中丸美繪ブログ

モーストリー・クラシック誌上で井口基成伝連載中。小澤征爾伝も引き続き執筆中。
その取材と裏話


小澤征爾さんをめぐるノンフィクション本の取材

2017-12-21 16:49:59 | 日記
いよいよ大詰めの取材となってきました!

今回は、新日本フィルハーモニー交響楽団で、長く、ながーーーーーーーくコンサートマスターをつとめ、また小澤さんと秋山和慶さんがはじめたサイトウ・キネン・オーケストラでも、創立当時から現在にいたる30数年にわたってコンサートマスターをつとめている豊嶋泰嗣さんのお話をききました!

新日本フィル定期の練習後、楽屋に訪ね、そこで約一時間半。
小澤さんは、新日本フィルではイラつきを見せることがあったということ。サイトウ・キネンではまったく見せなかったとのこと、そのコントラストは、驚きでした。

そもそも、小澤さんというかたは、神経がとがったかたです。
一般には、なにかフランクな、人のいい、かんじのいい方、という印象なのですが、いったん音楽ともなると、あるいはビジネスともなると、それは一変します。

そういう詳細を、豊嶋さんのお話からも確認できました。

さらに、豊嶋さんは、「小澤さんは、もっと音楽に接する時間を多くすべきだ」ともおっしゃっている。そもそも病気になるまでは、いわば単身赴任を数十年にわたってつづけてきた小澤さん。最近は日本で、家族といっしょなので、音楽よりも家族が優先となっているのでしょう。
来年一月に予定されていたベルリン・フィルの公演も、キャンセルとなってしまいました。
具合がいま、悪いわけでなく、長く飛行時間のあと、仕事という緊張に堪えられないと、判断したらしい。

秋には、家族たちとハワイにもでかけてはいるので、ファンのかたがたはご安心を!

豊嶋さんとのお話がつづき、時計はすでに20:30
「どこかでご飯たべましょうか」
と声をかけずにはいられませんでした!
「いいですね」

そういうところが好きですよ。朝比奈伝のときも、豊嶋さんは貴重な証言をしてくれました。今回も、喜んで(マネージャー談)笑顔で、取材OKと。


向かった先は、白金の住宅街にある店。豊嶋さんは現在、京都芸術大学で教鞭をとってもいるそうだけれど、麻布にもマンションをかまえてらっしゃるとのことで、いきつけのお店でした!
カウンターだけのお店。なかはほぼ満員で、すごい熱気です。住宅街の隠れ家という雰囲気。
豊嶋さんがあらかじめ電話してくれていたために、マスターがいちばん奥の席を二席とってくれていました。

すると、そこには征爾さんの長男の征悦さんがいらっしゃるではないですか。それも、カウンターがロの字だか、コの字型になっているのだけれど、そのなかにいる。スタッフの側にはいっているのです。

彼が10才ぐらいから知っている豊嶋さん。
そして、征悦さんのお席がわたしたちの隣でした。
わたしは、いちばん端の席にすわろうとしましたが、豊嶋さん、
「取材、取材したらいいよお」
と、わたしを彼の脇に座らせるのでした。
それから、30分ぐらい、どうして役者になったのですか、という素朴な疑問からはじまり、息子からみた小澤征爾さんについてすこしばかり聞いちゃいました。でも、オフなのに、悪いな・・・という常識人的なところが、わたしにはございまして・・・・

たまたま「トットちゃん」という昼の連続ドラマも録画しているわたしです。
黒柳徹子さんのお父さんは、元NHK交響楽団(新交響楽団)にいて、わたしが伝記(「嬉遊曲、鳴りやまず」)を書いた同団の首席チェロ奏者だった斎藤秀雄ときわめて近い関係でしたから、斎藤さんがテレビにも登場するのではないか、と。また奥さんである黒柳朝さんは、その斎藤伝のときに、取材をさせてもらい、いろいろ面白い当時のだんなさまと斎藤さんとの関係、音楽のお話をうかがったという縁もあり、見ずにいられましょうか、という気持ちで録画しているのでした。
そこに征悦さんが、インド人系の役で出演していたというわけで、話はもりあがりました!

