濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

想定外の結果

2016年10月31日 | ひとりごと・・
日本シリーズは意外な幕切れとなってしまった
いや、想定(予想)通り・・・という人もいるかもしれないが、
オイラ的には第7戦までもつれ込み、第7戦は黒田 対 大谷!!

贔屓のチームは別にして、多くの野球ファンはそう願っていた
引退を表明した男気!黒田の雄姿!!
そして、これから日本球界を背負って立つ若武者大谷との対決



残念ながらこれを見ることなく第6戦で決着がついてしまった
日ハムファンにとってはドラマチック!だったかも知れないが、
ある意味、拍子抜けというか、残尿感のような・・・
オイラ的にはイマイチ物足りなさを感じる

しかし、日本シリーズといえば球界の頂上決戦!!
来年は、テレビではなく、ハマスタで日本シリーズを見る!!
ラミちゃん!!頼むよ~~~

さて、きのう、TBS系で放映されたS1
目玉は、メジャーのマエケンの密着取材だった
初年度、彼が活躍できたのは、専属トレーナーのおかげ!!

すると、画面には、マエケンに施術するトレーナーが!!
「ん・・・・渡邊先生じゃん!?」


チアに扮したマエケンと渡邊誉(ほまれ)氏

渡邊先生は、去年までDeNAのドスコイ(山口)専属
ことしの春、ハマスタでお会いしてからご無沙汰だったが、
まさか!マエケンの専属として渡米していたとは!!
日本シリーズの結果、そして渡邊先生登場で2度ビックリ!!

恐らく、先生もマエケンと一緒に帰国しているはず
オイラもゴルフが上達するよう!!
先生に施術してもらおうかなア・・・・

初時雨(はつしぐれ)

2016年10月31日 | ひとりごと・・
初時雨猿も小蓑を欲しげなり(はつしぐれ さるもこみのを ほしげなり) 芭蕉
元禄2年9月下旬、芭蕉46歳。伊賀越えの山の中で初時雨に遭遇したときの一句
初時雨とは、秋の末から冬の初めにかけて、ぱらぱらと通り雨のように降る雨のこと

先週、千葉でゴルフに興じていた。予報通り、午後からぱらぱらと雨が降り出した
すると、キーキー!!という鳴き声とともに、20匹ぐらいのニホンザルの群れ!!
そのうち数匹がティーグランドに居座り、ギャラリーと化している



野生のサル。それも相当数を間近で見たことがない
サルの凶暴さを度々映像で見たことがあり、プレーに集中できない!!
それを悟ったのか?それからすぐに山のなかへと姿を消したサル軍団

さて、ゴルフは、雨が降ろうとサルと遭遇しようと、結果はいつも通りのスコアー
あの日のスコアーは記憶に残らないけど、初時雨とサルの記憶だけは忘れない!!
傘地蔵じゃないけど、サルたちに合羽でもプレゼントしときゃよかった

秋の蝶

2016年10月31日 | ひとりごと・・
きょうはハロウィン!!いよいよ芝浦運河にも冬の使者がやってきた!!
今朝、カルガモの集団に交じり、冬の貴公子!!オナガガモの飛来を確認した
こうれから日を追うごとに渡り鳥は数も種類も増えていく。これも楽しみ

さて、日替わりで肌寒く冷えこみが増している
まもなく冬を迎えようとしているにも関わらす、宙を舞う蝶々・・・
蝶々は春!?と思いがちであるが、冬をのぞき世代交代を繰り返している

とはいえ、暖かいときの最盛期にくらべれば見かける数は少ない
盛りを過ぎるがゆえに情趣を感じさせる「秋の蝶」は季語にもなっている
これを知っていれば毒舌の先生から「才能アリ!!」と褒められるかもね

秋の蝶・・・蝶の命はわずか~2週間と云われている
晩秋にさなぎになった揚羽蝶はサナギのまま冬を越し、翌年の春に羽化する
時に弱々しく、時にたくましくも見える・・・



越冬したサナギが羽化し始めるころ、芝浦運河の渡り鳥たちも旅支度を始める

グラグラ

2016年10月27日 | ひとりごと・・
困ったことに、世界的規模で“地べた”が揺れている
イタリアでも大きな地震が発生しているし、日本でも熊本、鳥取、そして千葉でも・・・
地震が頻発している。ゆうべも千葉を震源とする震度2の地震があった

