濱の与太郎

祭り!ベイスターズ!なにより、ヨコハマが大好きだぁ~

緊急事態!

2014年01月23日 | 北海道

今朝も氷点下12℃まで冷え込んだ苫小牧
カーテンを開ければ見渡す限り銀世界
それを見て綺麗だなア~~・・・と感じたころが懐かしい

防寒着に身を包み、すぐに出勤できるよう、車のエンジンをかけ暖気
凍りついたフォロントガラスを溶かしつつ、積もりに積もった雪をブラシで払う

都会の雪との違いは「湿気」
ギンギンに冷え込んだ苫小牧の雪はサラサラ・・・鼻息でも雪を飛ばせる!!
また、踏みしめると“キュキュ”と音が鳴る

さて、エンジンをかけ、温まるまで部屋に戻ろうとして気がついた!
「やべっ!!部屋のカギを持ち忘れた!!」
マンションはオートロック!カギが無ければ玄関が開かない・・・

しかたなく、部屋に戻るために会社に出勤!?
緊急用に預けてあるスペアキーを借りて再びマンションへ
スペアキーで入室できたが、ここで尿意をもよおした・・・

スラックスのファスナーを下し、すると次の瞬間、「緊急事態」が発生!!
防寒用に身に着けたヒートテックのタイツに“窓”がない!!
手探りで懸命に捜索するも見つからない!!

やむを得ず、タイツとトランクスをまとめて下し、間一髪!!
大事には至らなかったが、冷静に詳しく調べた結果「原因」が判明!!
寝ぼけて履いたタイツが“後ろ前”逆だった・・・

幸いだったのは会社でなくて自分のマンションだったこと
ゴソゴソと、同じ仕草を会社でしていたら変質者扱いされそう・・

めざましジャンケンは3連敗!部屋のカギは忘れるし、タイツは後ろ前
これって、「先天性アルツハイマー」かもしれない

なまら“いぐない”交通事情 その2

2014年01月22日 | 北海道

オイラが北海道で経験した、ルール違反

その1「自動車優先!」
歩行者よりもドライバー優先。車は王様!だれよりも偉いっ!
このことは歩行者も理解している。車がかなり危険だってコトを・・・

だから人が車に道を譲るってコトが日常茶飯事
度々、横断歩道で立ち止まってしまう歩行者を目にする
当然、歩行者がわたろうとしている信号のなしの横断歩道は、ハイスピードで通過!
とまる気配などありゃしない!!

その2「ウィンカーは遅い!あるいはまったく無し!!」
車線変更のときや右折左折のときに起こる現象
後続車が気をつけるもの。とくに車線変更のときは、ウィンカーまったく無しで急に、
無理やり割り込んでくるは当たり前!!

その3「オーバーランとフライング」
日常茶飯事の慣習のひとつ
えーッ!!マジかよ!絶対とまれただろう!?といいたくなるほど、
停止線をオーバーランする車が多い。減速して減速しきって徐行になっているにも
かかわらず、なぜか飛び出す・・意味が分からない・・・

おまけに、信号が赤から青に変わる前にみんなで少しずつジワリジワリ前進を始める
青になった瞬間すごい加速をして競争でもしているの如くぶっ飛ばす!!

その4「左折時左いっぱいに寄せない車」
本来自動車学校で教わるのは、左折時には、後続の直進車のため、そして巻き込みを
極力防ぐために、歩道近く左いっぱいに寄せるのが原則!!

しかし、北海道でそういうことをする人はあまりいない
だいたい路肩の白線にあわせて寄せるか、もっとひどいのは真ん中や少し右寄りでも
左折する車も少なくない!!こういう時はマイペース・・・


その5「車間距離を無視した右折」
まさか!?ありえねエ~だろう・・・と、簡単に安心はできない
ありえない距離から当たり前のように目の前を「右折」してくる輩が多い

特に年配者などは「待つ」という行為が大っ嫌い!!
どんな環境であれ、自分が右折したけりゃ、直進の対向車などお構いなし!
自分のペースで右折してくる・・

これって北海道開拓の歴史となにか因果関係あるんだろうか?
まじめに調べてみようかな!?

