の続きです。
『ロボット化する子どもたち』にこんな話が取り上げられています。(要約してお伝えします)
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最近、大学においても「評価」が重視されるようになっています。
研究業績はもちろん、講義のよしあしについても。
そこで評価される「よい講義」って何なのかというと、「学生にとってわかりやすい講義」であって、
できるだけ多くの情報をできるだけ短時間に効率よく学ぶことができる講義となります。
そうしたスピーディーな「学び」の価値観が浸透した結果、私たちは
「じっくり学ぶこと」を軽視する傾向にあります。
昔からの「学び」のスタイルだった、本をじっくり読む熟読、じっくり考える熟考が忘れ去られつつあります。
少し冷静になって考えてみると、(この冷静になって考えてみるも今の時代忘れ去られているひとつですが)
どんどん大量の情報を頭の中に詰め込み続け短時間に効率よく学習した結果、私たちは幸せになっていないし、
余暇を有意義に過ごせているわけでもない。ふと自分を振り返ると、頭の中には何ら生きていくために役立つような
知識が蓄積されていないことに気づき愕然とする。
高度情報化社会に必要なのは、リアリティーのある情報なのだ。
「学び」とは、ただ情報を頭の中に蓄積すればよいのではなく、情報の価値を身体全体で
漢字、身体にしみこむような感触を楽しみながら学ばなくては
意味ある知識にはならない。
20世紀は、知識を得るためにつらくとも必死で学ぶ時代で、そこに学ぶ喜びはなかったが、
21世紀は学ぶこと自体が楽しい時代となる。そこでは、「じっくり学ぶこと」が大きな喜びをもたらせてくれる」
(『ロボット化する子どもたち』渡辺信一 大修館書店 より引用)
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レッスンの時間が近づいたので、続きは次回に。