揺れはたった一度だけ、“ドカーン”という、下から突き上げられるようなもの・・・
半世紀以上も生きてきて初めて体験したもの。正直「怖かった」

大きな地震が発生するたびに「想定外」というキーワードで語られることが多いが、
熊本でも、鳥取でも歴史的に見れば、同じ規模の巨大地震は繰り返し起きている
そもそも、日本は明らかに地震国であり、火山国だということを再認識すべきである

誰しも、「起こることは確実だが、いつなのか?」と思っている
しかし、誰しも「ここは大丈夫!!」そう暗示をかけて胡麻化しながら生活している
そりゃそうだ。気にしてちゃ何もできないし、仕事なんか身が入らない・・・

ただし、地震や火山の活動には「活動期」と「静穏期」があるが、明らかに「活動期」
東日本大震災がトリガーとなり、熊本、鳥取は想定内。これらは、南海トラフの序章・・
こう明言する研究家が多数を占める

加えて、首都圏直下型地震や、富士山の噴火も警戒すべきなのである
すべて“可能性”を否定できないどころか、これらが起こる確率は100%!必ず起こる
富士山にしても、人間で言えばまだ20歳。非常にパワフル!!

明日は千葉の某CCで開催されるゴルフコンペに参加
天気も心配であるが地震も怖い!
これを考えるとアクアラインのトンネルなど怖くて運転できなくなる!!
どうか揺れませんように

2016日本シリーズ

2016年10月27日 | ひとりごと・・
日本シリーズ第4戦、1-1で迎えた8回2死一塁!!
広島ジャクソンから中堅左に決勝2ランを打ち込んだブランドン・レアード!!
てっきりオイラより年上かと思っていたが、アラサーの29歳!!



主砲の中田が打ち、頼りになる助っ人が勝負を決める!!
最高の勝ちパターン!!これで日ハムは本拠地札幌で2連勝!!
かなり盛り上がっているんだろうね!!
横浜市民として、来年はハマスタでこうした光景を見たいね!?

いづれにしても、今日の札幌では決着がつかない
この週末、広島は大変な盛り上がりになるんだろうね!
ある意味羨ましいものがある



野球ファンが描くシナリオとして、
2016年の日本シリーズは第7戦までもつれ込み、広島が1点差リードのまま9回へ
マウンドには黒田!!迎えるバッターは大谷、そして中田・・・

く~っ!!!!!!!!!!
想像しただけでたまんない!!!!!!!!!こういうのがプロ野球の醍醐味!!
果たしてその結果は!?

〇〇前線

2016年10月26日 | ひとりごと・・
年々“異常気象”の傾向が激しく、過去に経験したことがないような気象現象が多い
また、今朝、富士山で初冠雪が観測されたが、観測史上“最も遅い記録”そうだ
こうした記録更新があまりにも多すぎて、すぐに忘れちゃう!これって歳のせい?

さて、これから来年の春までは「前線」を伴った低気圧が天気図の上で活躍する季節
天気図を見ると低気圧の中心から両側に三角や半分の円が付いた線が引かれている
これが「前線」といわれるやつだ

前線とは、温度や湿度など性質の違う空気集団が「押し合いへし合い」」をしているところ
そのため、前線を境にして温度や湿度、風向きなどが異なり、前線が通過するときに、
天気が悪くなるという傾向がある

中学で習ったはずではあるが、本来、前線の種類は4つだけ
「温暖前線」、「寒冷前線」、「停滞前線」、「閉塞前線」・・・覚えていた人はかなり“優秀”

しかし、近頃は、「梅雨前線」とか「秋雨前線」というのもあるが、これらは、あくまでも
その季節に現れる前線の総称であり、実在しないものだ

また、便乗商法!?じゃないけど、
「サクラ前線」「紅葉前線」、さらには、「インフルエンザ前線」ってーのもある
しかし、こうした前線は忘れがちな季節感を“警鐘”してくれる役目もあるので大歓迎!!

この時期、オイラ的には「紅葉前線」が一番気になる
先週、寄合で箱根にでかけてきた。例年であれば多少なりとも山が赤く染まっているはず
しかし、残念ながら、“紅葉”を満喫するには至らなかった



仙石原の“ススキ”には、多くの観光客が押し寄せていた
その8割は外国人だったが・・・箱根での紅葉狩りができるまで、いま暫くの時間が必要
それでも色付き始めると一気!に進むのが「紅葉」
くれぐれも、お見逃しなく!!

