ナオスミンの雑記

2009年9月14日より、四年半使用し続けた、グリチルリチン酸配合のATPリピットゲルを中止。リバウンド体験中。

天津神大龍神宮と石の森漫画館と無くした帽子

2023年02月19日 11時16分00秒 | 安江邦夫先生


昨日は、石巻の方へ行ってみました。

というのは、保江邦夫先生の動画を見て、機会があったら天津神大龍神宮に行ってみたいな、と思っていたからです。

それで、向こうに行くついでに寄ってみました。

車は石巻に入り、カーナビを見ながら走ります。

さっきまで曇っていたのに、晴れ間が見えてきました。

なんか、かなり田舎の方を走っていくと、へ?ここから登るの?

と言うような、急な上り坂で、道幅も狭いし、ガードレールもないし、怖いので、その辺に車を停めて、歩いて登ることにしました。

頑張って登ると、割とすぐに鳥居が見えてきました。

ここか!

もうすでに神聖な気配を感じます。





鳥居をくぐり、階段を登ります。

爽やかな風が頬を撫でます。

登って行くと、また鳥居があります。

私はお辞儀をし、鳥居をくぐり、本殿へ。

両側に立派な龍が建っています





そして、感謝の気持ちで参拝します。

一緒に行った娘は、御朱印が欲しくて、本殿の中をのぞいていました。

誰もいないのかな、と思い、私も中を覗いてみると、美人の女性がお爺ちゃんとなにやら会話しているのが見えます。

あ、あのお爺ちゃんが、あの宮司さんだと分かりました。

そして、その宮司さんは、合掌した女性の手に自分の指先を触れて、なにやらやっております。

あ!これが、保江邦夫先生がやってもらったあれか!

保江先生は、宮司さんから龍をもらって来たんだそうです。

なので、この女性も龍をもらっていたのでしょう。

私は、何も相談もなく祈祷もお願いしてなかったので、あとはその辺を散策し、階段を降りて帰りにつきます。

降りて行くと、木々の隙間から石巻の海が見えて綺麗です。

私は神聖な気を感じましたが、それ以上は特に感じませんでした。

そして、次は石の森漫画館へ行きます。

ここにも、保江先生は寄ってます。

本当にUFOみたいな建物です。





懐かしいキャラクターがいっぱい。

といっても、私は仮面ライダーとロボコンくらいしか分かりませんが。

2階に上ると、映画を上映していたので見ることにします。

毎回違う漫画を上映してしているようです。

ちょうど2時から始まる漫画は、なんと『龍神沼』です。

あらすじはこんな感じでした。


主人公が田舎に帰ってきて、幼馴染の女の子と散歩していると、白い着物を着た美しい女性を見かけます。

しかし、その女性はすぐに消えてしまいます、

ある日、火の玉が飛んできて、ある家が火事で全焼します。

村では、各家庭から10万円ずつ寄付してもらい、新しい神社を作ろうとしていました。

火事になった家は、10万円払うことができなかったのです。

その火事を見た神社の宮司が、これは龍神の祟りだと言います。

しかし、実は宮司と村長の企みで、村人の土地を奪おうとしてたのです。

その話を盗み聞きしてしまった主人公と幼馴染の女の子は、殺されそうになります。

その時、白い着物の女性が現れて、それが龍になり、宮司と村長を殺そうとします。

しかし、主人公は、殺さないでくれと、頼みます。

その後の話はなく、主人公は田舎からまた電車に乗り帰ります。

といった話でした。


龍神様を参拝してきた後に、また龍神様の漫画だったので、不思議な気がしました。

あとは、館内を見て回り、家に帰りました。

帰ってから、天津神龍神宮で撮った写真を見てましたが、これといっておかしなものは無かったのですが、鳥居を写した写真の雲が、なぜか2体の龍に見えなくもない。





さて、そして、今日、昨日片付けなかった帽子やストールをいつもの場所に片付けようと、押し入れを開けました。

そして、いつものようにしまった後、なんとなく、ここに無くした帽子ないのかと、手探りで触っていたら、あれ?

