えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

『遊侠 沓掛時次郎』 シス・カンパニー 九月十七日公演 新国立劇場 小劇場

2016年09月24日 | コラム
・意味づけのための本と

 壇上にしつらえた移動式の小舞台の端で『赤毛のレドメイン家』の文庫版を段田安則が両手で開いて読んでいる。ドサ回りの大衆演劇一座の役者に不似合いな男という色付けをその書物は十分にこなしていた。
北村想の『日本文学シアター』の三番手に取り上げられたのは長谷川伸『遊侠 沓掛時次郎』だった。一作目に太宰治『グッドバイ』を、二作目に夏目漱石『草枕』が並ぶ三番手に長谷川伸。学校の国語の授業で習うひとではない(二〇〇九年から小林まことが連載していた劇画シリーズで知っているかもしれないが)。とまれ前二作の生まれた雰囲気の後ろでうごめいていた大衆に人気を博した演目を持ち出したところ、脚本家の日本文学に対する段取りが感じられるようで勝手に合点した。

 本作では『遊侠 沓掛時次郎』を得意の演目とするドサ周りの旅芸人一座と、その一座にふいとやってきた一六歳の家出娘のやりとりを描く。劇の大筋は劇中劇『遊侠 沓掛時次郎』と、舞台を降りた役者の姿を『暗闇の丑松』に託した二重写しの世界に作られており、ところどころの小道具が時代を惑わせる。電球をつけた木製の電柱が立つ一方で舞台袖では若い役者がスマートフォンでゲームに興じ、暖房のない宿屋には番頭が火鉢へ炭を入れに来る。そして要所で役目を果たす本物の本の選び方と使われ方は、素直にうまいな、と思った。

 段田安則の演じる段三は京都大学中退の秀才で、学内の演劇部にいた経験を使い一座の看板役者をつとめている。彼を囲む周囲の、座長を中心とした関係からは浮いていて、萩原みのり演じる家出娘の洋子がアルチュール・ランボーを暗唱するほどの本好きだと知るとほんの少し雰囲気が和らぐ。旅仲間とは交わせない本の会話を段三は洋子のいるわずかな時間楽しむ。家に帰ることを決めた彼女に言葉で勧める『二十歳のエチュード』は、彼なりの贈り物だ。だが、東京へ帰宅する彼女を送ると名乗り出た好色漢がそこはかとなく暗い影を落とす。三年後、洋子の赤いハンドバックから取り出される本物の『二十歳のエチュード』のよく焼けたページは場面の痛々しさを物語っていた。

 宿屋に泊まる段田安則のしぐさがよかった。仲居や番頭と話しながら左手をあぶり、黒い革ジャンパーを脱がずに火鉢の炭で紙巻き煙草へ火をつけて一服する。エアコンのない寒さと手錠までもう少しのところまで行ってしまった雰囲気の影が深く見えた。
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・お祭りの居所

2016年09月10日 | コラム
「あのお祭りにはどんな意味があるのですか」と、席を一つ飛ばした隣に座る青い目の女性が奥に座った白髪の老女に尋ねていた。紅茶専門の喫茶店にはアメリカ人の彼女が頼んだラプサンスーチョンの濃い香りがまだ漂っている。老女は「あのね、この近くに八幡様というね」と、たどたどしい日本語で答えながら「変ねわたし日本語がたどたどしいわ」と笑った。喫茶店の女主人が「大丈夫ですよ、この人は日本語がとても上手ですから」というと、金髪の彼女はほほえんだ。

 二階にある店の窓の外からお囃子が聞こえてきた。同時に「わっしょい、わっしょい」と甲高い声と低い声が入り混じって子供神輿が大通りの真ん中を渡ってゆく。「ほら、子供神輿。脇を通ってゆきますよ」との女主人の言葉に狭い店の客が私含めて立ち上がり、彼女の指し示したベランダの先をのぞき込む。軒先がぶつかり合う狭い路地を揃いの半纏と鉢巻を締めた子供たちが大人の男に先導されてところてんのように進んでいた。ベランダの床板の端からちらりと派手な屋根が見えた。それを押し流すように次から次へ進む人声に勝ってお囃子が近づいてきたので客たちはそれぞれ座っていた席に戻った。

「路地の向こうにお社があるんですよ。本神輿はこれから来るの」「何基もあるのですか」「ひとつだけよ。今日はお社のお神輿だけが通るけれど、明日は町内の組、そうね十二、三基はあちこちの通りを回るの」金髪の彼女は老女のことばへ慎ましやかに肯いていた。

 駅を降りてガードレールを覆っているだんだらに驚いたのも束の間で、道路の奥にたまっていた神輿の支度をして半纏を来た一団を見て合点がいった。ロータリーを動くバスも神経質そうにハンドルを切っている。歩道は狭く露店はないが、神輿の進む道を時間をかけて空けるため道路では警察官と思しき制服姿が盛んに注意を呼び掛けていた。

「お祭りはね、神様に感謝するためにするんですよ。この町は秋。浅草の……何と言ったかしら」「三社祭ですね」「そう三社祭。三社祭は春ね」肩口でカールさせた金髪の彼女は老女に向ける優しい納得を特に何かのしぐさをするでもなく表していた。
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