余談になるが、
箱根での寄合には、結婚を表明した三原じゅん子先生も来賓としてお見えになっていた
もちろん、お相手の秘書も一緒。そういえば、秘書・・・誰かに似てるなア~~と、
暫く気になっていた

やっとその答えにたどり着くことができた!!
最近見かけないけど、おさるの相棒で芸人のコアラ!!
先生、あのタイプがお好きなんですね・・・・

2016 日本シリーズ(第3戦)

2016年10月26日 | ひとりごと・・
よく耳にするのが、「親の意見と冷や酒は後で利く」という教えがある
これは、親の意見というものは、はじめは煩いと思っても、後になれば思い当たるもの
そうした意に使われるものである

また、「親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない」
昔なら理解できる諺であるが、この例えを理解するにはナスの生態を知らなきゃダメ!
ナスは、花は咲けば必ず実をつける!つまり無駄はない!ってーことだね

どちらも共通しているのは「親の意見ってーものはよく聞きなさい」という教訓
しかし、他人の意見ともなればそうはならない
すべて・・とは言わないが、とくに気をつけなきゃいけないのが「評論家」と称する輩



きのうの日本シリーズ第3戦
広島は、球界のレジェンド!!今期で引退を表明した黒田が先発
日ハムは、これから日本球界を背負って立つ‟二刀流”大谷が3番DHでスタメン入り

野球ファンを自称するのであれば、贔屓チームとは関係なく楽しみな一戦である
結果はご承知のとおり。先発の黒田!まさに男気の一球入魂!!!!
そして、大谷も打者として非凡な能力を発揮!!決勝打を決めた!!



勝敗はともあれ、一野球ファンとして、きのうの試合内容には“大満足”
黒田にしろ、大谷、そして中田にしても“持っている”野球人であることを再認識!!
自分がイメージしたとおり、最後まで目が離せない!!本当に好ゲームだった

ところが、一夜明けてみると、
「広島サヨナラ敗戦に2つの疑問」であるとか、
「〇〇が語る勝負の分かれ目」

結果を知ってからどうこう言うのは簡単!疑問もへったくれもあるもんか!!
それより、もっと大切なことを忘れちゃいませんか??
球界を去っていく男気!黒田。これからの球界を背負って立つ大谷への称賛を!!

あれだけの好ゲーム!テレ朝に「受信料」を払っても構わない!!
と、オイラは思っている・・・・

日本の古典芸能を堪能する 最終回

2016年10月25日 | ひとりごと・・
さて、前回までの“おさらい”をしておこう
琵琶法師・・・・盲目のお坊さん(男)で、琵琶の門付を生業とするもの
三味線と胡弓・・中国の三弦という楽器をベースに、琵琶法師が改良して誕生したもの
門付・・・・・・地方を巡業して琵琶、三味線、胡弓などの芸能を生業とするもの
瞽女(ごぜ)・・ 盲目の女性で、三味線や胡弓の門付を生業とするもの
旦那・・・・・・面倒見のいいお金持ち(パトロン)

この5つのキーワードを思い出してくれるとオイラもありがたい
さて、前回は、越後瞽女の佐藤千代さんが登場したところで「つづく」となったが、

千代さんとは、「越中最後の瞽女」と呼ばれた女性である
明治17年(1884年)立山町座主坊の宿坊「杉本留次郎の4女」として誕生するも、
生家は貧乏人の子沢山、千代さんは養女として出される

千代さん7歳のとき、養女先で天然痘が原因で失明してしまう
これが彼女の転機となる。富山といえば加賀百万石。前田利家の時代から民政が行き届き、
盲目の女子には歌や踊りの座敷芸を習わす「座」の制度が整備されていた

この座で千代さんは「瞽女」としての教育を受ける
その結果、抜群の記憶力!そして、事声が澄み切っていて綺麗であったこと!!
彼女は幼くして人気の高い瞽女となり、多くの旦那衆から可愛がられたそうだ

そのうち、千代さんは、自分の声が胡弓の響きに合うってーことに気付く
そこで、三味線の代わりに胡弓を伴奏楽器に代えてみるとさらに評判が上がったそうだ
ますます胡弓奏者として腕に磨きをかけた千代さんだった

実のところ、晩年、千代さんは、
「切れるかもしれない三味線より最初から胡弓を抱えて旅にでたほうが安心」
「胡弓は三味線より小さいので持ち運びにも容易です」と語っていたそうだ

この千代さんの引く胡弓に影響を受けた男がいる。輪島市出身の松本勘玄である
彼は、家業の漆塗りを継いだが、16歳で大阪に出て、浄瑠璃、長唄、小唄、そして、
三味線などあらゆる芸事を取得する

