虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

敏感な子ども と 日常の出来事

2017-05-19 07:31:16 | ハイリーセンシティブチャイルド(HSC)・敏感な子
何度か紹介しているマイコー雑記というブログで、

『オールアバウト』へ「ひといちばい敏感な子」の親が知るべき5つの事をまとめました&HSCに無用な苦しみを与えないように

という記事を読みました。

強烈に感じく、良くも悪くも環境から影響を受けやすいという「遺伝子レベル」で決定されている特性をもったハイリーセンシティブな子どもたちは、周りの関わり方次第で、生き生きと活躍する大人にもなり得れば、メンタル面に問題を抱えたり、引きこもりがちで社会への扉を閉ざしてもしまえるとされています。

マイコさんは、敏感な子たちに対して、ネガティブなレッテル貼りではなく、HSCの持つ、「創造性、閃き、驚くべき賢さ、他者への共感」などに目を向けてやりたいですね、とおっしゃっています。

ぜひ、リンク先の記事に飛んでみてくださいね。

 

わたしも子ども時代を振り返ると、とても敏感な子だったと思います。 

でも、難しい家庭環境で育ったので、敏感すぎる自分の感覚を鈍麻させて、本来の自分から乖離したような精神状態で過ごしていることも多く、一周回って鈍感にも見えました。
大人になって子ども時代の出来事を言葉にしようと思う時、自分が、周囲の人々が語ったことと同じくらい、語られなかったことに注意を向けていたことや、実際、見聞きしていること以上に、背景にある空気について、詳細まで観察していたことに思い至ります。
同じ話の繰り返しの部分がありますが、「ハイリーセンシティブ」な感性で眺めていた子ども時代の風景を、もういちどアップしておこうと思います。
 
 
私が子どもの頃、パタリロというマンガの影響で
「だ~れが殺した クックロ~ビン~」と歌いながら
振り付けをつけて踊る友達が何人かいました。
このフレーズはいつも私の耳に残っていて、
あるひとつの事件を思い出さずにはいられなくなります。
 
その事件を書いた記事を貼っておきます。
 
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鳩のフン公害が問題になっていた頃のお話です。

あるとき、ベランダの隣の家との境に
鳩が巣を作ってしまいました。気づいたときには
ヒナの鳴く声が聞こえていました。
「鳩の巣を見つけたらただちに撤去すること」という
団地の決まりがあったのですが、
両親は、さすがに生まれたヒナごと巣を撤去する…ことは
できなかったようです。
そこで、ヒナが巣立つ日まで、家族で罪人のように
コソコソして暮らしていました。
けれど、ついに誰かに通報されてしまいました。
あげくに団地の世話役の方が我が家にすごい剣幕で押し入ってきました。
ベランダでは灰色の大きく育ったヒナが2羽、ちょこんと巣におさまっていました。

次の瞬間、その世話役の人は、怒り狂いながら
私たちの目の前で、ヒナの首をボキンボキンと折ってしまいました。
未だに、ヒナの首がプランっと垂れ下がった映像を
忘れることができません。
当時の大人の世界のルールでは、鳩は悪の存在で
ルール違反も、即罰せられて当然のことなのでした。
でも子どもの私は、それとは別次元で、
その出来事を静かに見つめていました。

別の時、私は友達と子猫を見つけました。
私も友達も飼えません。けれど子猫がノミだらけだったので
せめてお湯で洗ってやって、もう一度この場所に戻しておこう…と
決めました。
ところが、子猫を洗ったあとで 元の場所に置いていく段になって
「あんたたち猫を捨てるの?」と知らない大人から
厳しい注意を受けることになりました。
おまけに、情が移ってしまい
私も友達も猫を抱いたまま、ひたすらうろうろ
ほっつき歩いていました。私は団地の決まりで猫は飼えず
友達はすでに猫をたくさん飼っていて、親から厳重注意を受けていました。
しまいに、私も友達も涙をこぼしながら
友達の家に猫を連れて行きました。
友達のお母さんは、私の顔を見るなり「この猫拾いがー!!」と言いながら
私のほっぺたを引っ張ったあとで
ため息をつきながら子猫を引き受けてくれました。
実は、そこの家の前の猫も、前の前の猫も私が拾ってしまった子でした。
今思うと、本当にいっぱい迷惑をかけました。
○ちゃんのおばちゃんありがとう!!今も感謝しています!

子ども時代って、こんな風に傷ついたり癒されたりの連続でした。
そうした経験の中で、何が正しくて、何が間違っているのか
本当のものは何か?
感じたり考えたりしながら、成長してきたんですね。

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この記事のハトの首をへし折るという出来事が、どうして起こったのか?
その背景について、もう少し記憶を掘り起こして書いてみたいと思います。

この事件が起こる数ヶ月前から、
「ハト公害」と言う言葉が、激しい怒りを伴って世間を賑わせていたように思います。
私の住んでいた団地でも、
「ベランダに干したふとんにハトが糞をする」という理由で、
ハトを徹底的に排除しよう!!
という意見が飛び交っていました。
私の両親も同様の理由で、ハトを嫌がっていました。

