犀川の河川整備を考える会

犀川の辰巳ダム建設を契機に河川整備を考え、公共土木事業のあり方について問題提起をするブログ。

辰巳ダム>捏造された洪水、東岩取入口は残ったが(その51)

2017年05月25日 | 辰巳ダム
2007-公聴会での誤った主張
昭和56年大聖寺水害は九谷ダム建設遅延が原因か

 2007(平成19)年5月20日、21日の両日に渡って開催された「犀川辰巳治水ダム建設事業の事業認定に係る公聴会」で辰巳ダム建設賛成の立場で公述された雨坪裕孝(元石川県河川課長)氏が「ダム建設が遅れたために災害が起きた例として大聖寺川の九谷ダムをあげ、九谷ダム建設遅延が原因で昭和56年大聖寺川水害が起きた。用地交渉が難航しているうちに下流で大水害が発生し、2000戸を超える浸水被害があった。」という趣旨の発言をした。

 水害が起きると、治水行政の責任者あるいは関係者が責任逃れのために根拠のないことを主張することがある。辰巳ダム計画に関して、例えば、市街地で氾濫被害があると内水問題で外水対策の治水ダムとはほとんど関係がないにもかかわらず、辰巳ダムがあれば氾濫被害を防ぐことができたなどと誤魔化しの説明があった。この昭和56年大聖寺川水害についても、情報公開で入手した資料によれば、まったくの誤解であることがわかった。

「九谷ダム建設事業全体計画変更認可申請書(平成3年10月)」添付の「大聖寺川総合開発事業計画書参考資料九谷ダム」6-9頁によると、昭和56年7月の出水についてつぎのように記載されている。
「被害は大聖寺市街地の低地及び三谷川・熊坂川の沿川に集中している。すなわち、三谷川・熊坂川の溢水と大聖寺川本川水位の上昇による市街地低地の浸水によるものである。大聖寺川の溢水、破堤は今回かろうじてまぬがれた。」そして、降雨状況の欄は、我谷ダム総雨量265.0mm最大時間雨量43mm、浸水戸数の欄には、宅地1457、田畑866とある。
 また、昭和五十六年七月二十二日に開催された参議院災害対策特別委員会議事録を要約すれば、「大聖寺川の我谷ダムの洪水調節は適正に行われ役に立ち、大聖寺川は氾濫しなかった。支川の三谷川のショウートカット事業が遅れ氾濫した。三谷川氾濫防止のため三谷川と合流点下流の大聖寺川の改修を進めている。」とある。

 三谷川改修工事完了した平成9年(1997年)から九谷ダム完成した平成18年3月(2006年)までの10年間の降雨データで、昭和56年7月梅雨前線豪雨(150mm/1日)よりも大きい記録が3回ある。いずれの場合も浸水被害は発生していない。つまり、三谷川の河川改修がなされた効果である。昭和56年の浸水被害もなかったのである。

 九谷ダムの洪水調節対象である大聖寺川本川では九谷ダムが無かったが氾濫はしていない。昭和56年の水害は大聖寺川支流の三谷川の疎通能力不足が原因で氾濫したものである。九谷ダムは大聖寺川本川の氾濫防止のためのものであり、三谷川の氾濫とは直接、関係ない。

詳細は、ホームページへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする