中丸美繪ブログ

モーストリー・クラシック誌上で井口基成伝連載中。小澤征爾伝も引き続き執筆中。
その取材と裏話


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朝日新聞連載 朝比奈隆!

2016-02-16 10:31:23 | 日記
朝日新聞の夕刊文化欄で、吉田純子さんがずっとずーーーツと、朝比奈隆を連載している。
これまで、山本直純さんや岩城宏之さんもとりあげられてきたけれど、朝比奈だけが、ながーーーーーーーーーい!

とても嬉しい!
だって、わたしは、大阪フィルの人々が親しみと、尊敬と、ちょっと大阪的な皮肉をまじえて呼ぶ『オッサン』を敬愛しているからです。
だって、わたしは、朝比奈さんに会って、わたしにとっては、御大にあって、東京公演のたびに宿泊先のホテルオークラでお話しをきいて、朝比奈隆伝をかいたからです。

きのうは、朝比奈さんの「お蝶夫人」について吉田さんが書いていたけれど、それは演出家のほうに関心がいっていたようでしたね。

なぜ朝比奈さんがオペラを取り上げたのか。
小澤さんですら、オペラというものは、学生時代に勉強しなかったのですよ。
小澤さんは、「斎藤先生はオペラは教えてくれなかった」なんて、いっていた。

朝比奈は斎藤秀雄と同世代です。
その朝比奈さんがなぜ!????

それは戦時中に、御大が上海の交響楽団の指揮者になったから。
当時、上海は東洋一の文化都市。
イギリス人がいくところ、オペラハウスと競馬場を必ずつくる。
日本の中国進出によって、日本が上海のオーケストラを統括することになったのです。
そこで呼ばれたのが、朝比奈さん。
外務省は尾高尚忠を、海軍は山田和男(当時)を推薦してきた。しかし、交響楽団の責任者だった陸軍将校中川牧三が推薦したのが、朝比奈さんだったのです。
中川はイタリア留学を経験している声楽家。日本イタリア協会の会長でもあり、声楽コンクールも開催していましたね。ただの将校ではなく、情報将校、さらにロシア語もイタリア語も英語も・・・という知識人でもありました。
わたしも取材でおめにかかったけれど、上背のある、かっこいいおじさまでした。
朝比奈もかっこよかったけれど、あの時代の方々というのは、なんでかっこいいのかな。

というのは、ともかく、この知識人である中川さんの意見が通って、朝比奈が上海交響楽団の指揮者となったのです。
日本から連絡船と列車でやってきた朝比奈は、「乞食同然だった」と中川さん。
上海で最高のホテルに宿をとっていて、さっそく風呂をあびさてたけれど、朝比奈は西洋式の風呂の使い方も知らず、お湯が部屋にあふれてきて・・・。
「朝比奈くん、君、日本の風呂とは違うんだ。体は浴槽のなかで洗いたまえ」

しかし風呂から出てきた朝比奈について中川さんはこう語ってくれました。
「朝比奈くんは上海に到着した時とは違って、まるで天国から降りてきたような、りゅうとした紳士になっていました。楽員のまえにつれていくと、視線をそそぐ楽員たちの目の輝きがちがっていましたからね。これで成功したとおもった」と語ってくれました。

中川さんは自分の「撃ちはなった朝比奈という文化の玉」が的中したと、述べていました。

朝比奈が上海で得たものは、大きかったようです。
わたしには、

「あれがなかったら、今日の音楽家としてのわたしはないと思いますね。上海のオーケストラは当時、東洋一のレベルといわれてましたし、わたしは正規の音楽教育をうけたことはないでしょう。ですから、上海での経験はかけがいのないもので、あらゆる曲を指揮することができたし、いまのわたしのレパートリーはほとんどそこでみにつけたといってもいいんです」
と、謙虚なことをおっしゃていました。
ここでは、オペラも指揮し、朝比奈はシンフォニーとオペラはクラシックの両輪だと身を持って体験したのです。

ですから、帰国しても、当然のごとく、その時代の日本の指揮者の感覚とはちがって、当然のごとく、とりくんだ。
朝比奈は、「お蝶夫人」を振ると、いつも大泣きだったようですよ。」

それはどうして???

知りたいかたは、中央公論新社刊『オーケストラ、それは我なり、朝比奈隆 四つの試練」(中丸美繪著)を読んでください。

朝比奈さん!
ベートーヴェンやブルックナーを繰り返し、繰り返し、演奏したこと、今考えても、すばらしいです。
いまわたしは小澤さんを描いています。
あまりのちがいに、ほんとうに驚きます。

日本は短い西洋音楽の歴史のなかで、さまざまな指揮者を生み出したのだと、つくづく関心するこのごろ!!!



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軽井沢スキーバス事故関連ー産経新聞の一面「産経抄」に日本航空一期生

2016-02-08 13:13:06 | 日記

件名: 【産経新聞 1/22 朝刊】産経抄

2016/01/22 産経新聞 東京朝刊 1ページ 713文字
 「臆病者と言われる勇気をもて」。日本航空第2代社長、松尾静磨(しずま)の名言を実践したパイロットがいる。昭和41年3月、ハワイから羽田上空に来ていた日航機の機長は、悪天候に不安を感じて着陸をあきらめた。カナダの旅客機が空港で炎上したのは、その1時間後である


▼日航機はそのまま福岡に飛んだ。機長は翌日、自らの疲労を考慮して、他の機長に操縦を代わってもらい、客席に座って乗客とともに東京に帰ってきた。松尾が機長の対応を喜んだのは、言うまでもない(『日本航空一期生』中丸美繪(よしえ)著、白水社)


▼冒頭の名言を、ぜひとも思い出してほしいのが、バス業界である。長野県軽井沢町で、若者たちはなぜ、夢を断ち切られなければならなかったのか。スキーバスは転落事故を起こす直前、80キロを超えるスピードでS字カーブを走り抜けていた


▼バスの運行会社は、国の基準額を下回る運賃でツアーを受注していた。昨年末に採用した運転手は、「大型バスは苦手」と話していた。ずさんな安全管理の実態が次々に明らかになるなか、事故はその後も続く


▼東京都内の道路では、観光バスが中央分離帯に衝突し、運転手が逮捕された。「ぼーっとしていた」と供述している。兵庫県淡路市内を走行していた、70歳のツアーバスの運転手は、約10分間にわたり蛇行運転を行った。女性添乗員がハンドル操作を助けて停車しなければ、大事故につながっていたかもしれない


▼松尾は毎年元旦には、交通安全の川崎大師に参拝に行き、その足で羽田の整備工場の現場に向かっていた。評論家の大宅壮一はそんな松尾を、「祈りの気持ちをもつ人」と呼んだ。安さと便利さばかりが追求される昨今、「祈り」が忘れられている。

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