「英語の早期教育どこが問題?」というテーマで書いた過去記事を紹介します。
こんなコメントをいただきました。
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こんばんは。いつも参考にさせていただいています。
早期の英語教育について書かれていましたので、先生のご存知な範囲で教えていただけるとありがたいです。
我が家には3歳3ヶ月と1歳2ヶ月の子がいます。いとこ2人(ハーフ)がイギリス在住で現在1ヶ月間くらい日本に帰国しています。
いとこは1人はバイリンガル、一人は英語がメインの子供です。
いとこが帰国する数ヶ月前に上の子が『いとこと英語で話したい』と言い出し、英語の教育を軽い感じで始めました。
現在はいとこが帰国中なので、一緒に遊んでいるせいか今までより英語の影響を強く受けているのが分かります。
下の子は一緒にDVDを見たりサークルに参加したりしていて、本人の意思に関係なく早期教育になっています…。
だいたいどのくらいの年齢から英語教育をするのが適当と思われますか?
本人の勉強したい意思があっても英語の早期教育は良くないのでしょうか?
先生のお考えを教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。
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どのくらいの年齢から英語教育をするのが適当でしょうか?
というご質問なのですが、
「英語教育」と親が意識してする教育は、
子どもが母国語で、内言で考えることが自由にできるようになり、
母国語で、人とコミュニケーションを取ったり、自分の気持ちを表現するときに、微妙なニュアンスの部分でも、
幼い子特有のとんでもない誤用が減ってきた後なら、問題ないんじゃないかな?
と感じています、
子どもはずいぶん幼いときから、
書き言葉にすれば、同じひとつの文章でも、
使う人が変わったり、使われる場面や口調や、表情などが変われば、
異なる意味で使用されていることを理解するし、
5,6歳になったら、皮肉や、冗談や、抽象的な言い回しにしても、
薄々気づいていたり、自分でも使ってみたりします。
自分の生きている世界の人々が共有している文化のなかにある
言葉に表されていないものを
感じ取って使用するほど、母国語に通じていくものです。
先日、保育園児の妹さんと、小学生数人が教室に来ていたとき、
妹さんが、「先生、ないしょ話があるから、耳ちょっと貸して」と言ってきました。
それで、私が、こしょこしょ話を聞き取っていると、
小学生の女の子のひとりが、
「ど~せ、しょうもないで。うちの弟のないしょ話だって、めちゃ、しょうもないねんから。聞く価値なしなし。」と言いました。
「うちの弟のないしょ話……なわとび、いっかい跳べるよ、今日、エレベータのボタン押したとか。
ないしょにする意味ね~」
それを聞いた友だちの小学生は、意味ありげに、ため息をついてみたり、目をクリッとさせて、皮肉っぽく笑って見せたりしました。
その言い方は、
コソコソ話なんかして、感じ悪いんだ~。
それと、保育園児なんていう……小さな自分の弟のような存在が話すないしょ話は、「ないしょ話」ってくくりで表される「他の人に話しちゃいけない大事な話」っていう意味を担ってないのよね~。
どうせ、みんなに聞こえるような声で話したところで、聞きたくないような
くだらない話題なんだから……。
というニュアンスが含まれていました。
すると、確かにないしょ話は、「給食のほうれん草、ちょっとだけ食べてゲロッってした」という自慢声で聞かせてもらったにしては
聞く価値があるのか??
な話でした。
妹さんは、自信満々に、「聞く価値なしなし」と言った姉の友だちに向かって、「聞く価値あるもん」と言い返しました。
「どのくらい?どのくらい価値があるのよ?」
「いっぱい」ときっぱり。
おそらく……「価値」なんて言葉は、よくわからず使っているのですが、
こうして使ううちに、おかしな使い方していると、笑われたりして
修正されていきます。
価値とか意味とか、幼児にはつかみかねるような言葉も、
幼児期の間に、こういう場面で、こんな風に使われるもの……
くらいの漠然とした感覚が、こうしたやりとりの中で身についてくるんですよね。
この日のやりとりで、妹さんがまだわかっていないのは、
「ないしょ話」というのが、
日本の文化では、
「あの子は、のけものにして教えてあげないとこう」とか「あなただけには、特別に教えてあげるわ」とか、「悪口だから大きな声では言えないけど……」といったときに使用されるものだという認識なのです。
でも、こういう妙にしっくりこない「私……笑われてんじゃないかな?」という経験の積み重ねのなかで、言葉にされていない「日本の文化での使用のされ方」とか、「抽象的な言葉の使用法」まで学び取って、
数年後には、
「おかしいわよねぇ~」と目配せしあっている小学生のお姉さん方のような
言葉の使い方ができるようになるんだから大したものですよね。
これはあくまでも私が会ったことのある早期から英語教育をしている子の
特徴なんですが、
言葉を、言葉通りに使いがちで、そうした言葉の背後にある文化的なものや微妙なニュアンスを
感じ取ろうとする気持ちが薄いな……という印象を受けることが
よくあります。
年長さんくらいでも、ひとりごとのような言葉が多かったり、
自分の発している言葉が、場面に少しだけ合わない使い方をしてしまって、
雰囲気がまずくなったり、笑われたりしても、
それに気づけないような印象を受けるときがよくあります。
社会性や精神性やメタ認知という面で、年齢より1年くらい
幼く見える場合があります。
もちろん、これが英語教育による問題だけなのか、
