えぬ日和

日々雑記。第二、第四土曜更新を守っているつもり。コラムを書き散らしています。

・病床の感想

2017年02月25日 | コラム
「流行にのったかたちですね、A型です」

 小鬢に白髪が混じり始めた丸顔の医者が病名をインフルエンザと断定した。それから私は部屋に閉じ込められ、数日の間は寝込み症状がよくなってからも昔懐かしいえんがちょ扱いでお手洗いに行くにも家族の顔色を窺い、外出の許可が下りたころから逆算すると一週間近くの大半は寝床で過ごしていた。ひも靴を履こうとして立ちくらみが起き、駅まで歩いて電車に乗るだけで疲労が襲い掛かる。昔の人はぐうたら生活で足の筋肉が落ちたことを嘆いたが同じく足の筋肉は落ちた上に回復期もろくに動かない(動けない)ものだから太腿周りに脂肪がついてむくみ以前の問題と化していた。気長に治そう、履けなくなったズボンを脇へ押しやりながら歩くことを習慣づけていた矢先、今度は細面の女医が病名を告げた。

「感染性胃腸炎ですね」

 吐き気その他諸々をこらえながら症状を伝える私を数十秒くらいで彼女は断定した。歩いて五分の家への道程は道中薬局へ寄ることも含めて遠かった。同じ病院の待合で見かけた学生とサラリーマンらしき男の二人連れが遅れて薬局に現れる。「お腹の調子が悪いんですか」と処方箋を見た薬局の親父がにこやかに会話を作ろうと語り掛けてきたがこちらは肯くしかできないほど疲弊していた。片手にビニール袋を握りしめながら雨のそぼふる路地を通り、家までたどり着いた私を待っているのは半強制的な引きこもり生活と消毒薬だった。家族からは「細菌兵器」という微妙なあだ名を奉られたがもう言い返す気力もなく、絶え間ない吐き気その他諸々を薬が無理やり抑え込むことを期待しつつ寝床へ引きこもる。また太腿の張り詰める気配を感じるがどうしようもない。気分が悪い。これも昔の人で病気で起き上がれなくなりながら日記や新聞へ連載する記事を書き続けた人がいたそうだが今となっては猛者にしか見えない。

 これをPCに打ち込んでいる現在進行形、私は布団を自力で干せるほど腕力その他諸々回復しているはずなのだが、(当たり前なものの)感染力の高い細菌兵器に声をかけるものはおらず食事の機会を逃し続け微妙に栄養失調に陥っている。それから二度の流行に乗った結果、二月の大まかな日々は病床に消えた。なんだかんだ地味に堪えるのはこのあたりだろうか。
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・『二十歳のエチュード』(角川文庫版) 読書記

2017年02月11日 | コラム
:絶えない絶唱へ

「《その時、彼ははたちだった。》と書き出して、《その時、彼ははたちだった。》と結ぶんだ!」
 そう友人の橋本一明へ一節の言葉を託すと原口統三は昭和二十一年の十月二十五日に逗子の海へ沈んだ。「原口統三は、氷のようです」と、去年観た『遊侠 沓掛時次郎』の舞台で主人公の少女が作り笑顔で涙をこらえながら叫んでいた場面を思い出す。そして「ランボーは、炎のようです」と続ける少女へ男は「よく読んだ」と笑顔を向けていた。『二十歳のエチュード』にはちらほらとアルチュール・ランボーの影が差している。ランボーだけではなく彼が影響を受けた人々のことばが『エチュード』には記されているが(本書は『老子』の引用から始まる)、たぶんわかりやすく目に見えて比較できたことばがランボーだったのだろう。

 現在の東京大学の旧第一高等学校に通い高い教育を受け、詩人としての将来を嘱望されながら自らの原稿を焼いて原口統三は正確には十九歳十ヵ月で亡くなることを選んだ。死の直前まで彼は書くことをやめなかった。一度は焼き捨てた自分の言葉で書き綴ることをとうとうやめられなかった。どちらかといえば、背伸びして人を見る若者の冷ややかさが漂っている文だ。けれどもそれは決して冷たいものではなく、自分に対しても他人に対しても客観的であろうとあがいてなりきれなかった人の体温がにじんでいる。身の回りの物すべてを売り払い、旅費を捻出して一か月を旅に過ごす間に出会った人を書き留めておく筆致は温かい。

「「むらさき」という粋な名前のみやげ物屋がおばあさんの独り暮らしの棲家でした。(中略)「むらさき」というのは源氏物語の「紫の君」をとったのだそうです。(中略)若い頃の彼女はあたかも「紫の君」にそっくりの境遇であり、そしてまた源氏そっくりの青年と結ばれていたが、はかない結果になった、というわけです。」

 挿絵を入れてほんの二ページほどの掌編だが、奈良の老婆と会話を重ねる彼の姿は気取りがなく穏やかだ。それでいながら、ことばに対して誰よりも繊細な感覚を持つがゆえに「潔癖」「純潔」といったようなものに囚われた彼はこう書かざるを得なかった。

「表現は畢竟、それを受け取る人間にとって、年と共に姿を変えてゆくところの品物にすぎない。君がもし、僕のことを覚えていてくれるのなら、時として君の蛍雪の窓にも訪れてくるであろうあのマルセル・プルウストの夜に、君たちを怖(おび)やかした統さんの高笑いと、自慢の長い睫毛とを思い出してくれたまえ。」

 その時、彼ははたちになろうとしていた。
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