中丸美繪ブログ

「モーストリー・クラシック」で「鍵盤の血脈 井口基成」連載中。六年目。小澤征爾伝も脱稿間近。

小澤征爾さん入院ー奥志賀高原ー愛子さまスキー

2018年04月09日 16時28分37秒 | 日記
小澤さんをめぐる本のために、小澤さんを追って何年がたつだろうか。

先日、大動脈の異変で入院の小澤さん。
検査も長引き、水戸室内も別府のアルゲリッチ音楽祭もキャンセルとなってしまった。

これでは、いよいよ夏の松本のフェスも??とおもいきや、夏の復帰をめざすという情報がはいってきた。
さすが、小澤さんである。

週末わたしは、なんと志賀高原へいった。
ここは小澤さんがまだ桐朋学園在学中、恩師斎藤秀雄らが好んでスキーにきていた場所である。
さらに、斎藤秀雄が最期に生徒たちを指揮した桐朋の合宿もおこなわれた場所である。
このとき、斎藤が指揮した「ディヴェルティメント」を小澤さんは、サイトウ•キネン・オーケストラのテーマソング?のようにしていて、アンコールやだれかが亡くなったとき、ご自分の病からの復帰で長い曲が指揮できなくなったときなどにとりあげてきた。

小澤さんは、志賀高原より、もっと山にある奥志賀高原で室内楽セミナーを長年おこなっている。
この奥志賀高原との縁も、そもそもはスキーからだった。
小澤さんは「どんな貧乏なときでもスキーをしてきた」というほどのスキー愛好家である。
病を得てからも、ひとりでも新幹線で奥志賀高原にむかったものである。
ケネディ賞を受賞した小澤さんは、その前かあとかどちらだったか、キャサリン・ケネディ前駐日米国大使とも滑っている。


ここに、小澤さんは別荘ももっている。
それは、奥志賀高原でスキー学校を開いている杉山進さんから土地を買ったものだ。
杉山さんは、コルチナ冬季オリンピックのアルペンスキー選手。
オーストリア国家が認定したスキー教師の資格をもつ。
スキー学校の先駆けのかたである。
この方が、小澤さんのスキーの先生でもある。
お歳は、小澤さんより三つ上。
そもそもは、小澤さんの子供たちが学校からいったスキー学校が杉山さんのところで、その縁で、小澤さんと杉山さんは出会う。
そんな縁で、小澤さんは杉山さんのスキー学校を借りて、そのカフェテリアや講堂やらで、室内楽セミナーをおこない、その最終日に、長野電鉄が小澤さんのためにたてた「森の音楽堂」で演奏会をおこなってきた。


杉山さんにお電話をする。
「こんど奥志賀にいくのですけど、どなたかに子供にスキーを教えていただきたい」
「その週末、僕は仕事なんだ、会いに行きたいけど、残念だなあ」

こうして奥志賀高原にでかけ、杉山スクールの先生に指導をうけることに。

シーズンが済んだこの時期の奥志賀は、客も少ない。
驚いたことに、外国人従業員が多い!
当然、客も欧米人、少しのアジア系。

小澤さんのために長野電鉄がたてた「森の音楽堂」は、ひっそりと静まりかえっている。
この音楽堂、どのくらいつかっているのか。
スキーが釜の飯よりも好きという夫がつぶやく。
「小澤さんのためにたてたのだろうけれど、あまり使われていないようだな。長野電鉄は、そんなお金を、長野行きの直行バスを出すとに投入すれば、もっとスキー客が集まるだろうに。この時期でもまだまだ奥志賀高原はスキーができるんだ。アクセスが悪すぎるから客があるまらない・・・」などと、スキー第一主義の発言をする。

たしかに少ない。
スキー人口はますます減っているようで、下手な私は、間違った方向に滑って行って、マイゲレンテ状態が続いた。
だれもいない森のなかを滑る・・・・・これはたいへんに気持ちがいい!!!
増えてほしくない。、、、、スキー客。
でも、夫は経済人でもないのに、繁栄を口にする。

志賀高原の地元発行の冊子によると、愛子さまも、三月末にはいらしたようである。
そうそう、ここには毎年、皇太子夫妻がいらしているのだ。杉山さんが指導にあたられてきた、とも聞いた。
愛子さまもお小さいときから滑っているのだろう。
上級コースを滑られるほどの腕?というか、足?をもってらっしゃるらしい。
颯爽たる滑りのほどを見せる写真が掲載されていた。

小澤さんは、一時軽井沢で講習をおこなうことをめざしていた時期がある。軽井沢が天皇ご一家の保養地の一つであるとすれば、ここ奥志賀高原は、皇太子ご夫妻の保養地の一つ。
天皇になられたら、ここ奥志賀高原の注目度があがるのでしょう。

昨日は雪が降った。
奥志賀高原ではまだまだ春スキーが楽しめそうである。
小澤さんが、この冬もスキーをしたかどうか。ひとりで新幹線にのってでも、冬の長野に通った小澤さんである。
ぜったいに滑ったと確信している。そのときちょっと息苦しく感じたのかしら。それで検査にいったら____
ということもありそうである。

夏の松本での復活、楽しみにしています。