もしそうだとしても、どのような英語教育によるものなのか、
はっきりしているわけではありません。
あくまで印象です。
ただ、どちらかの親が外国人だったりして、自然にバイリンガルになった子たちからは、そうした気がかりはありません。
英語教育に問題があるのではなくて、
英語を教えようとする家庭の中では、
微妙な文化的なものまで子どもに伝えられるような
言葉と経験の結びつきの豊かさが、
失われているのかもしれない……とも思えます。
語学のテキストや絵本や語学のDVDのような
薄っぺらな言葉の世界では、
脳がきちんと機能するほどの言葉の習得過程が経験できるはずもなく、
むしろ誤作動や、混乱をたくさん起させて、
抽象概念を漠然と理解するといった
複雑なニュアンスが関わるものは、最初から遮断する癖が、
ついてしまうのかもしれません。
これはあくまでも推測ですが……。
また英語だけを使う園なども、
子供同士や先生と子どもとで交わされている会話のレベルが
気になりますよね。
「こんにちは」という挨拶ひとつをとっても、
見たことない文化圏で、
どのような人に、どのような時間帯で使ったらいいのか、
どんな場合、失礼なのか、
といった相手のフィードバックをインプットしながら、調節するような経験なしに、使いこなすのってできないものです。
そうしたフィードバックによって、
自分の言葉の使い方を調節していくような機能を、
幼児が母国語の習得に使えること自体、
驚異的なのですが、
外国語を、きちんとしたフィードバックをもらえない
変な形で学んでると、
そうした脳の驚くようなすごい機能が衰退していかないのか……疑問です。
『赤ちゃん学を知っていますか?』 産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班
新潮社
では、基本言語が未成熟な段階では乳幼児の英語習得は
悪影響を及ぼすことがある例として
「成長の空白」という言葉が使用されていて、
それにはとても注意が必要だと感じました。
『赤ちゃん学を知っていますか?』 産経新聞「新・赤ちゃん学」取材班
新潮社 から。
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ニューヨークに、現在120人の園児たちが通う幼稚園があります。
その幼稚園で在米日本人ビジネスマンらの子どもの成長を25年以上見守ってきた
方は、日本語で育ってきた子どもが突然、
「英語環境」へ入ったとき起きるトラブルとたくさん出合ってきたそうです。
いずれも、基本言語が未成熟な段階で異言語入り「成長の空白」が生じることが
原因だったそうです。
「突然、口をきかなくなる」
「精神的な成長が一定期間滞り、5歳児なのに、3,4歳児並みの認識、表現能力しかしめさなくなってしまう」
「絵を見せたり、音楽や物語を聞かせたとき、刺激に対する感受性や表現力が、1,2歳ほど幼い」
など。
園長先生によると、
ある刺激を受けたときに人がしるす反応は、
特定の文化的背景や習慣と無関係ではありません。子どもは子どものレベルで意思疎通できる仲間集団の中で、
言葉だけでなくその社会のルールや文化を学んでいきます。
異言語の集団に突然入って、それまで獲得したルールが通じなくなった子は、
外界との意思疎通の手段が閉ざされて、成長の空白期に陥ってしまうということです。
2つの言葉を操るとき、英語構文と日本語単語を混用する
といったことがよく起こります。
すると、まとめて会話するのがおっくうになって、
コンプレックスから友人関係が築きにくく、
「思いやり」「協調性」「自律性」「集団のルール」など
幼児期に獲得しなくてはならない
「言葉以前のコミュニケーションの基本」ができず「成長の空白(停滞)」に入るそうです。
言語とは、思考そのもので、
思考はそれを成り立たせている文化、歴史、社会的背景と不可分なものです。
人間は同時にふたつの言葉でものを理解し、考えることはしません。
ひとつの言語で自分の世界を築き、外界を理解して成長し、
第二言語は第一言語を使って習得します。
園長が成長の空白(停滞)を呼ぶものとして
注意を呼びかけているのは、
「乳幼児を英語のテープ漬けにする」
「ネイティブでない親が英語で話しかける」
「異言語環境に子どもだけ突然放り込む」
といったことです。
この園の園児の親たちの声です。
「海外で乳幼児から子育てすると、まず母国語の語彙や表現力、論理的な展開力をしっかり養い、
考えたり、理解する力の基礎を作りことが大切だと痛感します」
「英語的発想、語感を持ち合わせていない人が英語で語りかけると、
子どもは混乱します」
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教室の子どもたちの成長を観察していると、
幼い頃から英語のDVDをよく見ていた子たちが、
「英語やめて~」と、英語のDVDや英語の絵本を拒絶する時期が
あります。
思考や表現力が急速に発達し始め、DVDなどを見るときも、
背後にある意味を読みとることができるように
なる時期です。
このとき、英語のままでも嫌がらない子たちというのは、
「意味」を察する力に
弱さを感じるときがあります。
かなり大きくなっても、テレビ画面のキャラクターがドタバタ動くことだけを
喜んでいて、正確な内容がわからなくても
頓着しないのです。
そうした子と会話していると、
会話中に、アニメの主人公の言葉を,そのままさしはさんでひとり笑いしたり、
相手の言葉を正確に把握して、返事をしようと思っておらず、
一方通行な会話が多かったりする印象があります。
英語教材による弊害というより、英語を子どもにインプットすることが
重要視されている家庭では、
日本語による会話や体験が、
不足しがちなことにも原因があると思います。