とても素直な・・・・そういえば、松本のフェスティバルで、数年前、はじめて征悦さんを見ました。長く通っている松本ですが、初めてでした。
同伴しているのは、滝川クリステル・・・。
ふたりは、しかし、別れてしまった。豊嶋さんとだけの会話で、豊嶋さんは、「もう終わった」
ふたりの結婚は、小澤家側の反対で成就しませんでした。
いい加減、お酒がすすんだ状態になってきた私は、
「反対されても押し切ればいいのに」
と豊嶋さんにいってしまった。

いい青年です。
小澤家は結束の固い一族ですから、なかなか他者を受け入れられません。
長女の征良さんのところも・・・・・。
結局、小澤家の人だけになってしまっています。
彼には幸せになってほしいなあ。
「トットちゃん」のインド系の役をみると、彼の人柄がそのままでているのではないか、と思うくらいです。
お正月には、TBS系で、小池百合子をモデルとしかたのような番組をやるそうで、そこに出演する!といってました!
今後のご活躍を祈ってますよお・
また、豊嶋さんも、今後、京都でも大車輪のご活躍を期待できそうです!!1




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水戸室内管弦楽団100回定期演奏会のよもやま話

2017-10-19 16:02:50 | 日記
水戸も100回を迎えるのかあ。
それにしても友の会会員になっていても、小澤さんが振る演奏会というのは、まったくチケットがとれたことはない。ただし、なぜかキャンセルが出るらしく、当日朝には販売されるようで、これは、小澤さんが前回アルゲリッチと共演したときもそうだった。
しかし、東京に住んでいては、なかなか当時朝早く並ぶのは難しい。

それにしてもチケットの値段が!!!!
前回も今回も、そんなに高いチケットではいけないし、またツテをたどって必死になるというのも、気が引けて・・・そのままにしていた。

ところが、本の10日前ほどにあった方から、「水戸こないの?」といわれ、「とてもとても」というと、「おいでなさいよ。チケット取るから」とのことで、なにやら関係者には入手ルートがあるようである。

結局わたしは、その日水戸にいた。
雨が肌寒く振る晩であった。芸術館前のそば屋「萬庵」による。ここは地元の人に紹介された店だが(わたしは茨城出身で、水戸には知り合いも親戚もいる。生まれは水戸から40分ほどの下館である)、ここで楽員の人にあったこともあり、(チェロの松波恵子さん)、それで取材を申し込んだこともありました!

その日は、カウンターにひとり・・・店は、なんとなくこれから演奏会に行きそうな人々で賑わっていた。

そこに、二人の女性がわたしの脇に座った。
茨城の人は気さくだ。
江戸英雄さんもそうだった。言わずと知れた小澤さんの最初の夫人江戸京子さんのお父さん。
わたしが江戸さんを三井不動産本社に訪たとき、当方が茨城出身としると、ああ懐かしい茨城弁で「茨城出身で、よくこんなこと(書くという仕事)やってんなあ」とおっしゃった。
茨城の文化にコンプレックスをもっている江戸さんであった。

その彼が芸術館創立時の事務長である。
小澤さんが館長に就任したとき「ここは、ぼくの最初の女房の京子ちゃんの親父さんの生まれ故郷なんです」なんてことまで、いってしまう。

そんな江戸さんは、まさに茨城人の率直さで、わたしが当時取材していた、斎藤秀雄の生涯について語ってくれたものだ。桐朋学園の創立は、父兄であった江戸さん、さらに奥様の弘子先生ほかの先生方、さらに音楽科を受け入れた懐の深い桐朋の生江義男校長の協力なしにはできなかった。そのうえ、妹純子さん、涼子さんも桐朋である。江戸さんは父兄として、桐朋に音楽科をつくることに尽力した。

さて、そんな人懐っこい茨城人から萬庵で話しかけられた。
「演奏会にこれからいくのですか』「きょうのチケット代いくらですか』
「25000円でした。S席は30000でしたけど」
 チケットを知り合いから手渡された時、S券でなくてよかった、と思ったものである。
 すると、「これまで一番高いチケットは15000円だったのに、前回小澤さんが出たときは28000円がS席。どうなっちゃんでしょう」

彼女たちはどうやら美術愛好家らしいのである。芸術館ではもっぱら美術鑑賞らしく、かなりな人々と見た。
音楽界のこのチケットの値段はまったくもって理解できないことだろう。

しかし、会場をみると、ほぼ満席である。
指揮者に対面する席が空いているのがわたしの席からは見えた。

そして、小澤さんの登場は、第9の3、4楽章。
もちろん拍手がバポラークが指揮台を降りると、起きましたよ!
ここまででも素晴らしい演奏で、このまま聴きたい気持ちだったが。
ここで聴くほうも一息いれなければならない。
小澤さんがすぐ登場するのでなく、指揮台には椅子が置かれ、ステージマネージャーが高さや安全性をためしているのか、そこに座って、ペットボトルを置き、楽譜を置いた!!!!「暗譜の神様」といわれる小澤さんは、今年はアンプをしていない。夏の松本でもそうだったし、ここ水戸でも!!!もう暗譜はやめたのかもしれない。
小澤さんの登場で、また拍手が起こった。

疾走するベートーヴェンである。
最後は、フルートのトーンドゥルの音がピーーーーーーと響きわたっていた。
皆、必死の、全力投球のベートーヴェンであり、その疾走感たるや!!!

