中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小平奈緒選手の伯母様は、松本での小澤征爾フェスのー

2018年02月19日 15時11分27秒 | 日記
小平奈緒選手、金おめでとう!!!
オランダへの留学!!!!決意!!!!
一発勝負を仕留めるこの美しい、マニッシュな獣。彼女の伯母様は、ー小澤征爾さんが松本市で行なっているフェスティバルの仕掛人、元エプソン勤務の武井勇二さんのおくさまえです。チトヤヤコシイ?。

武井さんは、1980年代、小澤さんがどこかでフェスティバルができないか、といったときに、エプソンの中村社長ー世界で初めてクオーツ時計を開発したーを口説いて、スポンサーとして、松本にフェスティバルを持って来させた仕掛人なのです。
以来、ご本人曰く、おいらが先に死ぬか、小澤さんが逝くか、ーというくらいで、フェスティバルの要、総合コーディネーターを務め、小澤さんを支えてきました。
この武井さんの奥様が、小平奈緒選手のおばさまのみちこさま。
活発で、シャキリとなさっている素敵な方で、
フェスティバルのときの演奏会でも、私が〜すぐにおそばに寄りたくなる方です。
なんでもみちこさんは、わりあい最近登山をはじめられ、で、こノー奥様、ーさすが、ガンガン登られてるいうです。
一方で、勇二さんの方は、諏訪交響楽団では若いときにヴィオラ弾いていたくらいで、そんな若いときに小澤さんとしりあったくらいの音楽狂。
みちこさまに付き合って登山することもあるらしいのですが、滑落もあって。。。。。
しかし、ともかく、
世界一というのは、epsonにしろ、小平奈緒選手にとって、みじかなものだったようです。
小澤さんも、比べることが難しい音楽だけれど、世界一と言われるオペラハウスの音楽監督でした!
このオリンピックがはじまってから、毎日武井さんのことも、おもいだしていたわたしでした。

なおさんおめでとうううううう!!!!!!



大学センター試験に出た朝比奈隆

2018年02月10日 11時48分23秒 | 日記
ありがとう!!!

のぶのぶさーん!!
朝比奈先生の記述は、センター試験世界史BP.46
第4問C文にありますーとのこと!!!
シュテルン氏がらみでしたか!!!
今年はムーミンでも話題になったけれど、一般常識のようなものが問われる時代になったのかな、、、、
そういえば、かつての、戦前の旧制高校は、教養主義で素晴らしかったといったのは、朝比奈さんの親友、住友と三井銀行を合併させた、三井住友銀行最高顧問となった伊部恭之助氏でした!
ー伊部さが語る朝比奈さん、学生時代のやんちゃでおっちょこちょいの朝比奈さん、「オーケストラ、それは我なり、朝比奈隆四つの試練」ー試練のーその2にかかわってきます!!
お懐かしい朝比奈さーーーーん!!!!

試験に登場して、さぞかし喜んでいるでしょう。

「書くのは自由だ」といって、書く権利と自由を認めてくれたうえで、色々ー語ってくれたあああ。
大人物です!!
そんな巡り合った人が、歴史のなかに生きるのを見るのは、格別なものです。

大学センター試験に出た朝比奈隆

2018年02月09日 10時26分25秒 | 日記
ありがとう!!!

のぶのぶさーん!!
朝比奈先生の記述は、センター試験世界史BP.46
第4問C文にありますーとのこと!!!
シュテルン氏がらみでしたか!!!
今年はムーミンでも話題になったけれど、一般常識のようなものが問われる時代になったのかな、、、、
そういえば、かつての、戦前の旧制高校は、教養主義で素晴らしかったといったのは、朝比奈さんの親友、住友と三井銀行を合併させた、三井住友銀行最高顧問となった伊部恭之助氏でした!
ー伊部さが語る朝比奈さん、学生時代のやんちゃでおっちょこちょいの朝比奈さん、「オーケストラ、それは我なり、朝比奈隆四つの試練」ー試練のーその2にかかわってきます!!
お懐かしい朝比奈さーーーーん!!!!

試験に登場して、さぞかし喜んでいるでしょう。

「書くのは自由だ」といって、書く権利と自由を認めてくれたうえで、色々ー語ってくれたあああ。
大人物です!!
そんな巡り合った人が、歴史のなかに生きるのを見るのは、格別なものです。

朝比奈隆が大学センター試験問題に!!!

2018年02月07日 09時40分58秒 | 日記
小澤征爾さんについての取材で、新日本フィルの創立当初からマネージャー、のちには楽団主幹として小澤さんを支えた松原千代繁さんに取材!
場所はサントリーホール前のフレンチ。

松原さんには、「オーケストラ、それは我なり 朝比奈隆 四つの試練」でもお世話になった。その出版の際には、麻布などのバーでご馳走にもなっていました。おしゃれで、凄く頭の回転の知識もある方である。
中公文庫になってから、そういえばゆっくりお話しもしていなかったわけで、文庫を持参しました!

すると、「今年の大学センター試験で、朝比奈さんの問題が出たのよ」とおっしゃるではないか!!!
「問題は、朝比奈隆とハルビン交響楽団について述べよ、だった」
「え!!!!」
日本史の問題なのか、センター試験にうといわたしは、わからず、叫んでしまった。
「そういう 時代になったのよ」
歴史のなかで生き残り、戦争中に日本が支配した上海の交響楽団の指揮者として、軍部にとりたてられて向かった朝比奈さん。ーー
この本は、ご本人にも十数回にわたって取材。
ー日の丸を背負っていきましたよ!!
といっていた。
そもそもー朝比奈が大陸に向かったには、上海交響楽団にとりたてれることになったからだ。ー面白いから是非この本を読んでほしい。織田作之助賞もいただきましたよ!

上海に朝比奈を推薦したのは陸軍将校の中川牧三だった。

中川さんは京都出身、わたしがお目にかかったときは90歳を超えていたのか、いないのか。ー背の高いかっこいいオジサマであった。モテてモテてしかたがなく、何回結婚したのだろうか、、、という音楽家である。声楽家で、イタリア留学もしていたから語学も得意。
かれが朝比奈をとりたてたのは、 「 日本人離れした体型と、顔つき、性格的にも鷹揚で、外国人楽員の心をぐっと掴める指揮者だから、わたしの一存で決めた」
ボロボロのホームレスのような格好で上海に着いた朝比奈だったらしい。
中川先生の話も実に面白いので、本文をーどうぞ!!!

さらにその後、朝比奈は高給が出る満州のハルビン交響楽団の指揮者へ。
そこでは、関東大震災で大杉栄を虐殺した甘粕正彦が、復権していた。
ー李香蘭と、ぼくが、甘粕さんの両手に華、というか。
と、朝比奈さんは愉快そうに語ったものだった。