なんと、私の手が毛糸の帽子を掴んだのです。

ものすごく驚きました。

この棚は、電気をつけて何度も確認して、帽子がないことを確かめたのです。

そして、いくら探しても無かったので、諦めておりました。

そしたら、手が帽子を掴んだのです。

目ではなく、手で。

もう不思議としか言いようがありません。

これって、昨日、龍神宮に参拝したからなのでしょうか?

本当に驚き桃の木山椒の木です。

やはり、私の帽子は異次元に行ってたとしか思えません。

無くなったものが突然また出てきたのは、311直前の保険証、大船渡のホテルのカードキー、そして今回の帽子です。

やはり、異次元は存在するとしか思えません。

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なくなった毛糸の帽子

2023年02月19日 09時27分00秒 | 安江邦夫先生

これは、17日に書いておいた日記です。


14日に実家に行って帰ってきた時は、毛糸の帽子は確かにありました。

だって、その帽子をかぶって家に入ったからです。

しかし、16日に出かけようとして帽子をいつもの場所から持ってこようとしたら、ないのです。

その場所は何度も確認しましたし、他にも心当たりを探しました。

しかし、どこを探してもないのです。

確実に家の中にあるはずなんですが。

なんでだろう。

帽子は、別の次元に行ってしまったのかな。

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さらけ出す2

2023年02月10日 15時57分00秒 | 安江邦夫先生

前回のブログの続きです。

自分の弱みもダメな自分も、人と違う自分も、全てさらけ出したら、馬鹿にする人もいると思います。

自分もそうですが、人から馬鹿にされたくないために、自分を良く見せようとし、人とは違う自分を隠そうとしたりします。

でも、それではダメなのだと、それでは何も変わらないのだと思います。

自分をさらけ出した時に、周りがどんな反応をするかで、相手がどんな人なのか分かると思います。

馬鹿にする人、去っていく人、逆に好感を持ってくれる人。

つまり、自分をさらけ出せば、自分に必要な人は残り、必要でない人は去っていくのではないでしょうか。

すると、また人生は違ってくるのだと思います。

ちなみに、亡き正木先生も、脳波を下げてθ波になると、時間の流れが変わると言ってましたが、自分をさらけ出して、自分の思いを無くせば、脳波が下がり、時間の流れが変わったり、直感やひらめきが生まれるのではないでしょうか。