そういう演奏会でした!




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中丸三千繪コンサートに井上道義さん

2017-06-22 10:12:10 | 日記
紀尾井ホールで、三千繪のリサイタルがあった。ふた見ると、井上道義さんがきている。
妹のリサイタルにいらっしゃるのは、久しぶりではないか!
「道義さん、どうして? みちえから連絡がいったんですか?」
「いや、こっちから連絡したの。どうしてるかな、と思って」
 
わたしは、小沢征爾さんの伝記を執筆中で、道義さんにも取材をして自宅を訪ねている。マンションの一階の部屋は、そのマンションの一階すべてを占領しているような広い部屋で、庭にでるとプールがあり、そこにアヒルがいた。なんでも、まひるという名前だそうだ。

小澤伝は脱稿寸前になってきて、道義さんにはいちど原稿の確認をとりたいと思っていたところだ。
「京都で講演会をするから、来ない?」
 芸術についてだそうで、これまでだれもいわなかったことをいう・・・という。行きたい!!!

 道義さんは、アバドに才能を見出された人物だ。
 アバドがなくなったとき、小澤さんは朝日のインタビューで、「自己管理がうまいクラウディオなので」治るとおもっていた、とかなんとかいうコメントをよせていたが、産経新聞に載った井上道義の追悼文は、もうすこしアバドがどんな人か、道義さん自身のことをも交えて書かれた心に響くものだった。
 小澤さんはカラヤンやバーンスタインに可愛がられ、ひきあげてもらったが、それと同じことが道義さんにも起こったはずなのだ。

ところが、彼は自分からアバドを離れてしまった。

それは自分は斎藤秀雄とチェリビダッケの弟子と自認していて、アバド・・・に、とは思わなかったこと。
アバドの音楽も好きじゃなかった、ことなど。

小澤さんはカラヤンを最後までしっかりと師として仰いでいた。
 
率直な道義さん。
大阪フィルを辞めた理由もたずねてみた。
それはどうやら、自分が思ったことをできない状況にあるから、ということらしい。
大阪フィルは、大阪の補助を京都ほど受けられない。
組合が強く・・・・など。
音楽はお金がかかるものである。
そういうことらしい。

小澤さんですら、原発には大反対らしいのだが、自分で声をあげることはない。
それは企業にスポンサーになってもらわなくてはならない、ということがあるから、とお兄さんの俊夫さんはいっていた。

音楽とお金・・・・。

これはそもそも音楽が王侯貴族のものだった時代から、ワーグナーの時代をへて、かわらないですなあ。


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小澤征爾伝ー日本航空元機長の白崎さんを取材する

2017-04-25 13:20:31 | 日記
日本航空時代の同期が、小澤さんの大ファンだったというのは、驚きだった!

たまたま「日本航空一期生」の話から、いまわたしが何を書いているのか、という話になり・・・・

小澤征爾さんの評伝・・・というと、「うちの主人が小澤さんのファンで、よく知っている」というではありませんか!

小澤さんは、航空会社の人は、わりあい心を許しているようで、全日空の熟女のキャビンアテンダントの方からは、小澤さんとニューヨーク便で一緒になることが多く、そういうときは、みなでニューヨークついたらご飯食べようよ、というので、何回もごいっしょしたました。。。というのである。

さて、白崎さんとわたしの同期の妻と、三人で恵比寿の蕎麦会席の店で会う。
半個室である。
「一度、会ってみたかった」といわれました。というのは、彼は「嬉遊曲鳴りやまずー斎藤秀雄の生涯」も、「オーケストラ、それは我なりー朝比奈隆 四つの試練」も読んでくださっていて、妻の同期でこんな本かいているのは、どんなやつだろう、と思っていたようなのである。

さて、蕎麦をすすりながら、本題にはいる。こうなると、ランチどころではない。
だから取材のときは、なるべくお茶にしているのだ。
箸をつかうより、ペンを走らせ、メモをとるほうが忙しいのである。
それなのに、それにも慣れているわたしは、箸とペンを両方、使い、食もすすんでします。

さて、本題にもどる。
白崎さんの場合は、JALだったから、というメリットはだいぶあとに訪れる。
彼は札幌生まれで、小学校から管楽器を・・・・札幌放送管弦楽団ジュニアにも所属していたそうだ。
小澤さんを最初に聞いたのは、まだ日本フィルが分裂するまえの札幌公演だそう・・・。

