虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

番外 15年以上前の記録  将棋の時間

2013-12-09 15:58:49 | 日々思うこと 雑感
教室に将棋好きのお客さんがいらっしゃいました。
そこでなつかしい将棋の話題をアップさせていただきたいと思います。
 
 


   <将棋の時間>

うちの近所に「あなたのところは、いつもダンナさんが傍にいていいわねぇ」
と、うちが自宅兼自営業なのを、
ひたすらうらやましがる人がいます。

その人ときたら、高校生になる息子さんがいるのだから、
当然、結婚フタ桁目だと思われるのに、
「私も毎日主人に家にいて欲しいわぁ」と
まるで新婚さんのような言葉を繰り返すのです。

その人がしょっちゅう「うちの主人は面白い人だ」と自慢するので、
私はその詳細な根拠をたずねました。
するとその理由というのは、そこのご主人が頻繁に「トイレにいっトイレ」
といった駄洒落を飛ばすから……という
何ともマニアックな内容でした。

うわぁ……さむいギャグだ……
うちのダンナにそんな氷点下レベルの駄洒落を連発された日には、
暖房費がかかってしょうがないわ……

と思ったのですが、これからの近所付き合いの手前、黙っていました。

将棋を覚えたての頃(といってほんの数ヶ月前ですが)私自身、ダンナが
一日家にいるのを、とてもありがたく感じました。
うちのダンナというのは、子ども時代、少し将棋をかじった程度、
まぁ、ようやく矢倉囲いが組めるかな、
といった棋力の持ち主なのですが……
駒の動かし方を覚えたばかりの私にとっては、二枚落ちでも到底かなわぬ
上手でした。

それで、ダンナは、私が1手指すたびに
「そんな見え透いた手を打って」だとか、
「これは10枚駒を落としてちょうどだ」などと、からかってばかりいたわけです。
ところが、そうして半月も経つ頃には、
お互いの棋力が並んで、ヘボはヘボ同士、手に汗握る白熱した試合を
するようになりました。

一局にかかる時間も、1時間、1時間半……と伸びていき、夕食後、ふたりで
将棋に熱中するうちに、子どもたちは、パジャマにも着替えずに
寝てしまったという日も……ままありました。

その頃、将棋に定跡というものがあることを知り、初心者向けの定跡書を買ってきたのは私でした。私がひそかにそれを研究していると、
初めは、
「定跡なんて、相手はその通りに打ってくれないんだから、無駄だ」
なんて言ってたダンナも、定跡書の棋譜を盤に並べて
研究するようになりました。

それからしばらく、わが家では、

<うろおぼえ中飛車  対  いいかげん向かい飛車>

<おぼえたて四間飛車  対  間違いだらけ穴熊>

といった試合が続きました。
私は昔から活字中毒で、本ならば何冊読んでも苦としないので、
ダンナに勝とうと、次から次へと将棋の本を読み漁りました。

といって、本を読むだけでは、実際の棋力は伸びないものです。
……が、私の傍らに積みあがっていく将棋の本を見て恐れをなしたのか、
私の将棋熱中病のために散らかった部屋を見て、
百年の恋も冷めたのか(将棋への? 私への?)
ダンナは、唐突に、断筆宣言ならぬ断駒宣言をしました。

「二度と、将棋はしないぞ」 

こうして、ダンナに将棋の相手をしてもらえなくなった私は、将棋クラブに通うようになりました……
 
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   <先生>

ある土曜日(子どもをダンナに預けて息抜き中)
梅田の将棋クラブの○席主から
「ちょっと、待っときいや。ええ先生が見えはるからな」と言われた私は、
傍らの椅子に腰掛けて、のんびりと先生のお見えを待ちました。
この席主の言う「先生」とは、奨励会の指導対局……○○○円っとかいう例の先生のことではなく、私のような初心者の下のクラスの者とでも、
一局指してあげようという奇特な人のことです。

「暇なんか? 教えたろか?」
その日、声をかけてくれたのは、お好み屋あたりで、
焼きそば食べながら昼間から一杯やってそうな下町風の人で、
「バカ、ドアホ、どこ指しとるんや」と叱咤しながら教えてくれました。

