今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

"電子を発見した物理学者"J.J.トムソン生まれる(1856/12/18)

1856-12-18 00:00:00 | 物理系
1856/12/18

 電子の存在を明らかにした物理学者であるJ.J.トムソン(Joseph John Thomson)は、1856年のこの日、イギリスのマンチェスターの郊外で生まれました。
 J.J.トムソンは、ケンブリッジ大学で陰極線の研究を行い、陰極線の正体が電子であることをつきとめ、電子の存在を明らかにしました。

 空気を抜いて真空にしたガラス管の中の両端に電極を置き、高い電圧をかけると、蛍光膜を光らせることのできる”線”が現れます。この”線”が陰極線です。
 19世紀の後半、陰極線は、金属泊を透り抜けることや電界をかけても進行方向が変化しないことから、電磁波のように波の性質を持つものだという説が有力でした。その中は、J.J.トムソンは、「陰極線は電荷を持つ粒子である」と主張し、研究を進めました。

 最も大きな課題は、それまでに言われてきた陰極線に電界をかけても進行方向が変わらないことを反証することでした。このことに対してトムソンは、陰極線に電界をかけても進行方向が変わらないとされてきたのは、ガラス管からの空気の抜き方が足りず、陰極線が真空管の中に残っている窒素分子や酸素分子などにぶつかり散乱して拡がってしまうため、わずかな進行方向の変化が計測できないからだと考えました。
 そこで、トムソンはさらにガラス管の中の空気を抜き、中の気圧を下げて計測しようと試みました。さらに空気を抜くことは、技術的に様々な課題がありました。しかしそれらを乗り越え、J.J.トムソンは、陰極線は電界をかけると進行方向が変わることをつきとめ、陰極線が粒子でできていることを明らかにしたのです。
 そして、陰極線が電界のプラスの側に曲がることから、この粒子が電子であることを見出しました。このことを足がかりに、電子の電荷と質量の比を測定し、さらに電子の電荷も測定することで、電子の存在を明らかにしたのです。
 これらの功績から、1906年、J.J.トムソンはノーベル物理学賞を受賞しました。

 その後、J.J.トムソンは、あるプラスの電気を帯びた球体と電子が一様にまざって原子をつくっているという原子模型を発表しました。(プラスの電荷を帯びた球体をパン生地に、電子をくるみに見立てたくるみパンのようなイメージ)
 この原子模型は、現在知られている原子核の周りを電子が回っているという模型とは異なるものでした。この原子模型が発表されてから、この原子模型に基づき様々な現象を解釈する試みが行われましたが、徐々に説明できないことがあることが明らかになり、長岡半太郎・ラザフォードの模型、ボーアの理論と、仮説が発表されては検証され、それを乗り越えるために新たな仮説発表されていきました。そして、現在知られている原子模型が定説となったのです。

 なお、J.J.トムソンの息子、G.P.トムソン(George Paget Thomson)は父の研究を受け継ぎ、今度は電子の波動性を証明し、1937年、ノーベル物理学賞を受賞しました。父がいわば電子の”粒子性”を明らかにし、息子がその波動性を証明したことになります。二人の業績は、量子力学の成立に大きな役割を果たしました。

2005/12/3 作成 YK