やがて、旅芸人一座とともに全国を行脚するようになった勘玄であったが、
旅先の八尾が気に入り、所帯をもって八尾に定住するようになる
そこで出会ったのが佐藤千代さんである

千代さんは旦那衆の招きで八尾に滞在、当地で胡弓の流しをしていたそうだ
静寂の彼方から ゆるりゆるりと流れくる胡弓の調べ・・・

これに衝撃を受けた勘玄、持ち前の遊び人の血が騒ぐ!!風の盆と胡弓・・・
彼は迷わず胡弓の習得に日夜励んだという。その結果、明治30年代のはじめごろ、
おわら(風の盆)に胡弓が取り入れられ、今に至っている

そして「風の盆」といえば踊りも忘れちゃいけない
昭和のはじめ、東京三越で「富山県物産展」が開催されることになった
その目玉として「風の盆」が選ばれたそうだ

そこで八尾の旦那衆は懇意にしていた踊りのお師匠さんに踊りの監修を依頼する
依頼したのは若柳流初代「若柳吉三郎」である

こうして、若柳は40日間八尾に長期滞在、八尾の情感を体に溜め、熟させた結果、
「四季の踊り」が仕上がり、東京三越で初めて芸者衆が披露!喝采を浴びたそうだ
これが「風の盆」がいまに至る経過であるが・・・・

勘のいい人はすでに気付いたはず
風の盆を世の中に広めたのは千代さんでもなく、勘玄でもない
初代若柳のお師匠さん?いや、東京三越でもない

風の盆をはじめとする「日本の古典芸能」をいまに伝えられたのは旦那衆のおかげである
旦那衆なくして古典芸能はもちろん、古(いにしえ)からの神事も伝承されなかったはず
お人好しで、多少の放蕩癖があってもいいじゃねーか!!

千代さんを八尾に招いたのも旦那衆
勘玄が八尾に居ついた最大の理由・・・八尾には多くの旦那衆が存在していたから
そして、旦那と初代若柳流との付き合い

これも「縁(えにし)」である
時代は変わっても旦那衆の存在は不可欠だと思う
ただし、きょう日の旦那衆はときに“見返り”を求める輩もいる
本当の旦那衆とは、けして“見返り”など求めることはしない

さて、来月、神楽坂で開催される「胡弓奏者“優美子さん”のライブ」
お代は無料!!甲斐性のないバカ旦那!?でも熱烈歓迎!!!!
たまにゃあ~~日本の古典芸能ってーものに触れてみては???

日本の古典芸能を堪能する その3

2016年10月25日 | ひとりごと・・
いまでは全国にその名が知れている富山県八尾の『おわら風の盆』
そのはじまりは元禄15年(1702年)と云われている
時を同じくして、オイラのご先祖様は命がけで吉良邸に討ち入ったのである

当家のご先祖である間瀬久太夫正明(ませきゅうだゆうあさあき)
役職は赤穂藩の大目付。大石内蔵助の懐刀であり、非常に厳格正直な人柄だったそうだ
先手必勝!!言われる前に行っておこう!!そうです!!オイラとは真逆の性格!!

また、久太夫の従兄である小野寺十内、甥の中村勘助、そして、嫡子の孫九郎と、
四七士のうち4人が身内であり、結果、見事に主君の仇を討つことができた
あと1か月も過ぎれば「赤穂浪士」「討ち入り」の時期だね・・・

さて、話を「おわら風の盆」に戻す
八尾は、昔から売薬用紙の販売、養蚕などで繁栄した町である
そのため、町には財を成した“旦那”が多く存在していた

つまり、財布を持たず、夜更かしが大好きなのが旦那衆・・・
こう聞けば、ただの能天気なオヤジたち・・そう思いがちになるが、
この旦那衆がいたからこそ!“風の盆”が後世まで受け継がれ、現在に至っている

文献を見ると、おわらは他の民謡と同様に、はじめは唄だけのものだった
つまり、元禄15年の「風の盆」は民謡だけが披露されたってーことになる
これに楽器が入り、踊りが入って、いまのスタイルが完成したのが昭和初期!!

