今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

日本初飛行の日(1910/12/19)

1910-12-19 11:41:03 | 交通
 ライト兄弟が初飛行に成功した日(1903/12/17)から7年と2日後の1910(明治43)年12月19日、日本人による初飛行が成功しました。場所は東京・代々木錬兵場(現在の代々木公園)です。飛行訓練には陸軍工兵大尉の徳川好敏と陸軍歩兵大尉の日野熊蔵が挑戦しました。5日前から続く訓練でしたが、この日は何度も試みたもののうまく離陸できていませんでした。徳川大尉が20数度目の滑走で空中に浮き上がった瞬間、早朝から集まっていた見物人は感嘆の声を上げたといいます。飛行の記録は、徳川大尉がフランス製アンリ・ファルマン1910年型複葉機で滞空時間4分間、飛行距離3,000m、高度70mの飛行、続く日野熊蔵陸軍大尉はドイツ製グラーデ式単葉機により滞空時間1分間、飛行距離1,000m、高度45mの飛行でした。
 実は飛行訓練を開始した5日前の12月14日にも飛行に成功していたが、公式の飛行実施予定日ではなかったため「滑走の余勢で誤って離陸」と報告されていたという裏話もあります。

 さて、日本には「空の日」という記念日(9月20日)もあります。1940(昭和15)年に制定され、当初「航空の日」と呼ばれていました。運輸省航空局が1992(平成4)年に改称しました。 制定当初、徳川大尉らが初飛行した12月19日も候補だったのですが、12月では気候的に「航空の日」の行事に適さないため、1911(明治44)年、山田猪三郎が開発した山田式飛行船が、滞空時間1時間の東京上空1周飛行をした9月20日を「航空の日」としたそうです。

2005.11.27 作成 HY

北海道にラッセル車登場(1910/12/15)

1910-12-15 11:42:02 | 交通
1910/12/15

北海道では,冬期間日常の交通が降雪によって大きく阻害される事があります。
そのために様々な方法で除雪をする必要が出てきます。鉄道網,路面電車網ももちろん例外ではありません。

1910年,アメリカのラッセル社が製造した雪かき用の車両が導入されました。それは排雪板(ブレード)が装着されていて,前に進む事によって雪を横にかき分けるような仕組みになっている車両です。雪が多くなる時期には線路両脇の積雪量も多くなり,排雪する場所がなくなるので運用できなくなりますが,この除雪車によって効率よく列車の運行ができるようになりました。

現在もこのような形式の車両の事をラッセル車と呼んでいます。また,深雪を人がこぐ動作の事をラッセルと言ったりするのもこの辺りが語源のようです。ちなみに日本でしか使わない表現だそうですが・・・

ラッセル車で集められた雪はだんだん高くなってきます。それを,八の字型の翼状のブレードでかき寄せる車両をマックレー車といいます。これによって集められた雪を今度はロータリー車で遠くにはね飛ばすのです。


札幌市や函館市にある路面電車では,タケを使って「ササラ」というブラシを取り付けて回転させ除雪するササラ電車というものもあります。

鈴木梅太郎,オリザニン発見を報告(1910/12/13)

1910-12-13 00:00:00 | 生物系
1910/12/13

 現代においては「脚気」は直る病気ですが、昔は不治の病として人々にたいへん恐れられていた病気です。今では脚気はビタミンB1の不足で起きる病気であることが知られていますが、当時は原因不明の病気だったのです。日本では、元禄時代に江戸の町で大流行し、以後昭和に入るまでにたくさんの人々が脚気で命を失いました。
 脚気の原因がビタミンB1の不足であることを突き止めたのは、鈴木梅太郎という農芸化学者です。彼は脚気にかかった鳩に米糠を与えると、脚気が治ることに気がつきました。1910年に脚気を治す成分を米糠から抽出することに成功し、12月13日にその研究成果を発表しました。彼はこの成分を「アベリ酸」と命名し、後に名前を「オリザニン」と付け直しました。このオリザニンがビタミンB1だったのです。
 しかし、残念ながら彼の研究成果は日本の医学界では無視されてしまいました。当時、日本の医学界で脚気は伝染病であるという考えが中心的だったためです。彼の論文はドイツ語に翻訳されましたが、「オリザニンは新しい栄養素である」という1行が削除されてしまったため、世界的な注目を受けることはありませんでした。
 翌1911年、ポーランドのカシミール・フランクがオリザニンと同じ成分を抽出することに成功し、生命(ビタ)に必要な有機化合物(アミン)であるとしてビタミンと名付けました。鈴木梅太郎は間違いなく世界で初めてビタミンを発見した人です。しかし、世界で注目を受けることがなかっため、ビタミンの発見をカシミール・フランクに譲ることになりました。

2005.11.10 作成 MK