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今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

オイルショック対策で「国民生活安定緊急措置法」と「石油需給適正化法」公布(1973/12/22)

1973-12-22 00:00:00 | 生活全般
1973/12/22

 1973年10月6日に第4次中東戦争が勃発し、16日には、石油輸出国機構(OPEC)に加盟しているサウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)などのペルシア湾岸産油国6カ国は、原油価格の21%引き上げと原油生産の削減を発表しました。

 日本は、高度成長期に入り、エネルギー供給の主力を石炭から石油へと転換してきていました。そして、この年にはエネルギー供給の8割近くを石油に依存するようになっており、そのうちの8割ほどはペルシャ湾岸などの産油国からの輸入に頼っていたのです。
 このため、OPECのこの発表は、日本に大きな衝撃を与えました。石油価格の上昇は、様々な業種での商品価格の上昇に繋がり、便乗値上げも起こりました。OPECの発表からわずか半月後には、大阪のスーパーが発端となったトイレットペーパー騒動が起こり、市民生活への影響も出始めました。

 この状況に対応するため政府は、灯油、ガソリン、液化石油ガス、トイレットペーパーなどの生活関連物資等について、物価が高騰するおそれがある場合には、標準価格を定めて公表したり、品物が市中に出回らなくなった場合には、業者に出荷を指示することなどを定めた「国民生活安定緊急措置法」と、石油の大幅な供給不足が生じた際の石油の適正な供給確保と石油使用の節減のための措置について定めた「石油需給適正化法」を制定、公布しました。

 すでに政府は、11月16日には、石油、電力の使用に対して行政指導中心の節減対策(石油、電力の原則10%節減)をとっていましたが、翌年1月16日には、更なる措置として石油、電力の原則16%節減を求めました。この時、同時に国民生活安定緊急措遣法に基づいて、灯油、LPGの標準価格の設定が行われました。そして、2月に入り、石油使用節減は石油需給適正化法による法的規制に移行したのです。
 このため、深夜の電力消費を抑制しようと、街のネオンの早期消灯やテレビ放送の深夜放送休止(NHKは日中の15時~16時30分ごろと23時以後の放送を休止、民放も24時以後は放送休止)などの処置が行われました。

 1973年10月のOPECの発表から2ヶ月後に法令制定するなど、速やかに様々な対策がとられたことは、当時の産業や日々の生活にいかに影響が大きかったかを物語るものと言えるでしょう。

 このような官民挙げての対策にもかかわらず、物価の高騰は続き、国内の消費者物価指数で1974年は23%上昇しました。このため、インフレを抑えるために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などが抑えられました。その結果、1974年は-1.2%と戦後初めて、マイナス成長を経験し、戦後続いていた高度経済成長は終わりを告げたのです。

 今も続く、中国での石油需要増加がきっかけとなった2004年からの原油価格の高騰が、オイルショックの再現となるのではないかとの指摘もあります。日々の生活への影響は徐々に大きくなっており楽観はできません。しかし、今回の価格の高騰は原油の大きな供給源を伴うものではなく、これまでのオイルショックの反省を踏まえた落ち着いた対処をしていきたいものです。

2005/12/04 作成 YK