虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

学校に通いだしたら、どんどん勉強嫌いになっていく? 2

2010-07-08 06:38:40 | 教育論 読者の方からのQ&A
私が、この『学校に通いだしたら、どんどん勉強嫌いになっていく?』なんて、
衝撃的なタイトルをつけた理由は、
神戸女学院大学文学部教授の内田樹氏の著書『下流志向』で、
勉強を嫌悪する日本の子どもとして、次のような一文を目にして、
何だか心に引っかかっていたからなのです。

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子どもたちが勉強をしなくなっているということはメディアも繰り返し報道しておりますからご存知だと思います。
手元の資料はちょっと古いのですけれども、岩波ブックレットのものです。九十九年ぐらいまでの数字しか出ておりませんが、
その後も新聞で報道されているはずですから、
このIKA(国際教育到達度評価学会)発表の数値はおそらく下がりつづけていると思います。
このデーターからわかるのは、日本の子どもたちは今や
世界で最も勉強しない子どもたちになってしまった、ということです。
         (『下流志向』内田樹 講談社文庫)

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私も、子どもたちが、小学校に通い出してから、次第に学習が伸び悩んでくることについて、過去にこんな記事を書いたことがあります。

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地域の親御さんたちの集まりに出たとき、

利発でハキハキした幼児を育てている親御さんに
小学校高学年や中学生の子を持つ親御さんたちが、
「かしこいのは今だけよ~小学校に上ったらどんどんフツーの子になるから…」
とアドバイスしているのを聞いたことがあります。

この先輩母さんたちは、
別段、意地の悪い気持ちからそうしたアドバイスをしているわけでもなくて
よくある事実…自分たちが経験したことをそのまま口にしているだけなのです。
現実に幼児期に輝いていた子たちが
小学校生活を送るうちに
ごくごく平均的な能力の子に近づいていく…のはめずらしくありません。
小学校受験を終えて、有名な私立の小学校に通っているという子も
同じような道をたどるとよく聞きます。

私も月一度の工作教室をしていたころ、こんなことが何度かありました。
幼児期には言語力も思考力も発想も巧緻性もずばぬけているな~と感じていた子が小学生になった後、
親御さんとお会いしてお話すると、
算数や国語の成績も普通で、あれから工作をすることもない…とおっしゃるのです。
とても賢い子ですから、それは一時期のことで、
高学年、中学生になると伸びてくるのかもしれません。

それにしても、なぜ幼児期に能力が高かった子が
だんだん学力が平均化していくのでしょう?

私は小学生の暮らしや遊びから
脳に良いもの 脳を育てるものが
どんどん失われているからではないかな…と感じています。

塾や習い事に行っている時間が長いと
頭を使っているように錯覚しますが、
実際には脳の一部分を慣れによって鈍らせた形で繰り返し使っていることの方が
多いと思います。
主婦にしてもパートで同じような作業を繰り返していると
しんどいし、確かにその仕事の効率は良くなり技術もマスターするでしょうが
脳そのものが高度になるわけではないですよね。

私が子どものころは、小学○年生 の付録は
説明書とにらめっこしながら何時間もかけて作らなければならないものばかりでした。
田舎に帰省すれば将棋や難しいゲームを習って
年上の子のグループに入れてもらってました。

小学校ではあやとり、シャーリング、編み物、お手玉、読書などが
休み時間のみんなの楽しみでした。
放課後は友だちといろいろ計画しては実行し、失敗しては学びました。

遊び時間も長かったから話したいこともたくさんあって
「せんせい あのねという作文帳には
毎日書きたいことがたくさんありました。
親に聞いてもらいたいこともたくさんあったし、
友だちとじっくり話すこともいろいろありました。
先生に読んでもらったお話は、そのまま妹や近所の幼い子に
話してあげていました。
また暇な時間がたっぷりあったので、読書もずいぶんしました。
特にかつての子が賢かったわけでもないでしょうが、
塾に行く子なんてめずらしかったけれど、学校の勉強についていけない子はほとんどなかったように思います。

