犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その54)

2017年05月28日 | 辰巳ダム
石川県議会で宇野邦夫議員が「カチ殺せ」発言

 提訴してすぐに事件が起きた。
 3日後の2008(平成20)年5月23日、石川県議会土木企業委員会で宇野邦夫議員の「カチ殺せ」発言である。元職員の下郷稔氏が辰巳ダム訴訟原告団の代表に就任したことについて、下郷氏と特定できる経歴などに触れて、「石川県からたたき出せ」、「カチ殺せ」などと過激な言葉で攻撃した。
 辰巳ダム建設促進の旗振りをしている宇野邦夫議員にとって建設の妨害と受けとり過激な発言になったようである。元県職員で石川県にお世話になりながら、辰巳ダムの事業主体である石川県と対立する辰巳ダム訴訟原告団の一員、それも共同代表の一人となったことが、道義的・倫理的に許すことができない、裏切りであるということのようだ。

 法規、道義の面から考える。
①元県職員に関係なく、個人がある公共事業を問題と考えた時に反対するのは違法ではない。違法どころか「思想および良心の自由はこれを侵してはならない。」(憲法第19条)である。
②良心に従って反対するのは道義的に正しいことだ。倫理的に問題となることもありえない。封建社会であればお上の意向に逆らうことがゆるされないということだろうが。
③品位を求められる公務員がこんな粗暴な議論を議会ですることは、違法ではないのか。懲罰規定があるので規律違反か。
④公式の場で下品すぎる言葉を黙って聞いている議員(公務員)は道義的に不適格である。
⑤これを批判しないマスコミはマスゴミのレベルである。

 思想、信条はいうにおよばず、言論の自由で、自由に意見を主張してたたかわせることで、最終的によりよい終着点にたどり着くことができると考えているのが、民主主義ではないのか。脅しともとれる過激な発言で言論を封じようとすることは許すことができない。

 2008(平成20)年5月27日、辰巳ダム訴訟原告団(下郷稔・碇山洋共同代表)は議会内で宇野氏に抗議した。宇野氏は過激な発言があったことを認め、議会事務局に議事録削除を求めたという。

◆2015.7.20 宇野邦夫と辰巳ダム

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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その53)

2017年05月27日 | 辰巳ダム
2008-提訴

 2007年(平成19年)11月28日、国土交通省北陸地方整備局が辰巳ダム建設事業に関して事業認定して告示した。石川県は土地収用法にもとづく用地取得が認められたことになる。
 この事業認定処分に異議がある場合は、土地収用法による利害関係者は6ヶ月以内に訴えを起こすことができる。
2008年(平成20年)5月20日、辰巳ダム建設に反対する、共有地の地権者(15名?)による「原告団」を発足させた。元兼六園管理事務所長の下郷稔氏、辰巳の会の碇山洋代表を共同代表として選出した。同時に、「辰巳ダム裁判を支える会」を結成した。
 また、金沢弁護士会員(14人)からなる「弁護団」を発足させて、鳥毛美範氏が団長に選出された。
 同日の2008年(平成20年)5月20日、共有地の地権者である住民は、ダム建設事業認定処分取り消しを求めて金沢地方裁判所へ提訴した。
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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その52)

2017年05月26日 | 辰巳ダム

2008-平成20年浅野川水害は辰巳ダム建設遅延が原因か

 5月に提訴のした後、すぐに犀川に平行して流れる浅野川で洪水氾濫が起きた。
 浅野川は、金沢市街地を犀川とともに平行して流れている河川である。浅野川の洪水の一部は放水路を通じて犀川へ放流することで浅野川は洪水氾濫を防いでいた。その浅野川放水路は1975(昭和50)年に完成しており、洪水氾濫防止の「切り札」のはずだった。

(浅野川洪水の発生)
 平成20年7月28日、浅野川上流で未曾有の豪雨が発生して、浅野川上流および中流部で洪水が氾濫して55年ぶりの大きな水害被害が発生した。

(知事や森元首相は、辰巳ダム建設遅延が原因だと説明)
 石川県担当者や森元首相らは、「200年確率の想定外の豪雨であり、辰巳ダム建設遅延がその被害を拡大した。」と説明した。辰巳ダム建設が遅延して、犀川の洪水を受け入れる能力が十分でなかったので、浅野川の洪水の一部を流すための浅野川放水路の扉を半開にしてあり、そのために浅野川洪水をフルに引き受けることが出来ず、浅野川洪水氾濫が起きた。辰巳ダム建設遅延が浅野川洪水を起こしたのだと説明した。

 しかし、55年前の浅野川洪水氾濫を経験して、これを解消するために、浅野川放水路と内川ダム(犀川への負担を解消するための対策)が1975(昭和50)年に完成している。この時点で浅野川洪水に対する「切り札」が完成してフルに活用できたはずであった。扉を全開ではなく、半開だった。