まず、風の盆の地方(楽器)について検証してみる
三味線と胡弓が欠かせないアイテムで、町によっては太鼓も使用される
しかし、地方に胡弓が加わったのは明治以降のことである

胡弓と風の盆・・・・
これに欠かすことができないのが「瞽女(ごぜ)」という漢検にもでない言葉
瞽女とは、目の不自由な女性芸人のこと。先に書いたが、三味線や胡弓を生業とし、
門付(巡業)で生計を立てていたひとである

とくに、娯楽の少なかった北陸・信越地方における瞽女の人気は絶大なものがあり、
江戸のAKBともいえる存在だったそうだ。となると、流石に瞽女の総選挙はなかったが、
指原みたいなセンター的存在の瞽女もいたそうだ

そのひとり、越後瞽女の佐藤千代さんなくして「風の盆」を語っちゃいけない
つづく・・・

旦那(だんな)

2016年10月25日 | ひとりごと・・
日本でも馴染み深い外国語のひとつに“サンスクリット語(古代インド語)”がある
とくに、仏教とは深く関係しており、般若心経など“お経”は、サンスクリットを音訳、
それを漢字表記にし直したものである

そのため、仏教用語の音訳された言葉が、そのまま日常語化しているものもある
「僧」、「盂蘭盆」、「卒塔婆」、「南無」、「阿弥陀」、「仏」などが代表的なものであり、
一見すると仏教とはなんの因果関係もなさそうな「旦那」、これも本来は仏教用語

旦那(だんな)は“ダーナ”というサンスクリット語を音写したもの
ダーナには、「贈る」「与える」の意がある。つまり、仏教でいう「お布施」「施し」
本来、旦那とは、お寺さんが使う言葉で、「施主」「檀家」といった意味合いがある

しかし、いつの日か、「お金をくれるひと」「面倒をみてくれるひと」ってーことで、
つまり、パトロンのように生活の面倒をみてくれるひと=亭主(主人)となった
オイラの場合、甲斐性がなく、どちらも当てはまらないので「旦那」とは呼ばれない

さて、オイラがもつ“旦那”というイメージは「亭主(夫)」ではなく、大店の主人、
地域の祭りや社会的行事を仕切るひと。なかでも、“顔役”と呼ばれる有力な町衆、
田舎では豪農などが“旦那”だと思っている

それじゃ、どういう人が旦那なのか?
あるとき、オイラがこのひとこそ「旦那」と認定!?する某旦那に聞いてみた
すると、

「旦那?旦那ってーのは、財布なんか持ったことねーんじゃないか!?」
「本当ですか?財布を持たないですか?」
「そりゃそうだよ!!なくったって信用ってーものがある」
「信用があるから何軒でも飲んだり食べたり遊んだりできるってーのが旦那だろう」

聞けば、自分で勘定など払ったことがないという
後日、店の番頭が旦那の勘定(ツケ)を貰いに旦那の会社に来るそうだ
すると、金庫番は、何の疑いもなく「いつも旦那がお世話になります」と支払ってくれる

これが日常であり、旦那衆は自分がどれだけ金を使っているのかなど知りはずもない
また、知ろうともせず、夜な夜な町へと繰り出していく・・・
もはや、こうした旦那は“ヤンバルクイナ”よりも希少性が高いのは言うまでもない

きょうの暦

2016年10月24日 | ひとりごと・・
10月24日、東京の日の出は5:55、日の入は16:55
昔から、「秋の日はつるべ落とし」というけど、つるべとは鶴瓶のことではない、
井戸から水をくみ上げるときにつかう桶のようなもの。これを“つるべ”という

つまり、秋の太陽は、つるべを落とすかのように早く沈んでしまう・・・という例え
しかし、京都など、関西の一部の地域には「釣瓶落とし(つるべおとし)」という
ときに人間を襲い食べてしまう!恐ろしい妖怪が存在するという伝説がある

また、山形にも「鍋下し(なべおろし)」とういう「釣瓶落とし」に似た妖怪伝説がある
そのいずれにも共通するのが、日暮れ過ぎまで遊んでいると現れる!というもの
つまり、日が暮れる前に帰宅しないと妖怪がでるぞっ!!ってーやつ

昔はこの程度で子供もビビったんだろうね・・・
さて、こうしちゃいらんねー!!
オイラも妖怪が出る前に早く帰宅しよう!!