それが最近の小学生の暮らしや遊びは、

話す 表現する 相談する 友達に習う あこがれる 
聞く 読む 書く 見る 考える 改良する 発想する 想像する 推理する
作る 学ぶ 感じる 感じたことを伝える 選ぶ 反省する 計画する
熟練する 達成する

など…放っておいても小学生が内側からの衝動で
自然に発達させようとするものを伸ばせる
時間も環境も精神的な基盤も
貧しいのです。
そうしたものの代わりに
テレビやビデオや携帯や携帯ゲームや習い事などが
隙間を埋めています。

私は、小学生には、表面的な成績につながりそうな勉強や
外から評価される習い事の技術を上げることにばかりさせるのでなく

脳を育てる

という観点からのアプローチが大事なのじゃないかな? と思っています。

それは、その子のやってみたいという活動…
(ビーズのアクセサリー作りやキャンプでも秘密基地作りやお料理など)
にじっくりかかわらせてあげることです。子どもは自分の脳に必要な活動を
その時期ごとにやりたがりますから…。
その後、親子で言葉を使って感想や感動を伝えあうと
良いのではないでしょうか?

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上の記事に対して次のようなコメントをいただきました。

「正しい生活習慣や道徳教育、豊富な自然環境、
内側からの衝動による主体的な遊びをたっぷり…
などだけで、勉強という意味での学力がつくかというとそうでもないような気がするのですが、
どうでしょうか?

最近その様な事を考えていて、先生の少し前の記事
『2、3歳児の遊びを知的な学びの世界につなげるには」
というような事がとても重要なポイントなのではないかな、と感じています。』



とても大切な指摘だと思います。
そうなんです。小学生の生活や遊びに豊かさを取り戻してあげることは大切。
でもそれだけでは、まだ足りないものがあって、
いろいろやらせたことが、そのまま学習意欲に結びつくかというと
わからないですよね。

うちの子の小学生時代、子育て環境をナチュラルで良いものにしよう~と
がんばっている方々と、
よく交流していました。いくつかの親子のサークルにも参加していました。
いっしょにキャンプに行ったり、
子どもたちに演劇を見せたり、泥んこ遊びや手芸や料理をしました。

確かに、そうした活動は子どもたちをたくましくも
自発的も利発にもしているようでした。

けれど私は何か物足りませんでした。

ひとりひとりの子どもは個性的で魅力的な子なのです。
ただ親たちのがんばりが、
子どもたちのやる気や活力に火をつけているというより、
空回りしているような、大人と子どもの温度差を感じたのです。
イベントの合間に、子どもたちがずらりと並んで、マンガを読んでいる姿にも
少し引っかかりました。

何が物足りなかったのか……と言えば、

子どもたちのエネルギーがいつも分散してしまって、
知的なものや、自分自身を向上させていく方向に
つながっているように見えなかったのです。

参加している子どもたちはそれぞれ塾や習い事にも通っていました。
そうして豊かな体験もして…それでも、ひとつひとつのイベントが、
あ~面白かった~で終わっていくのはなぜなんだろう?
と感じていました。

エネルギーが分散してしまう…
そう感じた理由は、
子どもたちが、自分を、
肯定的で将来さまざまな可能性が花開いていく存在として
イメージしていないように
感じたからです。
小学生の中学年くらいで
30代後半の主婦のつぶやき…みたいな自分へのあきらめの
言葉があるのです。
またあこがれて自分の将来のイメージを重ねられる人物が、
いないようなのです。

自分という核がない感じ

これは現代の子に共通するものなのかもしれません。

勉強してがんばって自分を大きく成長させたい 夢を実現させたい
という意志のない子に勉強をさせることは、
難しいです。
エネルギーの方向が
これから訪れる未来の方向に向かわずに
今すぐ受けれる快感のところでとどまっている場合、
いくら周りが熱くなっても、本人のやる気は年々冷めていくのではないでしょうか。

