今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

世界初のクオーツ時計発売(1969/12/25)

1969-12-25 14:24:45 | 生活全般
1969/12/25

時を刻む時計には正確さが求められます。さまざまな技術で機械式の時計の精度は格段に上がってきましたが,まだまだ一ヶ月単位などを考えると微調整が必要でした。

正確さをあげるためには,高い振動数で安定して振動するものが必要であるという事が分かってきました。音叉を利用するという方法が考えられ,一日2秒程度の誤差ですむところまで精度が上がりました。しかし,音叉では衝撃などに弱く,実用に堪えるものではありませんでした。

1880年にキュリー夫人の夫,ピエール・キュリーとその兄ジャック・キュリーによって,水晶に電流を流すと高い振動で震える事が発見されていたのです。1927年にアメリカのマリソンが,この水晶を利用した時計を開発しました。しかし,あまりにも大きく実用にはなりませんでした。
1958年に,日本の精工舎(現在のセイコー)が放送局用に水晶時計を作成しました。しかしまだタンスほどの大きさでした。

その後どんどん小型化され,東京オリンピックの掲示に使われたり,新幹線に採用されたりと,徐々に浸透してきました。

そしてついに1969年12月25日,「セイコークオーツアストロン」という名前の腕時計が発売されました。当時の水晶振動子つくりは全て手作りで行なわれ,月に10個ほどしかできないほどの貴重品でした。従ってこの腕時計も非常に高価で,当時の価格で45万円だそうです。当時一般に売られていたカローラという車よりも高価だったという驚きの価格です。
しかし,水晶振動子の効果で月差わずか3秒という正確さでした。

当時18mmあった水晶振動子は,現在4.5mmにまで小型化され,生産速度も一時間に数万個もつくる事ができるようになり,これを利用した時計の精度も,年差が5秒とより正確さが増してきています。

2005/11/23 HA 作成

DDTの国内向け生産を中止(1969年12月10日)

1969-12-10 00:49:34 | 化学系
1969年12月10日

戦後の日本で,アメリカ軍がシラミなどの防除のため,白い粉末のDDT(Dichloro-Diphenyl-Trichloroethane)を撒いているシーンをTVなどで見た事のある人は多いのではないかと思います。
非常に効果の高い農薬として活用されてきたDDTは、1873年に合成されていた物質であるといわれています。ストラスブール大学の学生が博士論文の中に合成方法を書いていたのです。
その後1939年に、スイスのガイギー社のミュラーがDDTが殺虫作用がある事に気づいたのです。

戦中戦後などの劣悪環境下での公衆衛生面の維持には欠かせない薬剤の一つとして大量に使用されました。
また、古くからマラリアの流行域では、DDTの目覚ましい効力で蚊を撃滅させ、地球上からマラリアが姿を消すのではないかとまで考えられたのです。

DDTは、化学工場からの副産物の塩素を利用するため,非常に安価に大量生産が可能でした。さらにその強力な殺虫効果で,森林保護のため,不快昆虫撲滅のためと,使用開始から30年間で全世界で300万トン以上が散布されたと推察されています。

魔法の薬品のように思われていたDDTですが、一部の生理学者の間では1950年頃には生物濃縮や蓄積が行なわれている事に気づいていました。作家のレイチェル・カーソンは、それらの生理学者と連絡をとりあい、「サイレントスプリング」を出版しました。しかし、随分長い論争の末,最終的には1960年代後半から1970年にかけて公害防止のための法案の策定などのきっかけになり、DDTの大量散布も取りやめになりました。

日本では,サイレントスプリングが「沈黙の春」として和訳され出版されました。アメリカとはDDTの利用方法が随分違ったのですが,DDT=悪と単純化され,1969年には国内向けの製造と稲作への使用が禁止,1971年には全面的な販売の停止となりました。

日本を皮切りに,先進諸国では1980年代までに使用禁止となったDDTですが、発展途上国では現在でも活用されているのです。現在はDDTの毒性について再検討され,飛び抜けて強い毒性ではない事や脂肪組織に蓄積はされるものの、どのような悪影響があるのかという事などもはっきりと結論づけられていないのです。ただ,DDTを1960年代のように大量に使用し続けていたらもっと高い濃度で自然界に蓄積していった事はほぼ間違いのないことだったでしょう。