日本の伝統芸能を堪能する その2

2016年10月24日 | ひとりごと・・
さて、話は戦国時代末期まで遡る・・・
中国の弦楽器に「三弦」というものがあり、琉球王朝を経由して大阪(堺)に輸入される
この「三弦」が「三味線」のモデルと云われている

音楽の授業で習ったかと思うが、弦楽器そのものの発祥は中東とされている
諸説あるが、三味線を始めとする弦楽器のルーツは、中東で作られた「リュート」
ヨーロッパでは、ギターの原型とも云われ、この学説がもっとも有力である

それから、構造的に変化しながら、インドを経て中国に入り、中国南部で「三絃」が成立
この「三絃」が沖縄を経由大阪に持ち込まれ、江戸時代中期に日本独特の三味線となり、
撥弦楽器(はつげんがっき)である三味線から胡弓が誕生することになる

この流れ、神社の“あれ”とまったく同じであることに気付いた
エジプトの“スインクス”がシルクロードを経て中国に入り、琉球では“シーサー”
そして、神社の入り口に鎮座する“狛犬(こまいぬ)”へと変化させたこと







さて、誰が、どのように三弦を三味線に変化させたのか?
一度は耳にしたことがあると思うが“琵琶法師”により三味線が誕生したと云われている

三弦が輸入されるまで、日本で弦を引く楽器、つまり、撥弦楽器といえば“琵琶”が主流で、
平家物語に抑揚をつけ謡(うたい)、これに欠かすことができない楽器であり、
この“弾き語り”をしていたのが“琵琶法師”と呼ばれる盲目のお坊さんたちだ

琵琶法師(びわほうし)の歴史は古く、平安時代からその記録が残されている
好奇心旺盛な琵琶法師が、三弦の改良を重ねることで“三味線”を完成させたという
しかし、いつの日か、琵琶は衰退し、三味線は庶民をも巻き込んでスタンダードになる

ところで、琵琶法師といえば“耳なし芳一”が有名であるがご存じだろうか
芳一をモデルとした“怪談”“民話”“舞台”“映画”“アニメ”など、数多く存在する
なかでも、平家物語の「壇ノ浦の段」の名手であった話は有名である

また、平家物語にくらべれば少数であったとされるが、僧侶本来の役目である地鎮祭や、
竈(かまど)祓いなどに呼ばれ、琵琶を弾きながら“お経”も読んでいたらしい

このように、琵琶法師とは、街中で弾く盲目の僧のことであり、琵琶を弾くことが職業で、
三味線が確立してからは、琵琶法師は衰退してゆき、代わりに三味線の弾き語りに変化する
このように、街中で演奏することを“門付(かどづけ)”という

近年では、津軽三味線の名人であり、青森の限られた地方の芸であった津軽三味線を、
全国に広めた第一人者「初代 高橋竹山」、彼も門付で生計を立てていたひとりである
幼い時に失明、生きる糧として三味線の道を選んだのである

タイトルの伝統芸能とは、
こうした門付を原点に、芸人同士が切磋琢磨して完成されたもの・・・そうオイラは思う
芸人とはお笑いタレントではない。本来、芸能に長けたものこそが芸人なのである

とくに、生きる糧を得るための門付。当たり前だが、そこには競争の原理が作用する
人と同じことをしても所詮は“二番煎じ”いま風にいえばウケるはずがない
つまり、顧客の嗜好ってーものがあり、これを満足させなきゃ施しを受けられない

そうした環境のもと、三味線を弾くのではなく、引く!!
引くことでいままで表現できなかった抑揚をつけることが可能となった
こうして、江戸時代に三味線をベースに胡弓が誕生したと云われる



このように、伝統芸能に触れるのであれば、こうした歴史的な背景を知っておくと
さらに興味深く“芸術の秋”を堪能できるはず
また機会があれば日本の伝統芸能について能書きを書いてみようと思う

日本の伝統芸能を堪能する その1

2016年10月24日 | ひとりごと・・
東京のど真ん中に“神楽坂”という町がある
その地名の由来には諸説あるが、とにかく坂が多い街であり、祭の神輿が坂を登れない!
そこで神楽(かぐら)を奏上したところ楽に登ることができた!!で、「神楽坂」

さて、来月、12日(土)から13日(日)の二日間、いかにも神楽坂というか、
まことに粋なイベントが開催される。「神楽坂まち舞台・大江戸めぐり2016」
たったの二日間!このイベントにでかけるだけで“和”の伝統芸能を堪能できる!!



