか、○○法で育てるか○○式で教育するのかといった
差よりも、大きな影響を子どもに与えることでしょう。
話が少し脱線しますが、先日、『自分づくりと保育の構造』という本を読み返していて、
保育の場に深刻な影響を与えている、保育者同士の保育観のズレについて書いている
個所で、保育者の「人格・人間性のブラックボックス」という言葉が使われていて、
興味を引かれました。
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(「言葉にされた一般的な目標」のレベルでは一応一致していて)
同じ言葉を使い、同じ活動を展開しているにもかかわらず、
保育者の「人格・人間性のブラックボックス」を通過すると、
とたんに保育実践は異質なものへと変容していく……。
そうした関係が、「保育観」不一致の大きな要因になっていると
考えることができるのです。
この場合、保育者の「人格・人間性のブラックボックス」というのは、
保育者個人の「教育的センス・力量」は、実際にはその人の成育歴や育った環境の
違いを背景にしながら、保育者個人の人格や人間性をまるごと投影する形で、
実践のなかに反映してくるのでした。
『自分づくりと保育の構造』 加藤繁美 ひとなる書房
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この本でアーキタイプの話が扱われているわけではありません。
でも、「人格・人間性のブラックボックス」という言葉を目にして、
それぞれの親や保育に関わる職業に就いている人が、
自分の内面でどのようなアーキタイプを成長させてきたのか、
どのアーキタイプとアーキタイプを意識の中に統合してきたのか、
今現在、活発に活動しているアーキタイプは何なのかが、子どもとの関わり方に及ぼす
影響について、いろいろな思いがめぐりました。
教室でも、子どもに対する価値観を共有し、同じ空間で活動を共にしていても、
それぞれの親御さんによって、何に関心を持ち、何を考え、何を理解し、何を表現し、
子どもとどのように関わり、その日したことをどう評価するかは千差万別なのです。
わたしが伝えたひとことも、親御さんというひとりの人のフィルターを通過したとたん、
わたし自身の捉えとは180度異なるものになるのもめずらしくありません。
あたり前といえば、あたり前のことですよね。あたり前だし、伝えることのほとんどは
それぞれの親御さんの個性でアレンジしてこそ価値があるものでしょう。
でも子どもの育ちにとって急所ともいえる部分で生じるズレを、
どのように縮めて解消するかは、常に頭を悩ましている課題でもあります。
次回は、前回の記事の続きに戻しますね。
本当に私たち親も同じですね。続き楽しみにしています。
なんにでも大事だとおもいますが、子育てにもダイレクトに影響する要素だとおもいます。
そこがしっかりしてさえいれば、教育方針とか子育てのやり方とかはなんでもありなんじゃないかと最近は考えています。
いま幼稚園探しをしているのですが、園の方針がどれだけ素晴らしいものであっても、結局それを実践する人の人間性次第なのかもと思いながらあちこちまわっています。
同じことばを伝えても、それぞれの人がまったく違う受け止め方をするって日常でもよくありますね。
わたしは、そういうのを、同じ場にいても、違うパラレルワールドを生きてる、みたいに受け止めています。
そのくらい違いますよね…。いつもびっくりします。