なまら“いぐない”交通事情

2014年01月21日 | 北海道

今朝も氷点下10℃を下回った苫小牧
出勤のため外に出てみると一面銀世界!
「いつ降ったんだろう!?」

オイラの秘密基地から会社まで車で10分
路面は凍結、そこに新雪が降っているというのに
地元住民は普段通りのスピードで運転

慎重にスピードを落として走行しようもんなら
真後ろにピタッ!と車をつけられ煽られてしまう

生意気に!どんな奴が運転してるのか?
ルームミラーで見てみると自分の親と同じような
年恰好の爺さんだったり・・

また、若い女性がガムを噛みながら片手運転
しかも“くわえ煙草”だったり・・・
普段は大人しいかもしれないけどね
運転すれば「別人格」に変貌する

とにかく運転に関しては、以前赴任していた福岡が
日本で一番マナーが悪い・・と思っていたが、
福岡など可愛いもので、北海道のマナーの悪さは
「別格」としか言いようがない

車線変更時にウインカーを出さないのは当然として、
信号は黄色は注意、赤は気を付けて進め・・・

郊外にでれば道は真っ直ぐ、信号もない!
道民の多くは、少しでも自分のペース乱されると、煽り、
横並び窓空け威嚇、しまいにゃ罵声!!!
なまら「いぐない」・・・

一番驚いたのは緊急車への対応
後ろから救急車が来ようと誰一人道を譲らない!!!
そのため、しかたなく救急車は反対車線を逆走・・・
これもごく当たり前(普通)のことだという

人口約580万人、都道府県別人口で全国7番目に位置する北海道
広大な土地と自然が豊かで人々は『おおらか、ほがらか』という
イメージが強い

特に北の国からのイメージが強すぎて、そのため、そのマナーの
悪さには舌を巻くというか、腰が抜けるほど驚いてしまう!

「常識」と思われていた行動が北海道では違う、そんなことも日常茶飯事で、
最低限の常識さえも守られていない・・・

札幌観光で有名な「時計台」
雪が降り、より一層レトロな雰囲気を醸し出しているが・・・
時計台の前の狭い道路では、先を争う激しいバトルが繰り広げられていた・・

赤い靴 (最終回)

2014年01月20日 | 北海道

関東大震災の瓦礫を埋め立てて出来上がったのが横浜の山下公園
此処は、横浜を代表する観光名所であり、また、此処を拠点にマリンタワー、中華街、
元町、そして外国人墓地などが徒歩圏内であり、いつも大勢の人で賑わっている

そして山下公園と言えば「氷川丸」
ちなみに、港湾人の隠語で「氷川丸」といえば“仕事ができない奴”を指す
つまり、岸壁に繋がれ、生涯“出港しない船”だけしか使えない!?ってーこと

さて、公園のやや西側に童謡「赤い靴の女の子」の銅像がある
この像を見た大多数が「ハマから赤い靴の女の子は旅立ったのか~」と思いに耽る
また、横浜には、画像の市営バスをはじめ、赤い靴に関連したものが溢れるように
存在しており、あのような「どんでん返し」を誰しも予想などしていない

たまたまオイラが北海道に赴任し、行く先々で「赤い靴をはいた女の子」と遭遇!!!
詳しく調べてみた結果、このような結末を知ることになった

さらに調べてみたら、赤い靴の女の子の生涯が分かったのはこの歌が作られたずっと後で、
昭和53年(1978年)のこと。北海道のあるテレビ局が、この歌の由来を追いかけているうちに
判ったそうだ・・・

昭和48年(1973年)、北海道新聞社にある投書が届く
投書したのは「赤い靴の女の子・きみ」の義理の妹だった

彼女は、「きみ」が宣教師にあずけられた後に、志郎とかよの間にできた
つまり、「きみ」の妹ということになる

妹の投書には、自分が生まれる前、異人さんに連れられて行った姉の「きみ」の消息が
なんとしても知りたい!ということ。また、もし姉が元気で生きているのなら、会いたい!
そう書かれていた・・・

この記事がきっかけとなり、北海道テレビのスタッフは執念をもって、「きみ」の消息を
追いかける。「きみ」が転々とした日本の各地、はてはアメリカまで・・・
そしてついに真相がわかり、昭和53年(1978年)テレビで真相が伝えられた・・