そのあと、JALに訓練生としてサンフランシスコでの訓練中・・小澤さんがサンフランシスコ交響楽団の音楽監督をしていた時代も、聞いたそうである。

そして、彼は機長になり、世界の音楽会に行くようになった・・・・。

そして、ある日、ニューヨーク便の操縦桿をにぎっているとき、スチュワーデスから「機長、きょうは小澤征爾さんが搭乗なさっています」との報告をうけるのだった。

じゃあ、会おう、ということになり、小澤さんを操縦室に見学に誘い、ーそのころはテロという危険もない時代ー公演くるなら、いってよ、といわれ、カーネギーホールのボストン交響楽団を指揮する小澤さんを聞きに行くことになっていたとのことで、それからの長い付き合いがはじまったというわけだそうである。

パリでは小澤さんとご飯をたべ、ボストンでは小澤さんにシンフォニーホールを案内してもらった。
ロンドンのウィーンフィルのときはチケットが入手できず、楽屋まえで小澤さんを待ち伏せ・・・チケットを用意してくれた。
ウィーンのニューイヤーのときは、チケットつきのツアーで、ウィーンにのりこみ、リハーサルからきかせてもらう・・・・。

と。。。徹底してます。

なんと一時から6時まで、三人も話はつづいたのであった。「日本航空一期生」の話も混じり、それだけの時間があっても、それでも話足りない・・・盛り上がりでした。

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水戸で林真理子さん、岩井志麻子さん、文春の浅利茉莉子さんと

2017-02-21 18:15:50 | 日記
わたしは茨城県下館市出身。
このたび、妹の中丸三千繪が大会委員長となる「エンジン01文化戦略会議」が、水戸で開催されることになり、招かれました。
林真理子さんが、この会議の幹事長!

200人くらいの、ーいわゆる文化人というのでしょうか、ーが、この会に所属していて、年に一度、全国の地方自治体の力をかりて、座談やシンポジウムをおこなうというものです。

先週金曜日から、初日は、県民文化センターでシンポジウム、コンサートなどが開かれました。
水戸藩の成り立ち・・・・では、井沢元彦さん、現・徳川15代当主、池辺晋一郎さんらのシンポジウム。コンサートでは、三千繪や仲道郁代さん、熊本マリさんらがつぎつぎと登場しました。
もりあがりましたね!

また、その後のオープニングパーティーでいただいた、常陸牛のお寿司の美味しかったこと!
一皿に2巻ずつのっていましたが、ついついおかわりしてしまいました。

あとできくところによると、ロースのさらに真ん中の部分で、一巻2000円もするのだとか。
通常はどこで、食べられるのでしょうかあああああ!

翌日は、茨城大学に場所をうつして、10いくつの教室で、同時に講座が開かれるというもの。一時限から四時限まで。

わたしは、林さん、岩井さん、浅利さんと。浅利さんは、芥川賞作家を育てた新進の編集者。出版界人々の組み合わせで、当日30分前にあつまって打ち合わせをするとのことでした。
「文学のあることないこと」という、なんとも、ぼんやりしたテーマ!

前日のパーティーで林さんにあったとき、なにを話せばいいのでしょうか・・・・?とお聞きすると、「そうなの、いったいだれが決めたの?!」と焦っているご様子。
「中丸さん、司会してください!」といいわたされ、幹事長の仰せに、うなづくわたし。

宿泊先のホテルでは、みなの共通点がなにかをさぐるネット三昧でした。

しかし、翌日になると、幹事長さまは、「わたしが司会やります」とのこと。当然、そうですよねえ。

でも、林さん、それだけで打ち合わせがないんですよおおお。

まあ、みな心臓に毛がはえているからか、わりにスムーズにもりあがりました。
岩井さんは、ソープとか、暴力とか、最近興味をもってらっしゃる。また林さんは、純文学の作品がよくわからない。。。というような話で、なぜか、わたしが、それらを弁護するような形になっているな、と思いながら、マイクをにぎってしまって。。。。
わたしって、窮極のバランス人間。和をもって尊しとする、という人間なんだな、とおもいつつ、「本がなぜうれないのか」とか、いう林幹事長の最近の課題をさまよいながら・・・・。

人物伝で面白いのは、男女関係・・と林さん。
ノンフィクションだと、クレームがくるというような話が、わたしに振られたとき、

わたしが書いた杉村春子伝について・・・
そのことで、話したことは人工流産の話になりました。

それは、女優という世間的な地位がそういう時代であったこと。それによって、杉村さんが女優として立つ決意ができたことなどは、うううう、結局、触れることができなかったのが、残念でしたあああ。

また、斎藤秀雄についても、お弟子さんが、先生に子供がいなかったから、僕たちを可愛がってくれた。。。という話がぬけてしまいました。
斎藤秀雄には、らい病との噂があり、やはり奥さんが人工流産をしてしまっていたのでした。

成功のうらには、かならず悲しい歴史があるものです。




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