多くの親御さんは
子どもが何かできるようになることにはとても興味を持っています。
能力が他人からどう評価されるかにも関心があります。

けれども
子どもの心が何を欲しているか
夢見ているか
あこがれているかに無関心な方は多いです。
学習に対する意志や意欲を高めるよりも
義務でがんじがらめにして、やらねばならない状態を作って
子どもを操作する方が手っ取り早いと感じている方もいます。

子どもを操作したくはない
それに操作してもうまくはいかない…

ならどうすればいいの? と悩んでしまいますよね。

私は学習に対する意志や意欲は、

適度な飢餓感から生まれるように感じています。

食での飢餓感ではありません。
さまざまなものが与えられすぎたり、環境が整いすぎたり、何でもできすぎたり、ほめられすぎたり、やることが最初から決まっていたりせずに
ちょっと足りない、物足りないという経験から生まれる飢餓感。
それが
足りないものを補おう、欠如感を埋めようという気持ちや、
より良い状態にあこがれる気持ちを育くむように思うのです。

刺激が強くて、何でもすぐ満たされる生活をしていると、
地味な活動には少しも心が動かなくなります。でも勉強って本当に地味な作業の連続でもあるんですよね。

例えば、質のいい学習ソフトが出てるので、DSで勉強すると手っ取り早く知識を吸収することができます。
けれども、そうした学習法を繰り返していると、

地味に紙工作をするときのように、刺激が少ない対象に自分から創造的に関わっていこうとする態度が失われるように思うのです。

とにかく勉強って、
どこまでいっても『地味』な相手です…。

それを好きになって、何年間も努力し続けよう…と思うなら、

自然の不思議に心を動かされたり、
手作業をすることに心地よさを感じたりするような
今の時代を逆行するような地味~な感性が必要だと思うのです。

みんなからスポットライトを浴びて表彰されなくても、
親から認めてもらったり、好きな先生からちょっと褒められることに
喜びを感じられる感性が必要だと思うのです。

知りたいな~なぜだろう!という欲求が満たされたときの満足感。
自分のできるようになったことを、お友だちから「教えて~」と頼まれるときの誇らしい気持ち。
ひとりだけできなかったことを、何とかがんばってできるようになったときの達成感。

教育産業の都合や大人のエゴに絡んだものが、子どもの世界を引っ掻き回さなければ、いつの時代の子も、学習にリンクしていくそうした地味~な喜びを、心地よく感じる存在です。

でも、今の時代、先に強すぎる刺激を受けすぎると、(食前にお菓子を食べてしまったときのように)地味~な喜びを感じる感性が鈍ってしまうのではないでしょうか。

子どもの脳を育てるためには
環境と遊びが大事♪

でもそれだけでは足りないですよね。

何が足りないのでしょう?

子どもが自分の人生を自分で歩んでいるという実感

自分でできるようになりたいと感じること。やりたいことを選ぶこと。うまくいかないときに自分で悩むこと。飽きたときに自分で決意すること。
親や先生がやるべきことを決めて、ただ受動的にそれをこなすだけでは、高学年を過ぎるころには、だんだんエネルギーが枯れていきますよね。

適度な飢餓感

知的な遊びを楽しく感じるくらいの刺激の強すぎない暮らし。
工作に喜んで取り組めるくらいの、努力なしに結果を手にしすぎない暮らし。

遊びの世界が技術をマスターすることや
知的な好奇心を満たすこと
好奇心を広げることにリンクしていること。

読書が子どもの義務ではなくて、
家族にとっての楽しみであること。

あこがれたり、知的な興味を共有しあえる仲間がいること。

『個性と才能を見つめる総合学習モデル』J.S.レンズーリ
で紹介されている子どもの個人の才能を適切に伸ばす環境を
用意する。
(これに関しては、またの機会にくわしく紹介しますね)

そうしたことのひとつひとつがとても大切なのだと思います。
もちろん幼児にとっても!