赤い靴の「きみちゃん」は、現在、東京 六本木・鳥居坂教会の共同墓地に眠っている
その縁もあり、この鳥居坂教会の近く、麻布十番に「きみちゃんの像」が建てられた
平成元年のことだそうだ

この像の台座は募金箱になっており、その浄財は世界の恵まれない子にユニセフ等通じて
寄付されているという・・・

さて、最終回にあたり、こんなことを想像してみた・・・
北海道の母「かよ」は、死ぬまで自分の娘「きみ」は、宣教師夫妻と一緒に元気で暮らして
いるものと信じていただろう・・・

だからこそ「きみ」の妹さんは母の背中をみてきたから、ずっと後に、投稿記事で姉の
「きみちゃん」に会いたいと書く・・・

また、作詞した野口雨情も「きみちゃん」の真実を知っていれば、童謡「赤い靴」は、
この世にでることはなかっただろう・・・

赤い靴 その4

2014年01月17日 | 北海道

赤い靴をはいた女の子の生涯

岩崎きみは、1902年7月15日、静岡県清水市に生まれる
その父親はどうしようもなくだらしの無い男、母の岩崎かよは、シングルマザーとして
ひとり、娘のきみを育てる

きみ3歳、母のかよは北海道留寿都に新天地を求め入植する
この前後(函館上陸後)、なんらかの事情により、きみは、函館在住のアメリカ人宣教師
ヒュエット夫妻の養女となる

きみ6歳、ヒュエット夫妻がアメリカに帰国することになり横浜へ
しかし、きみは結核に侵されていた。そのため、夫妻はアメリカへ連れていくことを断念、
きみは、東京・麻布の鳥居坂教会の孤女院へと移る

母のかよは、きみがヒュエット夫妻とともに渡米するということを知らされていた
しかし、わが子が結核に侵され渡米を断念、孤女院に移されたということを知らなかった
そのため、きみは、函館から横浜へ行き、渡米して幸せに暮らしていると思い込んでいた

きみ9歳、きみはその孤女院で闘病生活を送る
そして、1911年9月15日、ひとり寂しく天国へ旅立つことになる・・・

画像は、横浜・山下公園にある「赤い靴をはいた女の子」
渡米することもできずに、そして、幸せになることなく天に召された「きみちゃん」
横浜の「きみちゃん」は、いつか母親との再会を信じて港をずーっと眺めている
その姿は、全国のどれよりも悲しげな表情を浮かべている・・

赤い靴 その3

2014年01月17日 | 北海道

詳しく調べてみると赤い靴の女の子みきの北海道(函館)に上陸後、次のような
諸説があるということがわかった・・・

ひとつは、母と子がそろって留寿都の農場に入植したものの、留寿都での農場生活が
あまりにも過酷だった。そのため、「食いぶち」を減らすため娘のきみは函館の宣教師
ヒュエット夫妻の養女として託された・・という説

もうひとつは、わずか3歳の女の子が、当時の交通事情で静岡から北上、それは、
あまりにも過酷なものであり、案の定、函館に上陸した時点で体力がかなり衰弱、
娘の衰弱した姿を見た母親は、きみを留寿都まで同行させることを断念・・・
函館の教会に奉仕していたアメリカ人宣教師ヒュエット夫妻に託したという説

このように、当時3歳のきみが留寿都までたどり着くことができたのか?
それとも、上陸した函館で母子の別れがあったのかは不明である

いずれにせよ、母の「かよ」は、後ろ髪を引かれる思いでやむなく娘を函館在住の
アメリカ人宣教師ヒュエット夫妻の養女として託し、その後も母は、幼い娘のことを
1日たりとも忘れたことはなかったという・・・

さて、夫の志郎と共に希望に燃えて入植したものの秋の実りは少なく、仲間の病死や
火災による被害などが相次ぎ、僅か2年で開拓村は解散する

失意の「かよ」は志郎との間に生まれた娘と共に札幌に出る。志郎は札幌の新聞社に
入社、そこで知り合ったのが若き放浪詩人野口雨情であった。両家は親しくなり
一つ屋根の下で共同生活を始めることになる

そして「かよ」は、親しくなった雨情に 片時も忘れることのない「きみ」のことを
打ち明ける。可愛いきみを厳しい開拓村に連れて来なくてよかったと思う気持ちと
幼子を手放したという後悔‥‥そして新しい養父母のもとで幸せになってほしい!
そう願う気持ちの交錯‥‥‥‥この母の強い愛が雨情の心を激しくゆさぶった
雨情は、その感動を即座に詩に綴り、この詩に本居長世が曲をつけたのが『赤い靴』

さて、その後、志郎とかよは、樺太をはじめ、北海道の各地を転々とし、終の棲家は
小樽だった。その間、多くの子宝にも恵まれという志郎とかよは小樽に眠る
これにより、「小樽は赤い靴の物語の終着駅」となった・・・

画像は、小樽の「赤い靴をはいた女の子」
留寿都、そして函館とは大きく異なり、家族3人、楽しそうな表情を浮かべている
これは、「親子は天国で必ず再会できたはず。その時の光景を思い描いた」という

赤い靴 その2

2014年01月16日 | 北海道

横浜、函館、そして小樽の3つの港町
さらに、北海道を代表するリゾート地「留寿都(るすつ)村」に共通する「像」がある

正確にいえば、東京の麻布十番、静岡県の日本平、そして、青森県の鰺ヶ沢町にも
「赤い靴」の少女像があり、オイラが知る限り、日本中に7つの像が存在する

野口雨情が作詞した「赤い靴」
赤い靴の女の子には、その童謡のモデルとなった少女がいた
童謡では異人さんと横浜から船で旅経ったとされているが、実際は、孤独のなか、
東京でわずか9歳という短い生涯を閉じたという・・・

少女の名前は 岩崎きみ (1902年~1911)
きみは、母「かよ」の私生児として静岡県清水市に誕生した
その後、「かよ」と「きみ」は追われるように“さすらいの旅”を続け、その終着地は、
道央の羊蹄山の麓に広がる留寿都(ルスツ)の農場だった

当時の留寿都には、この地を開拓してユートピアを建設しようとする人々が続々と入植、
母「かよ」も乳飲み子の「きみ」とともに希望に燃え、開拓に精を出す
そんななか、同じ入植者である鈴木志郎と出会う・・・

画像は、北海道留寿都村にある「きみちゃん像」
手に持つ花はジャガイモの花だそうだ

赤い靴 その1

2014年01月16日 | 北海道

赤い靴  はいてた 女の子
 異人さんに つれられて 行っちゃった  

よこはまの 波止場から 船に乗って
 異人さんに つれられて  行っちゃった

オイラが勝手に理解(想像)していた「赤い靴 はいてた 女の子」とは・・
「彼女は横浜の生まれ。何かの事情でハマの波止場から異人さんと共に
船に乗り、遠く異国の地へといってしまった・・・」というもの

しかし、此処(北海道)に赴任してから驚くべき事実に驚愕する!!

1.赤い靴 はいてた 女の子、この有名な童謡は、ノンフィクションだった!!
2.赤い靴 はいてた 女の子、北海道と深~い縁があった!!
3.赤い靴 はいてた 女の子、彼女の「像」が北海道にも3つもあった!!
4.赤い靴 はいてた 女の子、実は、異国へ行くことなく日本で亡くなっていた!!
5.赤い靴 はいてた 女の子、本当は横浜とはあまり縁がなかった!!

調べていくうちに“いろんなこと(事実)”がわかってきた
これから彼女にまつわるエピソードいくつか紹介していきたい

画像は、函館の「赤い靴 はいてた 女の子」

いい塩梅(あんばい)

2014年01月16日 | 北海道

今朝も冷え込んだ苫小牧
しかし、朝から日差しもあり、思った以上に“暖かい”
オイラ的には「ちょうどいい塩梅」

それでも外の温度計を見ると「-7℃」
とはいえ、風もなく、日向にいればさほど寒さは感じない
オイラの身体もすでに”寒冷地仕様”となったか!?

