今日は何の日?

昔の今日は何があったのでしょうか?ちょっとのぞいてみましょう。

玉川上水完成(1653/11/16)

1653-11-16 00:00:05 | 生活全般
1653/11/16

1603年に徳川家康は江戸幕府を開きました。徳川幕府の勢力は強大なものになり,参勤交代制度などの関係で,全国に二百数十名いた大名は江戸に邸宅を構えざるを得なくなりました。幕府の家臣も江戸に移住する事になり,それに目を付けた商人の移住など,江戸の人口は爆発的に増加する事になったのです。

人口増加は様々な問題を引き起こします。深刻なのは水問題です。
当時の江戸での水事情は,わき水やため池,近くの小さな河川で賄っていました。当時の技術では台地の方では井戸を掘る事もできず,海岸沿いでは塩分が混じり,抜本的な水不足対策が必要になったのです。
そこで徳川家光(3代将軍)は江戸近郊をまわり,適当な川を探しました。その結果選ばれたのが多摩川です,
4代目の家綱のとき,松平伊豆守を水道奉行とし,上水道の工事に手を付け始めました。
多摩側沿岸に住んでいて水利にくわしかった,住人庄右衛門・清右衛門の2兄弟に工事を依頼する事に決定しました。
工事費は7500両。羽村から四谷大木戸まで43kmにも及ぶ水路の掘削工事の始まりです。その場所は水が非常に浸透しやすい地質でしたし,7500両とはいえ工事の規模にしてみると十分な額とはいえず,大きな障害となりました。

43kmはなれていますが高低差はわずか100m。今のような精密な計測機器がなかった時代にこのような精密な作業しなければいけなかったのですから相当な苦労があったのだろうと想像できます。
この兄弟は東西の稜線を通す事で,南北両方に分水できるように設計し,江戸の水を賄ったのです。
この工事に江戸幕府は大変満足し,兄弟の功績を認め「玉川」姓を名乗る事を認めました。さらに水元役として帯刀も許可したのです。

江戸の大人口を支えてきた玉川上水も1901(明治34)年に停止されましたが,再び通水され,現在も導水路として利用されています。

2005/10/23 HA作成