虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもとの間で生じる『力のゲーム』から抜けるには? 5

2015-02-03 14:59:36 | 子どもの個性と学習タイプ

これまであれこれ書いてきて、結局のところ、今度Aくんが、

「本を読んで欲しくない」だの「やっぱり読んで欲しい」だの

「やっぱり読まないで」だの「読まないのは嫌」だの、

どっちつかずの態度でぐずる時にどうすればいいのかと問われたら、

わたしの答えは、「今まで通りでいいんじゃないかな」という中途半端なものです。

 

毎日、密に付き合っていく子どもとの関係で、一部分だけ自分のやり方を矯正しても、

正しい対応をしようと考え過ぎても、あまりいいことはないでしょうから。

それなら、Aくんとお母さんの関係についてあれやこれやと思いを巡らしてきたのは

何だったのかというと、そうして十二分にわかった上で、

「こんな時はどうするか」なんて構えないで、自然に自分らしく振舞うと

いいのではないでしょうか。

 

それまでのように、それがお互いの意地の張り合いに発展したとしても、

きっとそれは、Aくんのお母さんが「わたしは、いつものパターンが崩れると、

AかBかの二者選択の急いで答えを出さなければと焦ってしまうところがある。

想像力を使って解決しなくてはならないことが苦手だからな」と意識した上で、

「今日は本を読まなくてもいいの?それなら、お皿を洗ってくるわね」と告げた後の

揉め方とは質が違ってくるはずです。

 

また、Aくんの「Aは嫌。Bも嫌」といった態度に遭遇した場合も、

「この子はどちらの選択肢も否定する時があるけれど、

自分自身の中からAでもBでもない新しい選択肢を作り出すことも多い」と

わかった上でぶつかりあうのは、それまでのエスカレートの仕方とは

異なるにちがいありません。

 

鷲田清一先生が、「賢くある」ということという文章の中で、

<「賢い」というのはつまり「簡単な思考法に逃げない」ということだ。>

と書いておられました。

めまぐるしく変化する現代社会で、多角的にさまざまな立場で長期のスパンを

見据えて、考えなくてはならないような事柄については、

ひとつの正解を求めるなど逃げに過ぎないのです。

子育てにしても、鷲田先生の言葉を借りると、

「あいまいなものにあいまいなまま正確に対応する」べきもの

「正解などそもそも存在しないところで最善の方法で対処する、

という思考法や洞察力」が求められるものなのでしょう。

 

子育ての答えは、子育て本やネットのQ&Aのコーナーにあるのではなく、

親が正解がないことから逃げないで、その時、その時の最善を

探りながら、子どもと歩み続けること、添い続けること、向き合い続けることの中に

あるのだと思います。

 

最初の問いの、

子どもとの間で生じる『力のゲーム』から抜ける方法は、

かつて自分と父親との間で繰り返されてきた、相手をコントロールしようとする

争いを、親としての視点から受け止めなおしてみたり、

現在の子どもと自分の状況や争いの火種となっている物事について、

子どもの目線に下りて眺め直してみたりすると、

心にしっくりくるようなその時々の最善が見つかるかもしれません。

 

 

 


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
具体的なイメージ沸くと理解しやすいです。 (おやじパパ)
2015-02-04 07:45:15
>親が正解がないことから逃げないで、その時、
>その時の最善を探りながら、子どもと歩み続
>けること、添い続けること、向き合い続ける
>ことの中にあるのだと思います。

ここ数年ムスメの影響で(ポケモンカード60枚デッキ)
に嵌って親子対戦していますが、そのおかげか?上記の
言葉がとても理解しやすかったです。

自分がイメージしやすい事象に置き換えて眺めるの大事ですね。
子供にそれがどんな事か?例える時も子に伝わり易い
(相手の興味ある事象に置き換えをして説明すると子の納得感が違います)
返信する
「わからない」ままでいる (tamaki)
2015-02-05 09:56:38
「正解がないことから逃げない」ということばが心にしみました。

>子育てにしても、鷲田先生の言葉を借りると、
>「あいまいなものにあいまいなまま正確に対応する」べきもの
>「正解などそもそも存在しないところで最善の方法で対処する、
>という思考法や洞察力」が求められる

これも、いままでの子育て経験を振り返ると本当にそうだなあと思います。上の子が3才くらいまではかなり「嵐」な子育てだったのですが、いろいろな情報や他の子育て経験者のアドバイスなどが一応頭にありつつも、ひとりとして同じ子どもがいない中で目の前にいるこどもはどういうタイプでいまなにを求めているのか、そしてわたしはいまどう感じているのか、そしていまこの瞬間なにをするべきなのか、正解はないままにその場その場をなんとか乗り切ることの積み重ねでいまがある気がしています。

いまたまたまこどもが小康状態というか落ち着いているからって、簡単に「こういう場合はこうしたらいいのよ」なんて他の人にアドバイスできないし、これからどうなっていくかもさっぱりわかりません。

わかったつもりが危険なんですね。
いままでの経験や本で得た知識にあてはめて「これはこういうことか」
と決めて安心してしまえば、その途端にいま目の前にいるこども、
いまこの瞬間の自分の状態からは離れてしまう。

常に敏感にこどもや自分についてアンテナを働かせる、ということが大事だなとおもいました。
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