中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

水戸室内管弦楽団100回定期演奏会のよもやま話

2017年10月19日 16時02分50秒 | 日記
水戸も100回を迎えるのかあ。
それにしても友の会会員になっていても、小澤さんが振る演奏会というのは、まったくチケットがとれたことはない。ただし、なぜかキャンセルが出るらしく、当日朝には販売されるようで、これは、小澤さんが前回アルゲリッチと共演したときもそうだった。
しかし、東京に住んでいては、なかなか当時朝早く並ぶのは難しい。

それにしてもチケットの値段が!!!!
前回も今回も、そんなに高いチケットではいけないし、またツテをたどって必死になるというのも、気が引けて・・・そのままにしていた。

ところが、本の10日前ほどにあった方から、「水戸こないの?」といわれ、「とてもとても」というと、「おいでなさいよ。チケット取るから」とのことで、なにやら関係者には入手ルートがあるようである。

結局わたしは、その日水戸にいた。
雨が肌寒く振る晩であった。芸術館前のそば屋「萬庵」による。ここは地元の人に紹介された店だが(わたしは茨城出身で、水戸には知り合いも親戚もいる。生まれは水戸から40分ほどの下館である)、ここで楽員の人にあったこともあり、(チェロの松波恵子さん)、それで取材を申し込んだこともありました!

その日は、カウンターにひとり・・・店は、なんとなくこれから演奏会に行きそうな人々で賑わっていた。

そこに、二人の女性がわたしの脇に座った。
茨城の人は気さくだ。
江戸英雄さんもそうだった。言わずと知れた小澤さんの最初の夫人江戸京子さんのお父さん。
わたしが江戸さんを三井不動産本社に訪たとき、当方が茨城出身としると、ああ懐かしい茨城弁で「茨城出身で、よくこんなこと(書くという仕事)やってんなあ」とおっしゃった。
茨城の文化にコンプレックスをもっている江戸さんであった。

その彼が芸術館創立時の事務長である。
小澤さんが館長に就任したとき「ここは、ぼくの最初の女房の京子ちゃんの親父さんの生まれ故郷なんです」なんてことまで、いってしまう。

そんな江戸さんは、まさに茨城人の率直さで、わたしが当時取材していた、斎藤秀雄の生涯について語ってくれたものだ。桐朋学園の創立は、父兄であった江戸さん、さらに奥様の弘子先生ほかの先生方、さらに音楽科を受け入れた懐の深い桐朋の生江義男校長の協力なしにはできなかった。そのうえ、妹純子さん、涼子さんも桐朋である。江戸さんは父兄として、桐朋に音楽科をつくることに尽力した。

さて、そんな人懐っこい茨城人から萬庵で話しかけられた。
「演奏会にこれからいくのですか』「きょうのチケット代いくらですか』
「25000円でした。S席は30000でしたけど」
 チケットを知り合いから手渡された時、S券でなくてよかった、と思ったものである。
 すると、「これまで一番高いチケットは15000円だったのに、前回小澤さんが出たときは28000円がS席。どうなっちゃんでしょう」

彼女たちはどうやら美術愛好家らしいのである。芸術館ではもっぱら美術鑑賞らしく、かなりな人々と見た。
音楽界のこのチケットの値段はまったくもって理解できないことだろう。

しかし、会場をみると、ほぼ満席である。
指揮者に対面する席が空いているのがわたしの席からは見えた。

そして、小澤さんの登場は、第9の3、4楽章。
もちろん拍手がバポラークが指揮台を降りると、起きましたよ!
ここまででも素晴らしい演奏で、このまま聴きたい気持ちだったが。
ここで聴くほうも一息いれなければならない。
小澤さんがすぐ登場するのでなく、指揮台には椅子が置かれ、ステージマネージャーが高さや安全性をためしているのか、そこに座って、ペットボトルを置き、楽譜を置いた!!!!「暗譜の神様」といわれる小澤さんは、今年はアンプをしていない。夏の松本でもそうだったし、ここ水戸でも!!!もう暗譜はやめたのかもしれない。
小澤さんの登場で、また拍手が起こった。

疾走するベートーヴェンである。
最後は、フルートのトーンドゥルの音がピーーーーーーと響きわたっていた。
皆、必死の、全力投球のベートーヴェンであり、その疾走感たるや!!!

そういう演奏会でした!