ただ足りないものがあるからと
あせる必要はないと思います。
まず何が足りないか気づいた時点で、
大きな進歩ですから。
足りないもの…というのはプラスするより、
今あるものから何かを減らしていくとうまくいくものがほとんどのはずです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
上の記事を書いたとき、
私は自分の感じとしては持っていたものの、言葉にすることができなかったし、それが言葉になることを意識したこともなかったので取り上げなかったのですが……

前回の記事で書いた
『明後日(あさって)』の感覚という言葉に出会ったとき、

この感覚が、あまりにも子どもの世界から取り除かれてしまったことも、
子どもの意欲低下や無気力の理由のひとつにちがいないと強く感じました。

ちょうどできあがった電池で動くおもちゃでばかり遊ぶのと同じように、
完成度が高く全て管理され、自分の進路は遠い先まで見えすぎるほどに見えてしまうことへのしらけた気持ち。
かと思えば、これも電池製のおもちゃと同じようにからくりや理由がわからない
ブラックホールだらけの世界。

そうした世界で、
学ぶことに、魅力や愛情を感じたり、
学ぶことで、責任感や自立心を育むのは難しいですね。

なら、どうすればよいのでしょう?
私は、前回紹介した日比野克彦氏と鷲田精一氏との
対談の中にその答えのひとつが隠れているように感じました。

次回に続きます。


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4 コメント

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Unknown (ikko)
2010-07-08 21:46:53
今回も非常に勉強になりました。
私は、まったく教育に関してはわかないのですが、主人が塾の経営をしています。
主に、小学校高学年と中学生が多い個別の塾なのですが…。
小学校では、単元ごとにテストをして、生徒に差がでないような内容で、ある程度点数がとれるようにしてある。
点数が悪いと、先生が悪いと親からクレームがくるからで、実際には個々の学力がわからにようになっている。
昔みたいに、勉強は学校でするもの。
授業を受けて、宿題をしていればいいと思って育てていると中学校に入った時に始めの期末テストで驚く点数を取ることになり、その時にはもうどうしようもないぐらいの差ができてしまっている。
親もはじめてその時に勉強ができないことに気付くという例も多いと言っていました。
テストの点だけが、その子の能力だとは思いませんが、レッテルを貼られ授業がわからなくなるとドンドン差ができてしまうのではないかと思います。
だから、小さい頃から習い事をさせて…とは思いませんが、少なくとも家庭学習は大事なのではないか?と思うのです。
脳を育てる遊びと環境が足りないことが、そのような状態を作りだしているのでしょうか?


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Unknown (べべ)
2010-07-08 22:34:06
 今までの先生のブログは、私がぼんやり考えていたことをはっきりと核心をつくように書かれていて、納得することがほとんどでした。
 けれど、今回の記事は、私がまだ全然考えていなかった領域なようです。
 やる気を失っていく小学生・・・。ちょっとショッキングです。
 ゲームのせいなのかと思ってましたが、逆に、自分の核、将来像、などがないからこそ、ゲームばかりするんでしょうね・・・。
 
 でも、今の時代、子供たちはいったいどんな魅力のある将来像を描けるのでしょうか。
 また、今は簡単に手近な快楽が手に入れられるのに、飢餓感をつくりだすのは、結構難しそうですね。
返信する
大変勉強になります (くんた)
2010-07-09 10:48:42
いつも楽しく読ませていただいております。
どの記事もとても心に響き、考えされられる内容で、勉強になります。
(なかなか実践していくのは難しいですが・・・)

そこで、自分のブログに心に残ったことや、感想などを自分への覚書きとして書き留めて行きたいと思いますので、
記事へのリンク・引用等させていただいてもよろしいでしょうか?

よろしくお願いします。
返信する
くんた様 (奈緒美)
2010-07-09 12:30:55
コメントありがとうございます。
どうぞリンクしてくださいね。こちらこそよろしくお願いします。
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