 平成20年の水害が発生した当時、浅野川の洪水の一部を犀川へ放流するための浅野川放水路(田上地点)の入口のゲートは途中まで降ろしてあり、全開ではなかった。もし、全開してあれば、田上から分水されて浅野川の中流への洪水量は著しく低減し、浅野川大橋付近のピーク洪水位が1メートル近くも低下したであろうし、洪水被害は限定的なものにとどまっただろうことは想像に難くない。

 浅野川放水路についての石川県の説明はおおよそつぎのようなものである。
 浅野川放水路のゲートが途中まで降ろして能力の6割に絞ってあったのは犀川の河川整備が途上であり、やむ得ないのであり、もし開放して全量を流せば犀川下流で洪水被害もでかねない状態であった。犀川の上流で辰巳ダムが建設中であるがこれが完成して、現在進行中の下流の整備が完了すれば犀川も安全になる。そうなれば浅野川放水路のゲートが全開できて浅野川も安全になる。浅野川と犀川とは一体的な整備をしている。

 この説明はほとんど誤っている。①浅野川放水路が全開していない理由は放流先の犀川が整備途上であるとことが理由になっているが、浅野川放水路からの放流量毎秒250立方メートルの負担分は内川ダムの築造で解消しているのでゲートを全開しても犀川への負担はゼロである。したがって全開できる。ただ、全開しなかったのは、浅野川放水路が完成した昭和49年当時、犀川中流部で河川整備の工事中であり、これに配慮して放水を制限したものだ。(その制限の程度を決めた根拠文書を公開請求したが文書としては残っていない。)②下流で溢れる恐れがあったというが、犀川大橋地点のピークで毎秒400立方メートルを少し超える程度であり、ゲート全開して毎秒100立方メートル程度増えてもほとんど影響ないくらいであり、さらに犀川本川のピークは時間的に早く発生しており、浅野川放水路からのピークは遅れて発生しており重ならないので犀川のピークが大きくならない。十分に安全に流せたのである。③辰巳ダムが完成していなかったから、犀川への負担をかけることができず、浅野川放水路のゲートを絞らざるを得なかったように説明するようであるが、浅野川放水路と内川ダムがセットで浅野川と犀川の洪水対策が行われたのは、昭和42年度から昭和49年度にかけて実施された「犀川総合開発事業(第2次)」であり、辰巳ダムのたの字もなかった。浅野川放水路と辰巳ダムは何の関係もないのである。④下流の整備が遅れたために全開できなかった理由になっているがそうではない。昭和47年度から昭和53年度にかけて犀川の中流部の河川改修が行われた。川の中央部を掘り下げた。これを終えて、昭和54年度から犀川下流部の改修工事を始めた。石川県は約200億円ほどの費用がかかると見積もったが、石川県河川当局が注力してやれば20年ほどでできたはずである。昭和74年ころつまり平成11年ころには完成して心おきなく、ゲートを全開できたのである。⑤浅野川と犀川の一体的な整備というのは、浅野川の洪水を犀川へ受け入れることによって浅野川の洪水対策をしようということで、「犀川総合開発事業(第2次)」のことである。浅野川の上流に治水ダムの適地がないので犀川の支流に代わりとなるダムを造ることによって浅野川の洪水対策をするということで一体的な整備が唱えられたのである。一方、辰巳ダムは犀川の治水のためであり、浅野川の治水とは関係はなく、一体的な整備ではない。

 浅野川放水路という切り札のゲートを全開にできなかったのは、浅野川はぼぼ完成したと判断したが犀川は整備の途上であるということで負担を軽減しようと配慮したためであろう。その配慮も「犀川総合開発事業(第2次)」の方針通りに、犀川中流、つぎに犀川下流と整備を完成しておれば、心おきなく切り札がいつでも切れる状態になっていたのである。

 この途中で、「犀川総合開発事業(辰巳ダム)」(昭和58年度事業採択)が割り込み、にわかにおかしくなったのである。内川ダムを完成させた翌年の昭和50年から調査を始め、辰巳ダムの建設に注力するようになった。下流の整備は遅々として進まず、辰巳ダムの方に重点が移った。堤防工事よりもダム工事の方が補助金がつきやすいなどの補助金行政の理由、大きな事業費に住民や関係業者の期待が高まったこと、この政治的な集団の圧力もともない、辰巳ダムの方へ重点が移ったのである。辰巳ダムに拘泥したために、犀川下流の整備は遅れ、平成24年現在も途上であり、浅野川放水路のゲートの全開もできなかったのである。

 辰巳ダム建設に拘泥したことで発生した水害であり、辰巳ダムが浅野川水害の原因だ。

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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その51)

2017年05月25日 | 辰巳ダム
2007-公聴会での誤った主張
昭和56年大聖寺水害は九谷ダム建設遅延が原因か

 2007(平成19)年5月20日、21日の両日に渡って開催された「犀川辰巳治水ダム建設事業の事業認定に係る公聴会」で辰巳ダム建設賛成の立場で公述された雨坪裕孝(元石川県河川課長)氏が「ダム建設が遅れたために災害が起きた例として大聖寺川の九谷ダムをあげ、九谷ダム建設遅延が原因で昭和56年大聖寺川水害が起きた。用地交渉が難航しているうちに下流で大水害が発生し、2000戸を超える浸水被害があった。」という趣旨の発言をした。