このイベントを教えてくれたのが“胡弓奏者”の優美子さん
彼女は箱根の芸妓さんであり、数少ない「地方(じかた)」でもある
地方とは舞踊の伴奏者、つまり、三味線を奏でる人のことをそういう

これは、舞踊をする人を立方 (たちかた) と称するのに対することばである
しかし、宴会といえばコンパニオン主流。芸妓さんの踊りや唄に触れる機会は少ない
もはや“地方(じかた)”という言葉は新潟のトキと同様、絶滅の危機にある・・・

話を戻すが、優美子さんの職業は芸妓
幼いころから日本舞踊を嗜み、若くして名取となり、指導者として活躍してきた
さらには地方として活躍、加えて、数少ない“胡弓奏者”という超!マルチな彼女



今回のイベントでは、胡弓を披露するそうだ
胡弓は日本古来の擦弦楽器(さつげんがっき)であり、三味線を一回り小さくしたもの
これを弓で弦を擦り、音を奏でるというもの

優美子さんが曰く「二胡(にこ)を知っていても、胡弓を知らない人が多いんです」って、
また、ヴァイオリンや二胡の経験があったとしても、胡弓はそれらとはまったく別の楽器!
たとえ、三味線の名人といえど胡弓が巧いとは決してならない・・・

このように、胡弓とは、他の擦弦楽器に比べ、かなり“トリセツ”が厄介な代物である
実のところ、オイラ、残念ながら彼女が奏でる胡弓の生音を聞くチャンスはなかったが、
以前、都内のホテルオークラで演奏している動画を見せてもらった

なんとも表現し難いが、哀愁を帯びた音色・・・まさにこの季節にドンピシャ!
イベントの詳細は、彼女のHP(胡弓+優美子で検索)で確認してほしい!!
芸術の秋!!なかなか聞くことがない胡弓の音色にしびれて欲しい!!

男気!!黒田博樹

2016年10月19日 | ひとりごと・・
またひとり、球界のレジェンドがユニホームを脱ぐ決断を下した
かつてミスター完投と呼ばれた男は、体が限界に近いことを、もっともよく分かっていた
満身創痍・・・ここまでよく頑張った!!広島東洋カープの黒田博樹投手・・・41歳

一昨年オフには約20億円ともいわれた巨額オファーを断って古巣の広島に復帰!!
今年7月、史上2人目の日米通算200勝を達成!!



DeNAとのCS最終S第3戦の直前には右肩の違和感を発症するも、
人知れず、病院で炎症を抑える注射を処方するなど、その登板を誰にも譲らなかった・・
最後まで“男気”を見せた黒田、まさに魂のこもった気迫の投球だった

ハマスタで見せてくれた黒田の男気ピッチング!!これこそプロフェッショナル!!
また、打席でもけしてあきらめない!!最後まで粘りに粘るあの姿・・・
その姿はチームだけではなく、少なからずDeNAの選手たちにも影響を与えた



どうか、日本シリーズでこれこそ男気!!という雄姿を見せてくれ!!
一野球ファンの願望はただ一つだけ
大谷!!と新旧エース対決を見てみたい・・・

番長、多村、鶴岡、柳田・・・・

2016年10月18日 | ひとりごと・・
2016年10月20日の17時から「2016年 プロ野球ドラフト会議」が開催される
会場は「グランドプリンスホテル新高輪」。当日はTBSが会議を中継する・・

10月20日という日程は、ちょうどCSと日本シリーズとの谷間であり、
広島、そしてソフトバンクは、その合間を縫っての会議となるわけで、
相当なハードスケジュールに違いない

ということで、今年も各球団はドラフトで注目の新人選手を獲得していく
一方では、球界を引退、若しくは、戦力外を通告される選手たちの存在がある

プロ野球選手を目指す野球少年は数多くいるが、夢を実現できるのは“ほんの一握り”
しかし、プロ入りしたとして、長く選手として活躍できるのも“ほんの一握り”
当たり前であるが、プロで飯を食う!ということは、想像以上に厳しいものがある

2016年秋、ベイスターズに所属、若しくは、所属していた馴染み深い選手たちが
引退、若しくは、戦力外を通告された。毎年のこととはいえ、これも厳しい現実だ
生きのいい選手が入団してくれば、その分の席を空けなきゃいけない・・・

すでに引退を表明した選手には感謝と「第2の人生にエール」を送りたい
また、現役続行を希望する選手には、限られたチャンスを必ずや!掴み取って欲しい
2017年、グラウンドで会おう!!絶対!!元気な顔を見せてくれっ!!