迷った時、そういった直感に従えば、うまくいくのではと思います。

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さらけ出す

2023年02月09日 09時41分00秒 | 安江邦夫先生

相変わらず、保江先生の動画にハマってます。

その中で、さらけ出す、という事を先生は言われてました。

先生は、自分をさらけ出す事で、空手の達人に合気道で勝つことができたそうです。

自分をさらけ出すとは、私の解釈ですが、ありのままの自分を隠さずさらけ出すという意味だと思います。

いい格好しない、見栄を張らない、ひけらかさない、弱い自分を素直にさらけ出す、貧乏を隠さない、できないことも、できることも隠さない、そういう事じゃないかと。

これ、意外と難しい。

人前でカッコつけたくなったり、弱みを見せたくなかったり、自分を良く見せようとする。

では、さらけ出すと、何が起きるのか。

保江先生は、空手の達人との試合中に、相手の動きがスローモーションで見えたのだと、私の勝手な想像ですが。

という事は、さらけ出して、ありのままの無垢な純粋な赤ちゃんのような状態になると、直感やひらめきが働くのではないかと、私は思います。

それはつまり、自分の思いを無くして無になる事と同じ事かと。

自分を良く見せようという思いを無くし、さらけ出せば、無になり、直感が働き出すのではないかと思います。

余談ですが、さらけ出すって、なんでも思った事を口に出したり、やりたい放題やる事ではないですよ。

弱い自分、ダメな自分、変わり者の自分をさらけ出すという意味です。

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素領域理論とバクトロン

2023年01月25日 17時23分00秒 | 安江邦夫先生

昨日のブログで、保江先生の動画にを見て、神様に必死にお願いしてもだめで、神様に囁くくらいが良いということを書いた。

それで、ふと、保江先生の言ってることと似たような事を言っていた正木和三先生の事を思い出した。

正木先生は、2002年に亡くなられてますが。

正木先生も、神様にお願いするのではなく、神様に感謝して、もし、願い事があるなら完了形で思いなさいと言っていた。

そして、以前正木先生の動画を見て、メモしていた文章を読み直してみて、あれ?と思った。

正木先生は、原子核と電子軌道の隙間にバクトロンが存在し、核と電子間の伝達の役目をしていると言っていた。

そして、引力を伝える媒体としてバクトロンが必要なのだそうだ。

これって、保江先生の素領域理論となんか似てるなぁと。

私は物理学なんて全く分からないので、もし違っていたらごめんなさい。

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神様に囁く

2023年01月24日 08時50分00秒 | 安江邦夫先生

今日も保江邦夫先生の講演をYouTubeで見て、メモします。

安江先生は、末期の大腸癌だったのですが、ルルドに行ったら治ったそうです。

しかし、ルルドに行って癌が治るのは7%

なぜ保江先生は、癌が治ったのかというと、保江先生は、神様に癌を治してくれと、必死にお願いせず、軽ーい気持ちで、治ったらいいな、くらいの気持ちだったそうです。

神様は、一生懸命ガンガンお願いされるのを嫌がるらしいです。

なるほどなぁ。

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保江邦夫先生

2023年01月17日 08時58分00秒 | 安江邦夫先生

最近、保江邦夫先生の動画にどハマりしている。

いやー、本当に面白いのだ。

こんな面白い先生の事を、なぜ今まで知らなかったのか、悔しいくらいだ。

しかし、末期がんがルルドに行って治ったり、合気道で相手を愛で倒せたり、その他不思議な出来事が盛りだくさんなのだから、私にとっては面白くてたまらない。

ものすごい数の動画がYouTubeで見れるので、まだほんの少し見ただけなのだが、もう驚きの連続である。

保江邦夫先生の本も読みたいけど、当分は動画を見てみようと思っている。

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活人術

2023年01月01日 21時34分00秒 | 安江邦夫先生

またまた、安江先生の動画を見て思ったことを書きます。

保江先生は、相手のことを、可愛い私の赤ちゃん、と思ったり、相手の事を人間愛で愛すると、とても敵わないような人が相手でも腕相撲で勝つことができると言います。

また、相手に床に押さえつけられた手を、払いのけることもできると言います。

その話を聞いて、私は早速、旦那と腕相撲をやってみました。

心の中で旦那は私の可愛い赤ちゃんなのだと思ってやりましたが、全然勝てません。

また、旦那に私の手を床に押さえつけてもらって、やってみましたが、やっぱり払いのける事ができませんでした。

あれ?

なんで?

それで、よくよく考えてみたら、私は心から旦那のことを、私の可愛い赤ちゃんだと思っていないから、なのだと気が付きました。

それは、成功する人は、成功したと、全く疑いの気持ちなくイメージできる人が成功するというのと同じことなのだと思いました。

少しでも、無意識にでも、もしかしたら無理かも、と思ったらダメらしいのです。

私は、そういう完璧なイメージができないから、旦那の腕相撲にも勝てないし、スプーンも曲げられないという事なのでしょうね笑

でも、やはり私のような凡人には活人術は難しいですね。

でも、成功のイメージって、少しずつ成功体験を積み重ねていくことでできるようになると思うので、やはり凡人の私にはその方法が一番だと思いました。

また、相手を可愛い私の赤ちゃん、と思うのは難しくても、相手に対して感謝することは私にもできるので、私の活人術は、感謝、ですね。

それによって、相手に勝つことはできなくても、それで良いと思いますね。

余談ですが、スプーンを曲げられる人は、私の可愛い赤ちゃんという活人術はできると思います。

理由は、スプーンは曲がるって心から信じられるからです。

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差取り?悟り?

