中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

統一教会の合宿

2022年11月23日 11時51分39秒 | 日記
安倍襲撃事件は、きわめて影響力のある事件となっている。

わたしも学生時代を思い出してしまった。
1978年大学入学。
このころ統一原理ーと当時はいっていたーは、ある意味、キャンパスで避けてとおれないほどに浸透していたのではないだろうか?

茨城での高校時代、AFSでアメリカ留学を果たし、1年後、わたしの学年に入ってきた一つ年上の生徒節子(仮名)がいた。
たまたまわたしと節子は、東京の同じ大学に進み、同郷だということもあって結構行動をともにしていた。
大学一年の心情というのは開放感にあふれたもので、どのクラブや部活動にはいるか、などということが最重要テーマのようにして過ごしていた。

キャンパスをふらふらしていて合気道部の部室をのぞき、その体験中に鎖骨を骨折してしまった節子は、親から合気道だけは止めてくれと懇願され、やめた。
それからどのくらいの時間がたったか、たたなかったのか忘れてしまったが、まだ大学一年だったことはたしかで、節子は統一原理に入った・・・といってきた。

アメリカでの一年間の留学生活で、片田舎にホームステイしていた彼女は、毎週末通う教会からキリスト教に魅せられて行った。<祈り>に興味をもったといっていたように記憶している。
その習慣をいたく気に入ったようで、そういうものを自分ももちたい!
それで、原理研究会の合宿にいったら、その教義がすとんと、こころのなかに入り込んでしまったというのである。
日本人が寺でお葬式をあげ、結婚は神前でというなにかわからないような宗教、、生活に密着した信仰を持ちたかったのだろう、と感じた。ともかく手近な、聖書について質問すると返事がすぐに返ってくるということで、信者になったようなのである。

この明るい性格の彼女の勧めで、わたしと友人の松子(仮名)は、原理研究会をのぞいたのだった。
わたしは幼稚園がキリスト教で、聖劇をしたり、小学校からなんと中学生になっても、その幼稚園での日曜学校に行っていた。
中学時代は聖書を読むのがすきで・・・小説のように毎晩寝る前に読んで、なんと夜空にむかて手を合わせて、アーメンなんて、一人でして満足していた。
キリストの歩いたエルサレムの道はどんなところなのだろう、とか、小説や漫画の舞台にいってみたいとおもうように、聖書にでてくる荒野の光景を思い浮かべたものである。
お葬式ではお寺にいくけど、教義はわからない。母の実家関係の葬式では、念仏のかいた紙が配られ、皆でとなえる葬儀がおこなわれ、それはそれで楽しかった・・・というと語弊はあるが、寺の地獄絵とか、いろいろな飾り物???、仏像を見るのも心が和んだ。念仏となえると、こころが落ち着くのよね。

しかし、それらは東京での日常生活のなかにはない。
わたしには、同じクラスに松子という友達がいて、気があった。
なんでも見てやろう・・・が主流の時代?でもあり、わたしは節子にさそわれるまま、松子とともに、原理の話をきき、なんと一泊だったか、二泊だったか、合宿にまで参加したのだった!!!
聖書の解釈としては面白いな・・・と思った記憶がある。
でも、それは信仰というのとは違う。そこにいる原理研究会のリーダーのような、見栄えのする男性と言い合ったことをおぼえている。
松子は、彼に少し魅力を覚えたような気がした。
それでも、聖書についてあれこれ知りたいけれど、それは学問とか勉強であって信仰ではない・・というのが、わたしの結論だった。

でも松子は・・・・地方から東京に出てきて下宿では孤独感もあったようだった。この時期特有の恋の悩みなどもあって、ぐんぐんと統一原理に惹かれて行ってしまった。
どのあたりに惹かれたのか、というのは忘れてしまった。
それで入会してしまったのである。

それからが大変だった。
夢中になってしまった松子は、親と断絶した。引き離された。。。という感覚を親は持っただろう。

わたしは遠く四国から上京した彼女の父親と渋谷で会い、「よしえちゃんが、紹介しなかったら、こんなことにならなかった」とも責められた。
大学一年の夏休みは、フェリーや飛行機で、彼女の実家に友人たちと数日を過ごして、家族たちともたのしい交流をしたのだった。