ところが、ベランダに出していた家具と隣のベランダとの境界にある隙間に、
ハトが巣をつくり、ヒナがすでに孵ってしまっているのに気づいた時、
ピィピィ鳴く愛らしい姿を前にして、
それらを殺すことまではできなかったようです。
そこで、家の中でまで小声になって、
「どうせ鳥のヒナなんて、すぐに飛べるようになる。あれらが巣立ったら、
あの隙間を埋めてしまおう」と相談していました。

ところがある日、近所からの通報があって、
家の中に乗り込んできた団地の世話役の方の手によって、
私と妹という幼い子どもの目の前で、ハトのヒナの首をへし折られる…
という残酷な出来事へと発展してしまったのです。

この団地の世話役の方は、
礼儀正しくまじめな会社員の方で、
2人の、私と妹より年下のお子さんの父親でもありました。
そうした方が、なぜ、
もしハトのヒナを処分するにしろ、そっと、見えない場所ですることができなかったのか?
なぜ、見せしめのように、ハトのヒナの首はへし折られたのか?
そこから感じた強い憎悪のエネルギーは何であったのか?

私は何度かそのことについて考えたことがあります。

私の住んでいた団地というのは、
美しい桜の並木で有名な場所で、
毎年お花見シーズンには、テレビ局も訪れる場所でした。
そうした良い環境のイメージのおかげで土地は高騰し
団地に住んでいるものですら、
どこかで高級住宅街にすんでいるという特権意識を抱いて暮らしていました。

しかし桜と言うのは、一時期、目を楽しませてくれるけれど、
害虫も多く、害虫駆除の薬の散布や、毛虫の大量発生やらで、
常にストレスを生じさせる木でもありました。
それで、誰もが、桜に敵意すら抱いていたのですが、
それを表に表現する人はいませんでした。

当時、団地に住んでいる人と言うのは、四国、名古屋、沖縄…など
地方から来た人の寄せ集めでした。
ですから、当然、それぞれ、考え方も感じ方も違います。
しかし団地という、あまりにも密接した空間を共有しているため、
お互いに何か不満があっても、
それを口にする人もなければ、
ささいな口論というのも見かけたことはありませんでした。
しかし一見仲がよく、会えばあいさつする間柄の中で、
お互いへの不満や憎悪は、多々存在していたようです。

田舎者の母は、近所の子にねだられれば、
ホットケーキやおやつを焼いて食べさせたりしていましたが、
食事前に甘いものを食べた…という理由で、
そのうちの子が外で立たされているのを見た時、
母に告げることもできず、
私は悲しくなって団地の陰で泣いていました。
 
 
私の住んでいる団地の向かい側の団地に
変質者とうわさされる男性が住んでいました。
年は20~30歳くらいの見るからにもっさりした外見の男性で
いつも近くの公園のブランコの近くにいたように思います。
私自身が被害にあったわけではないので
あくまでもうわさなのですが、
何人かの幼女がブランコの後ろから抱きすくめられた…という
話をよく耳にしていました。

そこで私が公園に行くときや夕方の習い事に行くときは
近所の男の子をまるで護衛のように
あてがわれていた(?)記憶があります。
男の子と言うのは、2人いるんですが、ひとりは本当の仲良しで
小学校の高学年になるまで気持ちの通い合う子だったんですが、
もうひとりは少し年上の苦手な子…。
親同士の気遣いが重かったです。

今の時代なら、近所の人がそんな事件を起したとなれば、
住民同士で団結して追い出しにかかると思うのです。
ですがその時代は、いつもその男性を警戒しながらも
誰も何も言い出せずにいました。

また、そんな折、近所の年上の女の子のお父さんが
近くの路上に車を止めていた男性に殺害されるという
痛ましい事件がありました。
そのお父さんはごく普通のサラリーマンで
また殺害した男性もごく一般的な男性だったと記憶しています。
殺害の理由は おそらく誤解で、とてもささいなものでした。
いつも車をいたずらされて腹を立てていた男性が
たまたま通りかかって車に触れてしまった
女の子の父親を刺してしまったようなのです。
(子どもの時に聞いた話なので正確なことはわかりません。)

あまりの突然のことに、
事件前の口げんかひとつない住宅街のクリーンさと
事件後の何事もなかったかのような静かな(うわさに忙しい人こそいましたが)
光景がどこか異様な風景として記憶に刻まれています。

そんな中で、いつも悪口を言われ、憎まれ、毛嫌いされ
何とかしよう!という住民の話し合いの対象となっているのは
農薬の匂いでも、近所の人の嫌なところでも、変質者でも
女の子の父親を奪っていった殺人者でもありませんでした。

ハト!
ハト!
ハト!
ハト!

団地の人々は、ハトに怒ってました。
ハトをののしり、憎み、いつも何とかして駆除しなければと
頭を悩ませていました。

ハト!

そんなある日、
2羽の小さなハトは、首を、ふつうの人の手で、へし折られたのでした。
それを残虐だと感じる人は、いないかのようでした。 
子どもの目の前で、そうした行為に走ることを
とがめる人もありませんでした。

その後も平和で、会えばみなにこやかに挨拶する団地暮らしは続きました。

しばらくして
「だ~れが殺したクックロ~ビン~」という歌が
友達の間ではやりはじめた時、
私は何度もプラン~と垂れた小さな首のことを思い出しました。

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