2022年12月29日 14時37分00秒 | 安江邦夫先生

またまた保江邦夫さんの動画を見て思ったことを書きます。

今回の動画は、差取りの事です。

保江先生は、差取りとは、相手と同じ意識、同じ気持ちになることにより、相手の気持ちを誘導できる、というものです。

確かに、相手が悲しい時に一緒に悲しくなるとか、相手が泣いている時に自分も同じ気持ちで泣くと、相手は心から癒されるのかもしれません。

相手の喜怒哀楽に同調するのだそうです。

そして、保江先生は、相手の行動パターンを真似てみることで、相手の気持ちを誘導できると言います。

それなら、DVの旦那さんの行動を奥さんが真似たら、どうなるんでしょう?

夫 何やってんだ!

妻 何やってんだ!

夫 てめえ、殴られたいのか?

妻 てめえ、殴られたいのか?

夫 妻を殴る

妻 夫を殴る

夫 ますます激昂して妻を殴る

妻 ますます激昂して夫を殴る

夫 包丁を持ち、妻を脅す

妻 包丁を持ち、夫を脅す

夫 妻を包丁で刺す

妻 夫を包丁で刺す


このような展開になる可能性もありますね。

なぜなら、DVのお舅に、私は口答えしたことが一度あるのです。

口答えするというのは、お舅と同じような感情になることです。

すると、お舅はますます激昂して、殺すぞと言ったのです。

そこで私も同じように、こっちこそ殺すぞ、と言ったら、本当に殺し合いにまでなっていたかもしれません。

なので、相手と自分が同じ気持ちになるのは、喜び、悲しみ、楽しみの感情はとても良いことだけれど、相手の怒りの感情と同じになることは大変危険であると、私は思いますね。

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愛すればうまく行く?

2022年12月28日 08時58分00秒 | 安江邦夫先生

このところ、保江邦夫さんの動画をよく見ているのだが、その中で、相手を愛すれば、場を変えることができる、と言うものがある。

その愛というのは、男女間のドロドロした愛ではなく、人間愛とでもいうものだ。

なるほど、、、

相手に関心を持ち、温かい波動で相手に接すれば、場が変わり、自分の言葉がうまく伝わると言うことか。

しかし、自分は相手を愛しても、相手が自分を愛さなかったら?

いや、自分を嫌っていたら?

どんなに自分が相手に温かい愛の波動を送り、場を変えようとしても、相手が自分を攻撃しようとしたら?

どうなんでしょうね。

DVを受けている奥さんが、試しに旦那さんに神様のような愛を送り、場を変えたら、旦那さんのDVはなくなるのでしょうか?

神様のような愛って、相手の言いなりになることではなく、温かい波動で接することなんじゃないかな。

じゃあ、もし、DVの旦那さんが奥さんに言葉の暴力も含めて暴力を振るった時、奥さんが温かい笑顔で楽しい歌でも歌ってみたらどうでしょう?

歌じゃなくてもピアノとか、美しい音楽をかけるとかして笑顔で接したら?

いやいや、殴られている時にそんな事できませんよね。

せめて、殴られながら奥さんは笑顔でいる?

打って打ってって、笑顔で。

流石に旦那さん、奥さんが気が狂ったと思って殴るのをやめる?

それとも、俺を馬鹿にしてるのかと、ますますヒートアップして殴る?

あるいは、殴られながら瞑想を始めるとか?

死体のポーズとかやって。

うーん、難しいですね。

そんなことで解決できれば容易いことなでしょうけど、そんなに単純じゃないもんね。

もし、自分を殺そうとしている人がいて、その時その人に愛の波動を送ったとしても、殺されてしまう可能性は高そうです。

でも、陰気臭い波動を出している人のそばにいると、なんだかこっちも暗くなりイライラするし、陽気な人のそばにいると、こっちまで明るい気持ちになるのは本当ですね。

自分も、温かい愛の波動を出して、場を変えるようにしたいものです。

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