三浦大輔(みうらだいすけ)42歳
ハマの番長の愛称で親しまれ、今季限りで引退を表明



多村仁志(たむらひとし)39歳
横浜高校時代には、斉藤宜之、紀田彰一とクリーンナップを組み甲子園に春夏連続出場した
2006年のWBC日本代表に選出され全試合に出場!特大本塁打など3本塁打!!
9打点は、チーム本塁打王と打点王の「2冠」を達成した
昨年、NPB史上最年長(38歳10ヶ月)で中日の育成選手に登録されたが、
2016年10月1日に戦力外通告を受け、同日に現役引退を表明した



柳田殖生(やなぎだしげお)34歳
1999年、福知山商高が甲子園に初出場した時の4番ショート
NOMO Baseball Clubを経て、中日ドラゴンズに入団
2013年から横浜DeNAベイスターズに移籍。ゴメス(G後藤)を人生の師と仰ぐ!?
遊撃手を中心に内野ならどこでも守備には抜群の安定感がある逸材!!
2016年10月2日に戦力外通告を受ける


井手正太郎(いでしょうたろう)33歳
宮崎県日南学園高卒。3年生時に3番遊撃手として甲子園に出場、6割強の打率を残す
2001年、福岡ダイエーホークスに入団
2010年、吉川輝昭との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍
2015年の活躍は記憶に新しく、40試合に出場!前半戦首位の立役者として活躍した
2016年10月2日に戦力外通告を受ける


長田秀一郎(おさだしゅういちろう)36歳
ハマの栄区出身。鎌倉学園高校から、なにかと話題の慶應大学へ進学
大学進学後は先発も抑えも経験、2000年秋のリーグ優勝・明治神宮大会優勝
2003年西武ライオンズに入団、以降、中継ぎとして活躍する
2013年7月、渡辺直人との交換トレードで横浜DeNAベイスターズに移籍
最速149km/h、平均球速約142km/hのストレートとスライダーが武器
2016年10月2日に戦力外通告を受ける



鶴岡一成(つるおかかずなり)39歳
兵庫県高砂市出身。地元兵庫の神港学園に進学、3年生のときに「阪神淡路大震災」を経験
その夏、甲子園に出場。準々決勝で後に同僚となる藤井秀悟を擁する今治西高校に敗れる
1995年、横浜ベイスターズに入団
2004年、正捕手の相川亮二がアテネオリンピックに出場、これを契機に出場機会を得る
同年、8月24日の対阪神戦でプロ初本塁打を記録。この年は打率.400・2本塁打と活躍
2008年6月、真田裕貴との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍
2011年、国内FA権の行使を表明4年ぶりにベイスターズに復帰!背番号は「10」
2014年1月、阪神タイガースの久保康友と入替りで阪神に移籍
エース!藤浪との相性は抜群で、コンビでの公式戦は勝率.760!!
2016年9月29日、このシーズン限りでの現役引退を表明




内村賢介(うちむらけんすけ)30歳
東京都出身。山梨学院大付に進学・卒業後にJFE西日本にテスト生として入部
2007年、BCリーグの初年度に、石川ミリオンスターズに入団
ここで才能が開花!打率.271、31盗塁の成績でリーグの初代盗塁王となる
2007年、東北楽天に育成選手として入団。BCリーグ出身初のNPB所属選手となる
2008年、支配下登録選手となり、背番号は「98」
2009年、背番号「98」から「0」に変更
2012年6月、藤田一也とのトレードでベイスターズに移籍。背番号は「23」
身長は163cm。水口大地(ライオンズ)と並び12球団中最も背の低い選手
しかし、ベイでは2塁手として活躍、その守備と足には信頼が厚い
2016年10月2日に戦力外通告を受ける



萬谷康平(まんたにこうへい)29歳
大阪府出身。阪南大学高等学校から阪南大学に進学
大学卒業後の2010年にシティライト岡山へ入部。しかし、登板機会に恵まれず、
2011年、ミキハウスREDSに入部
2013年、横浜DeNAベイスターズに育成選手として入団
2014年4月、支配下選手登録され、背番号は「62」
ストレートの球速は最速149km/hと、球威は抜群!しかし、出場機会に恵まれなかった
2016年10月2日に戦力外通告を受ける



大田阿斗里(おおたあとり)27歳
沖縄県出身。3歳で東京へ転居
帝京高等学校へ進学、1年夏からベンチ入り、2年夏から3季連続で甲子園に出場
2007年春のセンバツでは、怪物!江川卓と並ぶ大会史上2位タイとなる20奪三振!!
同年、横浜ベイスターズから3巡目指名を受け入団
2013年、対阪神タイガース戦(横浜)で一軍初勝利!!
2015年10月4日、ベイスターズから戦力外通告を受け
2016年2月9日、オリックスの育成選手として契約
2016年10月2日に戦力外通告を受ける
外見とは裏腹に、かなり繊細な性格ゆえ、一軍初登板から初勝利まで10連敗を喫している
横浜時代の背番号は58。この番号にちなんで、「ハマのゴーヤー」という愛称で親しまれた