その先生はトイレに立つ際、持っていた扇子で将棋盤を指して、
「次の一手は宿題やぞ。俺が戻ってくるまでに、考えときなさい」
と言い残していきました。

宿題というのは、今にも破られそうな8筋をかにして受けるか、という問題で、
私はこの答えを子ども向け将棋の入門書で知っていました。
それで私は、手を拭き拭きかえってきた先生に、得意満面で
飛車の頭を歩で叩いて見せました。
そうしておいて、手持ちの角で飛車とト金の両取りをかけようという了見なのです。
「あれっ」という顔をした先生は、いきなり隣で静かに
将棋を指している人に向かって、
「くそっ、お前教えたな」といちゃもんをつけました。

また別の日、市役所の窓口にでも座っていそうな生真面目な男性に教えてもらいました。その先生は、二枚落ちの勝負の間中、一言もしゃべらず、
額にしわを寄せて難しい顔をしていたので、
私はてっきり(あんまり私の棋力がひどいんで怒ってるのだ)と解釈して
びくびくしていました。
ところが、対局がすんだとたん、その先生はにっこり笑って、
「趣味は何ですか?」とたずねました。
「絵を描くことですね」と答えると、先生は神妙な口調で
「では、お茶やお花は?」と問い返しました。その「お茶やお花」という言葉を聞いたとたん、なんだかお見合いでもしているような錯覚を起した私は、
突如姿勢を正し、真面目くさった声で、「はい、絵です」と答えました。
それから自分で自分がおかしくて苦笑してしまいましたがね……。

こうやって、一日生徒体験を積んでいると、即席先生 対 即席生徒 の会話が面白くて、将棋の劇の台本でも書けそうな気分になります。
そこで、実際あった私とある先生との授業風景を寸劇風に書いてみようかと思います。

  場面 将棋クラブ
     卓上にお茶
     将棋盤をはさんで向かい合った男女。
     パチリ……パチリ……(将棋を指す音)

男  駄目だ、駄目だ。
女  何でしょう?
男  玉の囲いは、矢倉に組まなきゃ駄目だ。
女  相手が振り飛車でもですか?
   私、ようやく舟囲いを覚えたんですけど。
男  相手が四間に振ろうと、三間やろうだろうと、舟囲いなんちゃ駄目だ。
   囲いは、矢倉がいっちゃん固いんだ。


  場面  卓上のお茶はなくなっている。
      先ほどの男女が二局目のために駒を並べたところである。
      パチリ……

男  駄目だ、駄目だ。
女  まだ、一手しか指していませんが。
男  上手相手に角道開けてどうすんだ。
   (男、ふんぞりかえり)
   飛車の前を突きなさい。 
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    <二歩>

4階にある将棋クラブのあるビルの階段を昇る途中で、
ちょうど二階と三階の中段あたりで、私はパチパチという音を耳にしました。
まず駒を打つ音だろう、ということくらいはわかるのですが、
その音たるやクラブ中の人が一斉に
「せいの~はいパチ、せいの~」と拍子を合わせて
駒を指しているほど大きいのです。

四十か五十くらいのひとりの男性がその音の主であることが
将棋クラブに着いて判明しました。
その男性は、一手指すごとに、親の仇とばかりに盤をバンバン駒で叩くので、
まるで将棋をしているのではなく、紙相撲でもしているように見えました。

「ひゃ-、こりゃまいった」「こりゃ助からん」と連呼している
その男性の肩越しに盤を盗み見ると、
まさにその人の穴熊城は崩壊寸前でした。
おそらく、その「ひゃー」は断末魔の叫びなのでしょう。

しばらくして、試合を終えたそのにぎやかな男性が、
「どれ、一局どうです?」と
私を誘ってくれました。
「二枚落ちでね、まぁ、教えるという按配でやったって」
とはたから席主が声をかけました。
「ひぇ-、駒落ちかい。まあ、いきましょう」

当時、二枚落ちの定跡を知らなかった私は、スズメ差しの構えで打ち始めました。

私  (トン)
男性 (パンパンパンパン)
私  (トン)
男性 (パンパンパンパン)