 水害が起きると、治水行政の責任者あるいは関係者が責任逃れのために根拠のないことを主張することがある。辰巳ダム計画に関して、例えば、市街地で氾濫被害があると内水問題で外水対策の治水ダムとはほとんど関係がないにもかかわらず、辰巳ダムがあれば氾濫被害を防ぐことができたなどと誤魔化しの説明があった。この昭和56年大聖寺川水害についても、情報公開で入手した資料によれば、まったくの誤解であることがわかった。

「九谷ダム建設事業全体計画変更認可申請書(平成3年10月)」添付の「大聖寺川総合開発事業計画書参考資料九谷ダム」6-9頁によると、昭和56年7月の出水についてつぎのように記載されている。
「被害は大聖寺市街地の低地及び三谷川・熊坂川の沿川に集中している。すなわち、三谷川・熊坂川の溢水と大聖寺川本川水位の上昇による市街地低地の浸水によるものである。大聖寺川の溢水、破堤は今回かろうじてまぬがれた。」そして、降雨状況の欄は、我谷ダム総雨量265.0mm最大時間雨量43mm、浸水戸数の欄には、宅地1457、田畑866とある。
 また、昭和五十六年七月二十二日に開催された参議院災害対策特別委員会議事録を要約すれば、「大聖寺川の我谷ダムの洪水調節は適正に行われ役に立ち、大聖寺川は氾濫しなかった。支川の三谷川のショウートカット事業が遅れ氾濫した。三谷川氾濫防止のため三谷川と合流点下流の大聖寺川の改修を進めている。」とある。

 三谷川改修工事完了した平成9年(1997年)から九谷ダム完成した平成18年3月(2006年)までの10年間の降雨データで、昭和56年7月梅雨前線豪雨(150mm/1日)よりも大きい記録が3回ある。いずれの場合も浸水被害は発生していない。つまり、三谷川の河川改修がなされた効果である。昭和56年の浸水被害もなかったのである。

 九谷ダムの洪水調節対象である大聖寺川本川では九谷ダムが無かったが氾濫はしていない。昭和56年の水害は大聖寺川支流の三谷川の疎通能力不足が原因で氾濫したものである。九谷ダムは大聖寺川本川の氾濫防止のためのものであり、三谷川の氾濫とは直接、関係ない。

詳細は、ホームページへ

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辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その50)

2017年05月24日 | 辰巳ダム
2007 公開質問状など

 2007(平成19)年5月20,21日(日)「犀川辰巳治水ダム建設事業」の公聴会が行われるなど、辰巳ダム建設に向けて行政的な手続きが進行した。

 これに対抗するため、辰巳の会(碇山 洋)、ナギの会(渡辺 寛)、犀川の河川整備を考える会(中 登史紀)らは、石川県、金沢市に対して、辰巳ダムに関する公開質問状や申し入れなどを行い、これをマスコミが報道することで、県民への理解を浸透するための活動を続けた。

2007(平成19)年6月11日:北陸地方整備局長宛に 「辰巳ダムに関する申入書」を送付
2007(平成19)年6月18日:公聴会公述人雨坪氏、石川県河川課長宛に 昭和56年大聖寺川水害は九谷ダム建設遅延が原因という公述に関する「公開質問状」を送付
2007(平成19)年6月25日:石川県河川課長宛に犀川下流の河川改修に関して「公開質問状」を送付(FAX、Email)、毎年の避難騒ぎ?
2007(平成19)年6月29日:石川県河川課長宛に「公開質問状」(辰巳ダム完成で福井豪雨に対して安全か?)を送付
2007(平成19)年7月5日:河川課回答(6月29日)について石川県河川課長宛に再質問を送付
2007(平成19)年7月9日:河川課回答(6月29日、犀川下流の件)について石川県河川課長宛に再質問を送付
2007(平成19)年7月10日:石川県河川課長宛に公開質問状(建設促進の公述について)を送付
2007(平成19)年7月16日:石川県河川課長、金沢市長宛に公開質問状。犀川下流住民の生命が係る伏見川を30年も放置するのか?

 参議院選挙の立候補者へも「公開質問状」を送付。
 2007(平成19)年7月20日:参議院選挙立候補者、各政党へ。
 数々の疑義がある辰巳ダムについての判断を各党へ質問するとともに、添付した資料では、①ダム建設ばかりに注力することで、中流の鞍月用水堰地点、JR橋下流の本江町地点の危険箇所が放置されていること、②犀川本川のダムが優先されることで、より危険な伏見川の改修が遅れて氾濫常襲の高畠地区の危険が残ることも紹介した。
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