横浜から苫小牧にきて、かれこれ7カ月が経過した
ハマとは何もかも違う冬の北海道
この際、スキーをしたり、写真を撮ったり・・
北海道の「冬」を満喫するしかないねェ~~

画像は美瑛の冬景色


なげる・・・

2014年01月15日 | 北海道

北海道では、なげるとは、「捨てる」という意味
ただし、捨てる対象はゴミなどの不要物に限るのであって、「金」「ダイヤ」
「人生」といった価値のあるものや、女(男)、動物などを「なげる」とは
言わない・・

つまり、女(男)は「捨てる」ものであり、ゴミは「なげる」ものなのである
また、石やボールを投ずることも「なげる」と言い、「放る」とは言わない

要するに「目的語によって使い方が変わる」という高度な言語性を有する
その語源は、「雪なげ」という習慣の影響が大きいと思われる

北海道では地面に積もった雪を処分することを「雪かき」、屋根に積もった雪を
処分することを「雪なげ」と言うが、これは屋根の上から地面に向かって雪を
「放り投げる」動作からきているという

オイラの目の前を、雪を満載し、何処かへと「雪をなげる」ダンプが通り過ぎた
小樽にて・・・

ツララ

2014年01月15日 | 北海道

小樽運河沿いの日当たりの悪い倉庫のツララ
観光用になにか仕掛けがあるのか?と聞いたら「自然のままですよ」と
返事がかえってきた

これだけ見事なツララをあまり見たことがない
やっぱり北海道の冬はそれだけ半端じゃないっ!てーことを改めて感じた

因みに、ツララの手前に見える赤い実をつけた樹木が「ナナカマド」

小樽運河

2014年01月15日 | 北海道

小樽運河は、内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋立て、
陸との間に出来た水路。大正12年(1923年)に完成した

戦後は樺太等との交易がなくなったため、物流の拠点としても急速に
廃れていき、それは、無用の長物と化し、放置されていくにつれ、
ヘドロがたまり悪臭が漂うようになった・・・

1986年(昭和61年)には北海道道17号小樽港線が開通する
これに伴い、散策路やガス灯が整備され、大きく様変わりした運河周辺は、
小樽の一大観光スポットに成長し、都市景観100選を受賞するに至った

現在、運河の両岸には煉瓦や札幌軟石で造られた重厚な倉庫群が立ち並び、
往時をしのぶことができる

なんだか横浜港の古き良き時代のミニチュアを見ているようだ・・・

ナナカマド

2014年01月15日 | 北海道

北海道に赴任してから気づいたこと
それは、いたるところの街路樹として「ナナカマド」が植えられ、
真冬でも寒さを忘れさすような真っ赤な実をつけていること

ナナカマドは、オイラの秘密基地がある苫小牧の「市の木」にも
指定されており、街中のあちらこちらで赤い実を見ることができる

画像は、美瑛のワイナリーで撮影した「ナナカマド」
ナナカマドの名前の由来は「燃えにくく、竈(カマド)で繰り返し
7回焼いても焼き尽くすことはできなかった」というのが定説

しかし、この燃えにくい「ナナカマド」を備長炭にすると、火力も
強く、長持ちするといわれ、極上品として扱われている

さて、今朝の苫小牧の冷え込みは一層厳しく、最低気温は-12℃
車はすべてのガラスが凍りつき、ドアも凍って「バリバリッ!」と
引き裂くような音を立てて開けなくちゃいけない!

まさに北海道弁でいう「しばれる」というやつ・・・
まだまだ寒く長い冬が暫く続きます

昭和新山

2014年01月14日 | 北海道

函館へ向かう途中、高速のSAから撮影した「昭和新山」
いまも火山活動を続けており、相当な地熱を発しているので
どんだけ!降雪があっても雪化粧することはない

それより、昭和新山の向こうに見える雪化粧した山
その姿は富士山によく似ている

この山こそ羊蹄山、別の名を「蝦夷富士」という

函館・五稜郭

2014年01月14日 | 北海道

オイラ、ガキのときから苦手なものが2つある
ひとつは「ヘビ」、そして2つ目は「高いところ」
だから、これまでの人生のなかでジェットコースターだとか観覧車など、
それらの類には殆ど乗ることはなかった

先日、函館を訪れた際、同僚から「五稜郭タワーへ行きましょう!」と
誘いを受け、「高いところは苦手・・」とも断れず、心にもなく、
努めて平常を装い「行こうか!」と笑顔で答えてしまった・・・

その結果がこれ
果たしてこの画像から五角形を理解することができるだろうか!?
因みに、受験生の諸君!五稜郭は「五角=合格」と無理やりこじつけ、
なんでも縁起がいいということで人気があるんだそうだ

オイラの魂、いや、命をかけて撮影した「五稜郭」
きっとご利益があるぞっ~~