試合が進み、私の耳がようやくこのパンパンパンパンに慣れたころ、
その男性に新たな癖が加わりました。
「わぁ、ここに打たれちまったら、しまいだ」
「おれがここに指す、あんたがそこに指す、こりゃ駄目だ」
と盤を人差し指でコツコツやりながら、先行きを読むのです。
本当言うと、中盤あたりから、私はさっぱりどこに指したら
良いのかわからなくなっていたのです。
けれど、その人が、ここほれわんわんとばかりに、
指で叩く場所に駒を置くうちに、
私の有利はどんどん拡大していきました。

席主の「教えるように……」という命を受けて、
私に行く先を指導してくれているのだったら、そんなに悔しがらなくともいいものを、
その男性ときたら、「くそぉ」「こりゃまいった」と
やたら吐く息が荒いのです。

飛車の頭に打たれた歩を取るべきかどうか悩んでいたときです。
私はある驚くべき発見をしました。

なんとその歩の筋をたどっていくと、もうひとつ同じ方を向いた歩があるのです。
私は頼りない笑みを浮かべながら、その奇怪なふたつの歩を指差しました。

狐につままれたような面持ちで私の手元を見つめていた男性は
「に、に、二歩だ~!!」と叫んだかと思うと、
椅子から転げ落ちんばかりに笑い出だしました。
そして、周囲の人が何ごとかと眉をひそめて振り返るなかで、ぐちゃぐちゃと駒をかきまぜてしまいました。
まるで子どもが、積み上げた積み木を嬉々として崩してしまうように……です。
 

(二歩(にふ)は、成っていない歩兵を2枚同じ縦の列(筋)に配置することはできないという、将棋の禁じ手です。 )

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     <父と将棋>

競馬であれ、競輪であれ、賭け事好きな父は、
賭け将棋の方もずいぶん楽しんでいたようです。
父方の親戚から「子どもの頃、有段者の勝った。」だとか
「向かうところ敵なしだった」といった
父の武勇伝を耳にしたことが幾度かあります。

ところが、なぜか私は父が将棋をする姿を一度も見たことがありませんでした。

私が30を過ぎて将棋をはじめたことを告げると、
父は豪快に笑い飛ばしました。
「大人が覚えて上達するもんか……やめておけバカめ!」

ある日のこと、父がぶらりとわが家に立ち寄りました。
開口一番、「どれ一局どうだ」と将棋を指すそぶりをします。
「まだ、覚えて4ヶ月だもの……もうちょっと上達するまで待ってよ」
と渋る私に、
やれ盤を出せ、駒を並べろ、とうるさいことしきりです。

父の聞き分けのなさといったら、
「駄々っ子なんて目ではありませんから、やむなく私は父の前に
鎮座しました。

さて勝負です。
父は3筋の歩をぐんぐん突き出して、石田流の構えです。
私は何度か将棋クラブでその手に泣かされたことがあるので、
多少研究していて、
どうにかこうにかその強硬な攻めをかわしきりました。
そして覚えたばかりの手筋で父の飛車を僻地へ
追いやることに成功しました。

と、突然、強気で毒舌の乾いたためしのない父が、
「こりゃぁ、一手勝ちに持ち込まにゃならんな……」「一手勝ちに……」と、
えらく弱腰な言葉を吐きながら、
駒をうつのです。
ふと、父の百キロ近い巨体が、小さく感じられました。

やはり棋力に大きな開きがあったためか、
局が終盤に入ったとたん、
私の有利は逆転され、父の詰め将棋のような華麗な技で
私の玉はしとめられました。

これからお馬の観戦にでも出かけるのか、
そそくさと帰り支度をすませた父は、
帰りがけに、「☆(私のこと)、おれに勝とうと思ったら、十年早いぞ」
という捨て台詞を吐いて去っていきました。

残された私は、父のはしゃぎっぷりが、憎たらしいやら、
おかしいやら……
しばらく呆然と父の後ろ姿を見送りました。
そして心のなかで、「いい親孝行になったようね」とつぶやきました。

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