地方の裕福な家だったから、そうとうな額を松子は寄付しただろう、と思う。もともとおカネに頓着しなくてもいいほど、使いかたをみればわかる。
教団から要求され、引き出したのだろう、といまなら想像できる。
当時は、そんな考えにはおよばず、もっとも、わたしに対しても、いわばご利益のある印鑑かわないか、、、といってきたが、わたしときたら、そういうものが全く信じられないのである。

統一原理に入信すると、どうしても別のコミュニティにいってしまう。
大学二年になるとゼミだけは一緒だったが、生活は不明となった。
そのうちに彼女は家族との確執からなのか、何が原因か、腎臓をこわし入院、さらに一年大学を休学してしまい、ますます縁は遠くなってしまった。

わたしの大学一年の時間は、統一原理と濃厚な関係がある。
こうして、二人との付き合いは深まることは無くなってしまった。

その後、最初に入信した節子は、卒業すると、自民党の議員ー弁護士出身ーの事務所に勤務した。へえ、そんなことまで教会は面倒みてくれるんだ、と思った。
それに彼女と原理との関わりについては、彼女はわりと平静に語るので、狂信的とは思わなかったのである。ただ、わたしのほうは就職戦線で、あたふたして苦労していた時期で、教会だと就職は簡単なのね、と思った、節子は教会内でも優遇されていたのではないだろうか。

時が飛ぶ。
そうして、何年かがたち、ふたりは韓国にいって合同結婚式に参加したのである。

節子にそんなお見合いで、結婚なんて、というと、「うちは両親もお見合いで、写真をみて、だいたい結婚をきめたようなの」
ということで、まったく抵抗がない。
わたしが恋愛に憧れていたのとは違う。
「なにか、希望とかきいてもらえるの』
というと、「わたしは外国人がいいと希望をだした」ということだった。やはりアメリカへの憧れなのだろう・・・。

その後、彼女は披露宴の写真をみせてくれた。韓国では結婚式?をあげたが、両親にも披露したいので、目黒の雅叙園で行ったというもので、節子は文金高島田、相手はイタリア人で、紋付羽織袴で、ご家族ご一同がずらりとならんだ写真だった。そこに新郎の家族がいたかどうかは記憶にはない。
ふーん、幸せになれるんだな・・・と。

一方、松子のほうは、家族との断絶は明らかながら、日本人?男性と結婚して、地方都市で暮らしていた。

まったく別の道を歩き始めたわたしたちは、彼女がなにをやっていたのか、わからない。
でも、ある日、電話があって、世界婦人連合??・とかなんとか「女性の世界大会があって、安倍晋太郎さんの奥さんが会長をつとめる国際会議があるから、参加しないか」との電話である、「勝共連合」だとか、「人間はすべての行動が政治的である」とかいうようなことを口走っていて、、、なんともわたしはついていけなくて断ったのである。
その後、また電話があり、「お金に困っているの。30万円かしてくれない」とか「ツボを30万円で買ってほしい」とかなんとか。
こちらは夫と勤務先の寮住まいで、基本給が安いことこのうえない時代で、そんな金額はおいそれと出せない。
ほかの友たちの名前を行って、回そう!としたのだが、そこには電話できない・・・とかいっている。
それでも、ないものはないので、断るしかなかった。

彼女はいま、どうしているだろう。
その後、子供にも恵まれ、四国でくらしているらしい。
我が家がなかなか子供ができないときは、神のご加護がない、みたいなことをいわれた、最近、統一教会のなかで養子縁組なんていうことがおこなわれていたとしり、神のご加護は信者でもダメだったのか、子は持たなくてはいけない、子育てはすべきという教えかと。
家族主義を重視したとおもえる安倍さんだったが、ああ、安倍さんのお家も、子供がなくて・・・逝ってしまったのだね、、と思ったところである。

もし節子や松子と友達でいられたら、わたしの生活も、また彩は変わってしまったかもしれない・・・とこのごろ、そんなことを思い出すことが多い。
統一教会はわたしの人生もかえたということができる。
ちなみに、節子のほうはローマに長く住んでいて、10年ほど前だろうか、突然連絡があり、統一教会をやめた、、、と聞いた。
もし彼女に会うことがあったら、いろいろ詳しい話を聞くことができるのかもしれない。









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